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男に二言は無いって言うけれど

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

ここのところ“考えが変わる”という体験を立て続けてにしています。

それまでずっと「これが自分の考えだ」と自分自身で認識していた“従来までの考え方”は、それこそもう長い間ずっとそう自覚していた考え方だったので“自分自身の軸”のようなモノだとも認識していました。

でもその“従来までの考え方”から“今の考え方”に変わってしまった今となっては、その“従来までの考え方”をしていた自分自身に対して「自分があの考え方に囚われてしまっていたから現状が今こうなっているんだよなぁ」という反省をしまくっているような状態です。それこそこれまであまり使いどころが無いと思っていた“猛省”というのは「こういう時にこそ使うんじゃないだろうか」としっくりきているくらいに“従来までの考え方”をしていた自分自身の決定や行動を省みています。

「どうしてそんなに考え方が変わったのか?」という“考え方が変わった理由”については自分の中ではハッキリと答えが出ています。

とっても端的に言うなら「切実だったから」ということに尽きるんですが、なぜその“切実さ”を持つに至ったかとなると、それはとにかく“現状”が自分の考える目指すモノに対してイメージしていたよりも随分と距離が離れているよなぁと客観的に眺めることができたからです。

“従来までの考え方”をしていた僕から見ても「この辺まで走ってきたんだからそれなりに“目指すモノ”に近づいているはずだよなぁ」と走ってきた道のりを振り返るのと、目指すモノまでの距離をあらためてザックリ計測してみたところ、これがとんでもなく離れていたことに気が付いたわけです。

そして、「その大幅なズレを生んでいるモノが一体何なのか?」ということを冷静に考えてみたところ、その根本にあるのは何をどうやって考えてみたところで僕の内側にあった「“従来までの考え方”が全ての出発点だろう」という仮説が立ったわけです。何をどうやって考えてみたところで、全ての道筋がその仮説に辿り着いてしまうので「これはもう確定だな」と認めるしかありませんでした。

そうして、「このままじゃいけない」という切迫感によって、“自分がこれまで敢えて遠ざけてきていたモノ=自分には必要が無いと断定していた考え方に纏わるモノ”について、まずは“知る”ということを始めることにしました。

これまでは“それらのモノ”について一切知らず感知せず無視した状態で走ってきたわけですがそれでも今のところここまでやってこれていたという現実もあったわけなので「これでいいんだ」と思い込むこともできました。
もちろん今でも実際には“従来までの考え方”はこうやって前に進むことができている以上は「それが正解である」ということの証左だと確信しています。

とは言え、その“従来までの考え方”では僕が目指しているモノまで辿り着くのには、「僕がイメージしている時間の流れの中で辿り着くことはほぼ不可能である」ということも現実として受け止める必要があるのが今の現状です。

であれば、今の時点では僕の中にあった“従来までの考え方”は「今の段階では時期尚早である」と一旦認識することが必要なんだろうなということを受け止めることにしました。

そのうえで、僕の中の“従来までの考え方”では「そもそも歪で機能不全な不必要なモノ」と認識しているから遠ざけてきていたモノについて、一度、その全体像と詳細をしっかり知って考えるために“学ぶ”ということをしてみることにしてみました。

そうしてそのモノについて“学び”を進める中で、“従来までの考え方”から“今の考え方”に変容することになりました。

とは言え、自分の“従来までの考え方”は特に棄て去ったわけでもなければ否定しているわけでもありません。あくまでも「時期尚早である」だけで、いずれそうなっていくと考えているのは変わりません。

でも“今の考え方”では、その土台というか基礎というか前提というか、「此方と彼方を繋ぐ部分をしっかり作っていくことが必要である」と考えるようになった感覚です。

この“繋ぐ部分”とは、例えて言うなら、急こう配の坂の下から坂のてっぺんまで最短距離で上がろうとすると途轍もなく急で段数も途轍もなくたくさんある階段を歩いていかないといけないので物凄く体に負荷がかかってしまうから心肺機能が高くて体力がある人じゃないと素早くは登れないけど、一方で、少し離れたところには、折り返しが幾重にもなっているから総距離こそ長いけど緩やかな勾配で手すりもついたスロープがあるので、足が悪かったり体力があまり無くてもゆっくり歩みを進めていけばいずれはひとまずは坂の上の方までは辿り着くはずなので、階段ではなくてスロープの方を進んでいくことにした。そんなイメージでしょうか。

自分自身について「心肺機能が高くて体力があって途轍もない健脚だ」という誤認識をしていたことに気が付いたので、急こう配の高段数を走って登ることは諦めて、総距離は結構あるけど緩やかなスロープをのんびり且つ着実に進んでいくことにしたからこその“猛省”です。

階段を駆け上れたらカッコ良かったんですけど、ちょっとまだ自分にはそれがカッコ良くできるだけの力が備わっていないことがわかりました。そのルートは早すぎました。

こうして“従来までの考え方”から“今の考え方”に変わっていったわけですが、それもこれも“目指すモノ”に辿り着くためであってそこは全く変わっていないわけなので「辿り着きさえすれば結果は一緒である」わけで、そのための手法や道のりは別にどうだっていいんだよ、と“以前の自分”も納得をしたからこその“従来までの考え方”をしていた自分に対しての猛省です。

本当に、あのまま進んで行ったとしたら近い将来、前に進むことができなくなってしまっていたかもしれないと思うと今回の“己の変わり身の早さ”に感謝する日がきっとくるんだろうなと思っています。

朝令暮改もバッチコイ。男には二言も三言もありまくりです。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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