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不死身の何かが存在したらそれはきっと妖怪変化の類に違いない

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「変わらない」って難しいなあと、つくづく思います。

例えば仕事において、「変わらない」基準を持って物事の決断をする。
こういう、決断を迫られる場面にはよく出くわしますが、いつも何かを決断する際に思うのは、「この決断は間違いじゃなかったんだろうか?」という事です。

もし、「変わらない」基準を持って決断できているんだとすれば、こんな疑問は浮かんではこないんじゃないかなと思うんですが、「間違いじゃなかったんだろうか?」という疑問が浮かんでくるという事は、やっぱり「変わらない」基準を持って決断できたわけではないのかもしれません。

もちろん、会社としてやっている以上、何らかの基準は持ったうえで判断をしようとはしていますが、それが「変わらない」のかどうかと言われると、僕にとっては「常に変わっている」という言い方になってしまうのかもしれません。

なので、場合によっては、僕の判断基準は「ブレてる」という風に受け取られる可能性は充分にあるんじゃないかなと思います。

「ブレる」って、あまり良い意味では使われない言葉だなという印象があります。でも、「ブレる」って本当にダメな事なんだろうか?そんな疑問も出てきます。

「ブレる」がダメな意味で使われる場面は、やっぱり「基準」や「態度」などの話をする際によく使われるのかなと。
「あの人、ブレブレだよね」とか、「あなたがブレたら下の者はどうしたら良いの?」とか、「ブレてんじゃねーよ!」など、「ブレる」のはダメという使われ方をよくみかけます。

でも、どうして「ブレる」のはダメって言われるんでしょうか?
何がどうダメなのか?それについて、説明してもらえる場面って実はほとんど存在しないような気もしていますし、そもそも「ブレる」を指摘する側の人達が率先して「なぜブレてはいけないのか?」について解説してくれる状況に遭遇した事もないような気がします。

例えば、物理的に何かを工作するとか、何かの建造物を作るとかという場面で、それらの支えになる支柱とかの基準が「ブレる」となると、そもそもの工作も建造物も出来上がらなかったり、出来たとしてもぐずぐずになっていくのは容易に理解できます。だから、「ブレない」とか「変わらない」というのは、物理的には重宝されるのは理解できる場面が多く存在するだろうなとは思います。だけど、「変わらない」という事は、「そのままずっとその状態であり続ける」という事を意味するので、その「変わらない」物を取り巻く状況が「変わる」としたら、「変わらない」であり続けるその物は、状況次第では、疎まれる存在になるんじゃないのかなとも思うんです。

それを歌っているのが、ハイロウズの『不死身の花』なのかなと。歌の中にこんなフレーズがあります。

「永遠にずっと変わらないなんて燃えないゴミと一緒じゃないか」

この歌の場合は、「花」なので、その「生まれてから咲き誇って散っていくまでの生き様=変化の様子」に美しさが宿っているのであり、決して、永遠に咲き続けてずっと変わらない「花の形をした何か」に価値を見出しているわけではない(もちろん、状況次第では、それ自体に価値を見出す事もある)んじゃないのかなと思ったりしています。

だけど、観念上における基準で考えるとどうなのか?例えば、自分が関連する状況で容易に想像できるのは、会社における仕事の基準とか集団における基準などというものについては、「ブレない」という事が効果を発揮する場面もあれば、「変わる」事が最大限の効果を発揮する場面もあるよなあと。

そうなると、大事なのは、常に「最良だと考えられる状態に近づけ続ける」という姿勢が一番重要なんじゃないかなと思えてくるんです。

「どうすれば、今より良くなるのか?」

それを考え続けて、実行し続けるという事は、
「ブレる」とか「変わらない」という事に価値を見出すのではなくて、「今より良くなる為に」を考えた結果、「変わる」とか「ブレない」とかという結果がついてくるだけ。そんな考え方が大事なんじゃないかなと思うんです。

「ブレる」とか「変わらない」というのは、あくまでも、「結果的にそうなっているだけ」であり、「ブレない」とか「変わる」ということ自体は目的ではない。目的は、「今より良くなる」という事だけ。それを追い求めた結果、今この瞬間は、今あるこの状態に辿り着いたというだけであって、明日には何が「良い」のかは変わる可能性が常にあるし、今のまま動かない可能性だって常にあるし、「変わる」と「変わらない」以外の「第三の状態」という選択肢も、もしかしたらあるのかもしれない。例えば、受動態と能動態だけだと思ってた世界に、中動態という概念が、突如さし込まれた時のように、ただ自分が知らなかっただけで、それがあるともっと世界の理解が進んでしまうような「第三の状態」もあるかもしれません。

そんな風に、今は思うんです。

「ブレる」からどうしたのか?
「ブレない」から何なのか?
「変わる」からどうなんだ?
「変わらない」から何なのだ?

それは、「手段」でも「目的」でも「結果」でもないんじゃないのか。

ただどこかの一瞬を切り取った時の「状態」が、比較したい一瞬とのコントラストで、「そう見える」ってだけの事なんじゃないのか。


そんな風に考えると、僕が何かを決断する時のプレッシャーも軽くなるのかもしれません。そうであって欲しいと、自分に言い聞かせています。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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