違うんだからわからないのがデフォルトです
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「今どきの若い人達、Z世代って言うんですよね?そう言われてる若者にはどうやって対応したらいんですかね?」
久しぶりに入社してきた20代の社員さんへの対応について「どうしたらいいんだろう」と日々悩んでいる50代の上司の方からこんな相談を受けました。
“Z世代”という名称を若者である本人たちが自称しているところには今のところ出くわしたことはありませんが、我々のような“Z以外の世代”からすると“今どきの若者”についてこんな風にラベリングされていると何となく何かが分かったような気がするからなのかはわかりませんがこの“Z世代”という呼称を、地方の中小企業でも聞く機会が増えてきたように感じています。
今までは「全然応募が無いよ」と言っていたその企業でしたが、ウチが関わらせてもらうようになってちょっとだけ“求人票のつくり方”や“求人の出し方”のお手伝いをさせてもらったところ、タイミング良く応募があり採用を決めたのが“Z世代”の20代の若者でした。
ただ、その若者が入社してくるまでのその企業での最若手は“30代前半”の男性社員だったので、本当に久方ぶりに“20代前半”の若者が社内にいる状況に最初は誰もが嬉しそうにしていました。
それから数か月が経ち、その20代社員の教育を担っている50代の上司にあたる方が“関わり方”について悩みを持つようになってきたようでした。
僕自身もその20代の社員の方と話をさせてもらう機会があったので、その時の言動から感じた印象と、そこから見立てた“どういう人でありそうなのか仮説”について根拠とともに説明をさせてもらいました。
とは言え、それが“Z世代”についての説明になっていたのかどうかはわかりません。何しろ“Z世代”の特徴について何かを断言できる程にはその世代の若者達から1対1で話を聞かせてもらえた機会はそこまで多くはありません。
ただ、ここ数年は、ほぼ毎週のように県内にある幾つかの大学の授業にお邪魔しては学生さん達の様子を観察したり、授業の中で交流させてもらう機会があったので、県内の中小企業の経営者の中ではかなり“最近の若者達”についてのリアルな知見を持っているんじゃないかとは自負しています。
そんな知見+実際に20代社員の方とお話をさせてもらった時のことを併せて考えてみることで、上司として対応する際の“幾つかのポイント&気を付けた方がよさそうなこと”をお伝えさせてもらいました。
ただし、その“ポイントなど”の大前提として「なぜ、そういう状態になるのか?」ということについても幾つかの“仮説”を押さえておいてもらうことをしてもらいました。
それらの大前提が無ければ「なぜそうなるのか?」について全く理解することができなくなってしまいます。
特に、50代の上司の方と言えば僕とあまり変わらない“昭和の時代”の真っ只中で育ってきて、昭和の香が色濃く残っている“平成の時代”に社会に出て生きてきてきた年代の方ですから、それらの大前提をできるだけ深く理解してもらわないことには、“今どきの若者の考え方や行動”を受け止めることができるようにはなりません。それくらいに“昭和の時代”とは何もかもが違うからです。
そうしてようやく「そんなに違うんだったら確かに自分達の頃のように関わったって育ってくれないだろうしすぐに会社を辞めちゃうことになるかもしれないよなぁ」と納得感を持って“今どきの若者”に思いを馳せることができるようになってくるわけです。
そうやって大前提を共有することができてはじめて、「じゃあ、どうやって関わっていきましょうかね?」ということを建設的に考えていけるようになっていきます。
世代が変われば何もかもが変わりますし、時代が変わればありとあらゆるコトが変わります。
それは誰のせいでもありませんし、誰かが悪いわけではありませんし、当然ながら“昭和のヤツラ”が悪いわけでもありませんし“令和のヤツラ”が悪いわけでもありません。
ただ単純に“違い”があるだけです。
でも、そういった“違い”を認めて受け止めていかなければいとも容易く“分断”や“断絶”が発生します。同じ組織の中であろうが、同じ共同体の中であろうが、とても容易くそれらは発生してしまいます。
だけど、「確かに、そこに“違い”があるよね」とお互いに認めて受け止めることができたとすると、「とりあえずここにこれだけ“違い”があるから、それを前提として一緒に考えようよ。どうしていったらいいものかを」なんて歩み寄って思いやっていけばそれでまあまあ円満にやっていけるんじゃないかと思っています。
だって、どれだけの“違い”があったところで「今ここに在るこの会社で働く」ということを選択して決断したのであれば、生まれ育った時代がどれだけ違ったとしても“何かしらの同じモノ”を持っているとう事実がそこにあるわけです。
そして、「同じ会社で働く」ということは「同じ目的を共有している(はず)」であるわけです。
そうであるなら、同じ目的に向かって助け合いながら仕事をしていった方が、お互いにとって、自分自身にとって「役に立つこと」になるはずです。少なくとも“分断”したり“断絶”したりすることに比べたら、話にならないくらい圧倒的に「役に立つこと」ができるのは考えるまでもないはずです。
世代も時代も違えば、考え方も価値観も何もかもが“違う”のは最早考えるまでもなく当然ですから幾ら悩んでみたところでそれだけ違えば「何もかもわからない」のも当然です。
それくらい「違うしわからない」んですから、お互いに“わかろうとするための取り組み”をしていけばそれで済む話なんじゃないかなと思っています。
お互いに相手のことを知るために質問をし合って語り合えば、それをする前よりは確実に「わかる」ことが増えていくのもまた当然です。
とは言え、人と人はどこまでいってもどれだけ対話をしたところで「全てわかる」という状態になることはありません。
でも、「100%わかり合うということはないんだな」ということをわかることはできるんです。
「わかり合えないをわかり合う」ことはできるんです。
そうやって「わかり合えないをわかり合う」ができたとしたら、相手が“Z世代”だろうが“さとり世代”だろうが“ゆとり世代”だろうが“氷河期世代”だろうが“バブル世代”だろうが“団塊の世代”だろうが自分と同世代だろうが特に悩むことも困ることも無くなるんじゃないか、なんてことを常に妄想しています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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