諦めずめんどくさがらずに続けたらきっと
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「現場が忙しくてなかなか手を空けられず新人の面倒が見れてないのが気がかりなんですよね」
そう話してくれたのは製造業の会社で工場内の管理監督を任されている管理職のAさんです。
聞けば、これまでは新人が入って来るとAさんが主に教育を担当して製造のイロハを教えてきていたらしく、実際に今の社内にいる社員のみなさん(新人を除く)はAさんが教育をしてきて現在はみんな会社の戦力として貢献している人達ばかりです。
そんな中、今年から入った新入社員の方の教育をAさん以外の方に任せることになりました。
新しく社員教育を担当するBさんは、柔和なキャラクターでとても丁寧に教えることができる人なので新人の方もBさんを慕ってしっかりと着実に教わっている状況があるようです。
とは言え、製造業の会社ということもあり“生産性”という言葉が切っても切り離せないという部分もあるので、管理職のAさんとしてはこれまでに自分が新人教育を手掛けてきたイメージの中の速度で教育が進んで行っていない状態にヤキモキしているらしく、「早く自分が新人教育を手掛けなければ」という状態になっているようでした。
そんなAさんに聞いてみることにしました。
「管理職であり社内ナンバーワンの技術力を持つAさんが、新人教育のために1日数時間を作り出した場合には、そのAさんのやるべき仕事はどうなりますか?」
「自分と同等の技術があるCさんにやってもらうしかないですかね」
「なるほど。じゃあ、Cさんが今抱えている仕事に加えてAさんの仕事も引き受けてもらうってことなんですね。それって現実的にCさんは何とかできそうなんですか?」
「そこなんですよ。現状は、Cさん以外には技術力的に出来ない仕事だけど、Cさんも現状は手一杯なのでどうしたらいいのか…。とは言え、新人教育をしてくれているBさんも製造の仕事で任されているものがあるんですがそっちがあまり進んでいないようで、それもどうしたらいいのか…。」
「じゃあ、Bさんが教育以外で任されている製造の仕事をAさんとCさんで引き受けるとなるとどうですか?」
「それだと、Bさんよりは短い時間で仕上げることができますね」
「なるほど。そしたら、一度工場の中を見ているAさんの視点を、会社全体を見る視点に引き上げてもらっていいですか?Aさんが会社全体を見た時に、これから話す2つの状況のどちらの方が会社にダメージがあるのか考えてみてください」
「はい」
「1つは、Aさんが1日の中で無理やり数時間を空けて新人教育をした場合。もう1つは、Bさんの製造分をAさんとCさんで引き受けて、新人教育を時間をかけてBさんにやってもらう場合。どちらの方が会社にダメージがありそうですか?」
「それは、自分(Aさん)が教育のために時間を空けた場合の方がダメ―ジが大きいですね。どうしたって今任されていることができるのが社内には自分とCさんしかいない中で、自分もCさんも手一杯な現状なので。」
「だからこそ、今回は新人教育をBさんに担ってもらっているんじゃないですかね?それに、Bさんが教えてくれるということは、丁寧に教えるから時間はかかるかもしれないけど、Bさんができることのレベルまでは教えることができるわけですから、新人さんがある程度のレベルまで出来るように育ってからAさんが教えるというのでも十分なんじゃないですかね?」
「確かにそうですね」
話の詳細は省きますが、こんなような問いかけをしていったことで管理職Aさんの悩みは少しだけ晴れたようでした。
「自分が今までやってきたこと」というのを基準に考えると、新しく始まったことについて「こんなんじゃだめだろ」と思ってしまうというのは、他社のケースでもこれまでに数多見聞きしてきました。
でも、「なぜそれが行われているのか?何のためにやっているのか?」が明確に理解できると、途端に“納得感”が得られるというケースも同様に数多見てきました。
もちろん、この企業の経営者の方も管理職Aさんにも、新しく教育を担ってもらうBさんにも説明はしてくれているのを知っています。
ただ、その“説明”の内容がAさんやBさんに思ったようには受け取ってもらっていなかったのかもしれませんし、もしかしたら、Aさんが置かれている仕事の現状の中で“解釈”が想定されていたものから少し変わっていってしまったのかもしれません。
いずれにしても、経営者側が本来意図した内容とは別の受け取り方をされていたということが見えてきたわけですが、“そもそも”から問いかけをしてみたことで、社内の現状や自分自身の現状や周囲の人の現状というモノを俯瞰して捉えることができたからこそ、今回のAさんの納得感に繋がったのかもしれません。
“目の前で起きていること”という現実は一つしかありませんが、その“現実”をどう捉えるのかは、それを見ている個人個人の価値観にもよるでしょうし、どんなバイアスがかかっているのかにもよるでしょうし、その時その人が置かれている状況によって得られる情報も変わってきてしまいます。
だからこそ、「一回伝えたんだから大丈夫」なんてことはありません。
何度だって同じことを伝えていく必要があるんじゃないかと思います。
時には手を変え品を変えて同じことを何度も伝える必要があるんじゃないかと思います。
相手が“納得感”を持ってその大事なことを受け止められるようになるまで諦めずにめんどくさがらずに、何度でも。
そうやって働きかけることでしか“協働”なんていう難しいことはできないんじゃないかと思っていますし、この難しいことをやっていくために必要なことは「何度でも話をする」という極めてシンプルなことしか乗り越える方法は無いんじゃないかとも思っています。
“為すべきこと”があるのであれば、このシンプルで難しいことをやり続けるしかないのかもしれませんから、諦めずにめんどくさがらずに一緒に頑張っていきましょう。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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