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その境地への道のりはまだまだ遠いかもしれない

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「段取り八分」なんて言葉を耳にする事がよくあります。

文字通り、「物事の大部分は“段取り”が占めている」という意味合いの言葉です。
「準備が全てを左右する」なんて言われ方でもあるかもしれません。

それくらい、“段取り=準備”というのは色んな物事を進めるにあたって、とても重要な部分なんだなと感じます。

自分自身の仕事においても、確かに“段取り=準備”でほとんどが決まっていくというのはよく感じます。

例えば、昨日実施した榛東村商工会青年部さん主催の『Instagramはじめの一歩』セミナー(全5回)も、事前の打ち合わせやニーズヒアリングにご協力いただけたからこその企画立案だったと思いますし、村内の事業者の皆さんへの周知を榛東村商工会や青年部の皆さんがしてくれたからこその当日の参加者数だったと思いますし、会場押さえや会場セッティングをしていただけたからこその当日のスムーズな運営だったと思います(もちろん、セミナーの内容に関してはウチの準備があったというのもしっかり記載しておこうと思います。自画自賛も忘れずに)。

それら全ての準備が功を奏したからこそ、あの当日の盛り上がりや一体感が生まれたんじゃないかなと感じています。

直近の仕事でもそんな風に、「段取り八分」をまさに実感するような事がありましたが、仕事以外の部分でもこれを痛感する出来事がありました。


それは、今朝、いつも通りに家を出発しようとした時の事でした。

いつものように、車のエンジンをかけてしばらく置いておいた後、車に乗り込んで出発しました。すると、ブレーキをかけて止まる度にエンジン音が何やらいつもと違うリズムを刻みます。

と言うか、滅茶苦茶に揺れます。カーステレオから流れている『宮本、独歩。』に合わせて朝から熱唱していた僕の声が震えるほどに揺れるんです。

そして、その揺れ方は、車の知識が一切無い僕からしても「今、まさにエンジンが止まるかもしれない」という予感を掻き立てるような揺れ方と音がしてきます。

「おいおい、まさか、これは、車がヤバイという事ですか?」そう思わずにはいられませんし、運転しながら「止まらないでくれ!」と強く祈りながら安全運転を心がけるしかない状態です。焦りのせいか、背中は燃えるように熱く朝から汗でびっしょりです。

会社には近づいて行きますが、一向に車の異音と振動はおさまりません。

焦りながら運転を続けていると、車の計器パネルの一部が明るく光りました。

何だ?と思って、目をやると、これまでに見た事の無い形の警告灯が点いているのが一目でわかりました。明らかに、初めて見る形の警告灯です。一目で「ヤバイやつだ」とわかるやつです。

焦りや最高潮ですし、「走行中に動かなくなったりするかもしれない」なんて予感が頭の中でどんどん大きくなってきて、会社に着く直前にはもう呼吸も荒くなっていたかもしれません。

会社になんとか到着してからは、すぐにPCで最寄りのカーディーラーを探します。事前に色んな情報をチェックしてから、ディーラーの開店時間に電話をしました。

だけど、ディーラー側も今日はとにかく手一杯な様子でしたが、何とか閉店間際であれば見てもらえることになりました。

そこでようやくほんの少しだけ安心できましたが、僕の中では朝からずっと一つの予感が頭を離れません。

「今日、これで廃車になってこの車とお別れするかもしれない」

そんな予感がずっと頭の中にありつつ一日を過ごしました。

そして、予約の時間にディーラーを訪れます。もちろん、異音と異様な振動をする車で。その間も当然ながら、警告灯ランプは点灯し、いつ止まるかもしれない恐怖と闘いつつ、片側三車線の国道を走って辿り着きました。

そうしてソワソワしながらしばらく待っていると、メカニックの方が説明をしに来てくれました。

話を聞くと、正確な事は詳しく調べないとわからないけどと前置きがありつつも、「この症状が出るとしたら考えられる原因はこういう事」という内容と、「なぜそれが起きるのか、その理由」と「それはどの部分のどの部品なのか」、そして解決策である「エンジン周辺のパーツを交換すれば治る可能性は高い」という話をしてくれました。

それを聞いて、僕は心からホッとしました。

もちろん、「車を買い替えないといけないかもしれない」とか「お金がたくさん出ていく事になるかもしれない」とう心配がそれほど必要無いかもしれないという安堵感もありましたが、一番ホッとしたのは、「この車とまだお別れしなくても良いかもしれない」という部分でした。

自分では自覚がありませんでしたが、僕は、自分が今乗っている車に結構愛着を持っているんだという事に、今日初めて気が付きました。

何しろ、説明を受けて安心した時に、カーディーラーのとても明るいショールームの席で不覚にも、一人で泣きそうになってしまっていた事をここに告白します。

僕は、自分自身が「愛着を持って乗っている車と別れるための心の準備が全く出来ていなかった」という事にもここで初めて気が付いたんです。

これまでの人生で、動物や人との別れはたくさん経験してきました。

例えば、死別の場合は、それまでの時間の中で何度も何度も“それ”を受け入れる為の心の準備をしてきていたのを今でもよく思い出します。

それ以外の別れでも、それまでの時間の中で、“それ”の兆候は色んな場面で色んな言動からメッセージを受け取ってきていたのをよく覚えています。

そんな“心の準備”をいつだってしてきていたんだなあと、この時初めて思いました。

だけど、この車は昨日までは何の問題も無く、いつでも元気に僕を乗せてどこまでだって走ってくれていました。

だけど、そんな健気な車の事を、一向に気にかけることなく、ただの足として活用していたのが昨日までの僕でした。

もうすぐ10年経つ、もうすぐ14万キロのこの車は、僕の最高の足にして、紛れも無く僕の愛車です。

メカニックの方によれば、「詳しく見てみないとわからないけど、原因が予想通りならば部品の交換でまた元気に走れるようになるはずです」という事でした。

長年乗ってきていて、たくさんの距離を走っているので、これまでとは違って出来る限り労わりつつも、これからもまだまだ一緒に走っていきたいと思っているので、是非ともまた復活してもらいたいですし、定期的にメンテナンスはしていく予定です。

だけど、「もういつ限界がくるのかわからない」という気持ちも同時に持ち合わせつつ、“それ”が来た時には今回みたいに取り乱さずに冷静に対処できるように、今から、「心の“段取り八分”」を目指して準備を整えていこうと思っています。

そうなってくると、やっぱり忘れちゃいけないのはこの言葉なんだよなぁ。


「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」


これはきっと、八分の段取りを常にし続けるからこそ言える言葉なのかもしれません。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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