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エントロピーは増大しながら物語は続いていく
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「万策尽きたか・・・」
これまでに、そう思ってしまったことは幾度となくありました。
そして、その時の絶望感ときたら、それはそれは言葉にしようと思ってもどう言ったらいいのかわからないからこその“絶望感”という言葉なのかなとも思っています。
だけど、幾ら万策尽きようとも絶望しようとも、「自ら強制的に終了させる」とか何らかの力が働いて「強制的に終了させられてしまう」ということでもない限りはその後も“その状況”は続いていってしまいます。
そうして、万策尽きて絶望したまま“その状況”が続く中でも、諦めてしまって全てを投げ出して「もう何もしない」という状態にでもならない限りは、必ず“その状況”には変化が起きます。
その変化は、時間の経過と共に自然発生的に起きるのかどうかはわかりませんし、ただただ投げ出さずに継続していたから積み重なった何かが働いたからなのかどうかもわかりませんが、必ず変化が起きます。間違いなく。
でも、その起きた“変化”に気付いてそれを何らかの契機にしようと思えるかどうかや、何らかの契機にするための行動を起こせるかどうかは誰にもわかりません。その“変化”はもしかしたらとても微細なモノで、よくよく見ておかないと何も起きていないような程度のモノかもしれませんし、それまでの日常と何ら変哲の無いモノと同じように見えるのかもしれません。
だけど、ありとあらゆるモノは_それが物質だろうが質量も形もない想念のようなモノであろうが_必ず変化していきます。
例えば、小さな子どもと毎日一緒に暮らしているとなかなか子どもの変化(成長)に気付きづらいけど、たまに会う親戚は「ちょっと見ないあいだに大きくなったねー」なんて声をかけるというのはどこにでもある光景ですし、自分が住んでいる家や使用している日用品や車なんかの変化にだって自分はなかなか気付かなかったり、自分自身の容姿が年々変化していることにだって自分は気付かないけど久々に会った友達や知り合いには「お互い年をとったよなぁ」なんて言われたりするように。
そんな変化があるわけなので、「万策尽きたか・・・」とその時に思ったとしても、実際にはその後も“その状況”が続く中で、別のタイミングでは「万策尽きたと思っていたけど、今こうして眺めてみるとまだやれそうなことはあるような気がする」なんて思えるようになってくるのは当然と言えば当然なのかもしれません。
もちろん、そう思えるんだとしたら、きっと絶望した後も本当の意味では諦めずに「何とかしないと」と思っていて、効果が出ている実感が持てないながらも取り組み続けてきたからこその“別の方策”が見えてきたということなのかもしれません。
そんな風に、希望を持って何らかの取り組みをやってみてやり続けてみて、だけど、思ったようには上手くいかなくて「万策尽きたか」と思いながらも、それでも諦めるわけにはいかなくて模索しながら前に進もうとしている中で「これならいけるんじゃないだろうか」と思えてきた新しい取り組みとしての次なる一手。
最近、あらためてウチに仕事の依頼をしてくれる方々から聞いたり見たりしてきた情報を全て確認し直して分析してみたら、そんな「万策尽きたか・・・からのリトライの一手」としてのウチへの依頼だったんじゃないだろうかということが見えてきました。
とは言え、これはあくまでもウチが分析してみて「そうなのかもしれない」くらいのものではありますが、そういう仮説を立ててみてみると確かに一貫性のようなものが見えてくる気がしています。
逆に言えば、“最初の施策”として上がってくる選択肢ではないでしょうし、幾つあるのかはわかりませんが幾つかあるだろう段階を踏んでからの一手としての選択肢になってくるんだろうというのも見えてきました。
そうやって考えてみると、確かにそれはウチの使い方としてはある意味では「それしかないだろうな」と自分達としても納得感のある使い方でした。
こうやってあらためて眺めてみると、「自分達のやっていることは変わらない」と思っていたけれども確かに時間の経過とともに“変化”が起きていることを認めざるを得ませんし、やっぱりありとあらゆるモノゴトは全て変化するんだなぁと実感しています。
ちゃんと観察して正しくその変化を見て取ろうとしておかないと、せっかくそこに何らかの契機があったとしてもそれを上手に使うことができないということになってしまうし、そもそも大前提として「ありとあらゆるモノゴトは変化していく」というエントロピー増大の法則のようなことも大前提にしたうえで含めて考えていかないと色々と見誤ってしまうことになるわけです。
そりゃあ、ここいら辺を見誤っていればアプローチも間違えるし、もしかしたら必要としているかもしれない人にも何も伝わらないし届かなかったはずだよなぁ・・・と過去を反省して頭を抱えているところです。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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