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よーく考えよう何が大事なのか

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「売り手よし、買い手よし、世間よし」

この“三方よし”という考え方が、僕はとっても気に入っています。

元々、近江商人が商売をするうえで大事にしていた考え方だということですが、この“三方よし”はどんな仕事をするうえでも必要だと思っていますし、そもそも仕事以外であっても“自分と他者が存在する場や状況”であればこの考え方を基準にすることで、物事は“よいもの”になるだろうということが理解できてきます。逆に言えば、この“三方よし”が欠落しているところには必ず諍いや揉め事や争い事が起きているし起きてしまうことになってしまって、その物事が持続することはできないという結果になるんだろうなと考えています。

例えば、ウチの会社もそうですが「他者をサポートする」といういわゆる“支援職”と呼ばれるような仕事の場合で考えてみると、この場合の三方は「自分よし、相手よし、世間よし」という感じになるわけです。

「他者をサポートする」という仕事ではありますが、まずは「自分よし」になるための方策でなければいけません。なぜなら、それがどんなに献身的な内容で「他人よし、世間よし」の内容になったとしても、必ずどこかの段階で続けていくことができなくなるからです。例えば、支援をする側の人がストレスフルになって心身にダメージを負ってしまうとか、サービスの質が段々と低下していくとか。しかも、想像よりも早い段階で「続けられない」がやってきます。だから、まずは「自分よし」になることが第一条件です。

次に「相手よし」になるための方策でなければそもそも仕事としては(仕事以外でもそうですが)成立しませんので、これは言うまでもなく必須です。

「自分が誰かのために何かをする」というのが仕事では大前提中の大前提ですから「相手よし」が存在しないモノは仕事ではなく、ただの「自分が自分のためにする趣味」でしかありません。「相手よし」は言うまでも無く当たり前に叶えなければならないものです。

とは言え、「じゃあ、“相手よし”になるのであればどんなことだってしなければならないのだ!」となるとこれまたおかしなことになるわけです。

そして、そんな“おかしなこと”の最たる例が“相手”である“お客様自身”が「お客様は神様じゃねーのかよ!」とサービスを提供してくれる側に対して発言したり「お客様は神様なんだから」と言って無茶苦茶な要求を通そうとするいわゆる“カスハラ”だったりするんだろうと思っています。

こんな“カスハラ”が色んなところで多発しているのも、そもそも「三方よし」の考え方をしていないからこそ起きているんだなぁとしみじみ感じます。

最後に「世間よし」になるための方策であることも必須です。
どんなに“自分”と“相手”が「この取り組みって最高だよね!」と同意していたとしても、その取り組みが“世間”に対しては“害をなすもの”だったり“悪をなすこと”だったりすれば、それは当然やってはいけないことだしその取り組みが持続するはずもありません。“世間”にとって「よし」となることでなければどんなに「これからもずっと続けていきたいんだよ」と切望したところで続けることはできなくなります。

“自分だけ・“相手だけ”とか“自分と相手だけ”が「よし」になるような物事は、そもそも仕事だろうが仕事以外の取組みだろうが必ずどこかで歪みが生じて長続きさせていくことはできなくなります。それを示してくれているような事例が、巷を見渡していると枚挙に暇がないくらい様々なところで話題になっては消えていきます。どれだけたくさんのお金が動いていた仕事だったとしても、結局は“三方よし”を考えていないからこそ、“自分よし”だけだったからこそ、“自分と相手よし”だけだったからこそ、巨万の富を築いたはずが一瞬で崩壊していくわけです。

でも、どれだけ細々とした営みであったとしても「自分よし、相手よし、世間よし」の“三方よし”がしっかり考えられたうえでの取り組みであれば、それは続いていきますし続けていくことができるわけです。

なにしろ“三方よし”を考えるためには、「自分のこと、相手のこと、世間のことを常に考える」ということが含まれます。そうしなければ、それら三方を「よし」にすることはできないわけですから。

そうやって三方のことを常に考えているということは、「自分自身のことを“よし”にできるように、自己理解を深める必要があるから内省が必要になる」わけですし、「相手のことを“よし”にするためには、他者理解を深めるために観察が必須になる」わけですし、「世間のことを“よし”にするためには、時代の流れをよく観察したうえで“時世の変化”に合わせて自分も変化していく必要がある」わけです。

そして何より、これら三方を「よし」にするためには、自分がやれることを、自分の知識や技術や技能を、自分の実力を、自分自身を“学び”によってアップデートし続けることが絶対に必要になってくるわけです。

そんな取り組みがこの言葉の内側には含まれているんじゃないのかなと思っていますし、それを僕自身がずっとやっていかないといけないと考えていますし、それに取り組んでいるつもりではいるけどやればやるほど「全然足りてない…」ということを思い知らされ続けているからこそ、まだまだ遥か彼方だなぁと思うからこそ、「三方よし」を実現できるようにするために自分の中の仕事の基準はいつだって「三方よし」からズラさないようにしています。

それをやると、

自分はよくなりますか?

相手ははよくなりますか?

世間はよくなりますか?

この三つを「よし」にすることができないのであれば、そのアイデアも取り組みも全て間違いだから考え直さないといけないし、この三方が「よし」になるなら、例えどれだけ利益が少なかろうと、時間がかかろうが、めちゃくちゃ大変だろうが、しんどかろうが、それはきっとやった方が良いことなのかもしれません。

だから、俺よ、よく考えろよ?

“三方よし”にするんだぞ、「やりたい」だけじゃダメなんだぞ。

よーくよーく考えろよ?



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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