わからなかったのはわかってなかったからだった
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「〇〇が△△なのはどうしてなんだろう?」
いつもこんなことばっかり考えているんですが、相変わらず一人で考えていてもなかなか考えは進んで行きません。
これはもう自分の特性なんだと割り切っているので、考えを先に進めるためには仲間と対話をするしかありません。
対話をして考えを先に進めていかないと“怒りモード”で足踏みをしてしまうことになってしまいます。
例えば、冒頭のように「△△なのはどうしてなんだろう?」と一人で考えはじめると、段々と「なんで△△のままなんだよ」という風に“怒りモード”になって頭の中が停滞してしまって、何一つ建設的なことを考えられなくなっていくわけです。
そんなムダなことに時間も体力も費やしてしまわないように、できる限り仲間との対話で考えるをしていこうとしています。
そうして対話をすることで、冒頭のような“問い”から始まっても堂々巡りに陥ることなく、順調に考えを進めていくことができるようになっていきます。
そうして、ここのところずっと考えるともなく考えていた"あること”について自分なりの結論めいたものが出てきました。
その結論めいたものが出てくるまでは「あーでもない、こーでもない」と色々と紆余曲折していた考えですが、出てきた瞬間に「どうしてこんなシンプルなことに思い至らなかったんだろうか」と自分のボンクラさ加減に嫌気がさしてきたわけですが、それでも、この結論めいたものが出てきたことによって無駄に“怒りモード”になる必要もなくなりますし「△△なのはどうしてなんだろう?」と深まる謎に頭を悩ませなくてもよくなって、頭の中も心の中もスッキリした感じになりました。
それに加えて、この“問い”に一つの結論が出せたことによって新たな“人間理解”も進みました。「なるほどね、だからそうなるのか」という感じで、今まで僕には全く理解もできないし見えてもこなかった“とある言動”の裏側というか奥側に存在しているモノが一体何なのかが明らかになってきたような感覚です。
「そこに何があるのかがわかった」というよりも、「そこに在ると思っていたモノが、実は存在していなかったことがわかった」という感覚に近いかもしれません。
「そこには“何か”が在る」と思っていたからこそ、「△△なのはどうしてなんだろう?」とずっと考えていたけれども答えがずっと見つからずに、どうしてそういうことが起きるのかが皆目見当もつかずに戸惑っていたわけですが、「そこに在ると思っていたはずのモノが、実は存在していなかった」のであれば「△△なのはどうしてなんだろう?」に対して真っすぐに考えるだけで答えが自然に導かれてくるわけです。
「そこには、当然に在るだろう」と思っていたことが、僕自身が抱えている強めのバイアスであり、僕が自分以外の全てのモノに抱いている期待であって、現実的にはそのバイアスや期待は「ほとんど存在していない」というリアルがただ在るだけだったということがハッキリわかったタイミングでした。
この体験を通じて、「自分は、自分以外の全てに“期待”しているし、自分自身にも“期待”してしまっている」ということを強く思い知らされました。
そして、その“期待”によって“現実”を正しく見れなくなることが多々あるってことも(薄々気付いてはいましたが)明確に理解できました。
「“期待”というバイアスによって“現実”を歪めて見てしまっているのかもしれない」
そんな疑念を常に自分自身に向けながら“自分”や“自分の考え”を検証し続けることが必要だよなぁと強く感じた出来事でした。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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