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彼の言う通り想像力は未来なのかもしれない

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

本を読んでいて感じる事の1つに、「読み進めやすさ」があります。端的に言うと、「スイスイ読める本とそうでない本に分かれる」という事です。

ある本は、読んでいると自分でも気づかないうちに本の内容に集中して没入しながら読んでいると、いつの間にか時間が過ぎていたりします。読んだ内容はもちろん頭に残っていますし、面白い本だなと思いながら読んでいる感覚があります。

ある本は、開いた本の右端から左端まで今まさに読んでいたはずなのに、内容がまったく思い出せなくてまた右端に戻って読み直したりします。読んだ内容はもちろん頭に残っていないし、面白い本かどうかもいまひとつ掴めないし、没入できるような感覚は得られません。しかも眠くなる。

この時、どちらの本もページ数や余白などにもそれ程の大きな差はありませんし、そもそも自分が興味を持って「読みたい」と思って買った物であることがほとんどです。

こんな風に、僕という1人の人間が、本を読むという全く同じ行為をしていても「本」が変わると起きる現象が全く変わってくることがあります。

で、ついこの間、そんな「読み進めにくい本」を読んでいる時に、ふと考えてみたんです。「この違いってどこからくるんだろう?」と。
この時は、たまたま「読み進めやすい本」と「読み進めにくい本」を何冊か同時期に併読していたので、こんなことを思いついたんです。

まず「読み進めやすい本」を読んでいる自分の頭の中でどんな事が起きているのかを、思い出しながらわけてみました。
そうすると、「読み進めるリズムが良い・文章を読むスピードが早め・内容がしっかり理解できる・内容を読みながらそれに関連する事を考えつつ読んでいる・イメージが鮮明に浮かぶ・読んでいても疲れない」などが起きている事がわかりました。

次に、「読み進めにくい本」を読んでいる自分の頭の中はどうなっているのかを思い出すと、「読み進めるリズムが生まれない・文章を読むスピードが遅い・わからない言葉によく出会う・難しい内容で理解するのにエネルギーがいる・文字を目で追いながら全然関係ない事を頭の中で連想する事が多い・話のスジが頭に残らない・何のイメージも浮かばない・とても疲れる」という状態でした。

どちらも「読書」という同じ行動をしている僕の中で、ほとんど真逆の現象が起きている事がわかってきました。我ながら、とても納得のいくメカニズムが働いているだという事がよくわかりました。

じゃあどうするか?と考えてみたんですが、とりあえず、本を読みながら自分の行動で対応できる事から始めてみようと思ったんです。

そうなってくると、「リズムが生まれない」「スピードが遅い」というのは「わからない言葉に出会う」「難しい内容で理解するのにエネルギーがいる」という辺りが、一連の流れとして起きている事であって、これの解消にはボキャブラリーの増加とかが必要なので、今すぐ自分の行動を変える事で何とかするのは難しいんじゃないかと思うので、これは一旦置いておくとして。

じゃあその次を見ると、「文字を追いながら全然関係ない事を頭の中で連想する」から「話のスジが頭に残らない」んだろうけど、それは「何のイメージも浮かばない」がその原因なんじゃないのかなと。
てことは、「書いてある事を無理やりにでもイメージしてみる」という脳内で行う行動によって、もしかしたら、「読み進めにくい本」を「なんとか読み進められる本」にする事ができるんじゃないのかなと考えたので、これを最近ではやってみているところです。

で、やり始めてみるとこれがなかなか面白いんです。

何と言うか、ある意味で「瞑想」に似ている印象を持っています。ここで言う「瞑想」は、いわゆる呼吸の「吸う」と「吐く」だけに集中しながら、「雑念」が浮かんで来たらその「雑念」が浮かんできたという事を客観的に感じて、また呼吸だけに集中するという「瞑想」の事を言っているんですが、これにとても似てるなあと思ってるんです。

本を読みながら文章に書いてある事を「イメージ」して、その内容をどんどん読み進めていく。例えば、僕からすると「経済」に焦点が当たっている本を読む時は、そこに書いてある多くの事柄や独特の単語などを「難しい」と捉えてしまうし、分からない事が多いからなのか、「イメージ」が自動で浮かぶことがほぼありません。なので、それを無理やりにでも「イメージ」として描き出しながら読み進めていくような感じです。
これをやってみると、「イメージするぞ」と思って読んでいるはずなんですが、気が付くと全然関係ない事を連想してしまっていたり(例えば、その日に起きた出来事を思い返してたりとか、何食べようかなと思ってしまったりとか、恐らく脳みそが逃避し始めているのでは?)するんですが、その時に、「瞑想」のようにその「雑念」が浮かんでる事を客観的に感じて、また文章の「イメージ」に戻る、というような感じです。

やり始めた時は、なかなか慣れないし、エネルギーを使うので疲れるし、「こりゃ大変だな」と感じていたんですが、やってるうちに徐々に慣れてきて、当初はかなり難解な本だと感じていた物も、以前よりも内容の理解が出来ているような感じを得られるようになってきました。何しろ、自分で「イメージ」しながら読んでいるので、「イメージ」を出来たところまではそれなりに覚えていたりするんです。これ、きっと、多くの人にとっては当然の事なんだと思うんですが、僕からすると「目から鱗」くらいの驚きの効果なのです。

やってるうちに気が付いたのは、「いわゆる頭の良い人達は、これをずっとやり続けているって事なのかもしれない」という事でした。
だとすると、1冊から得られる物の量も質も、僕なんかとは圧倒的に違うんじゃないのかなと。何しろ、これをやる前の自分と今の自分を比べても、明らかに1冊の本から得られる物が変わってきた実感があるわけなので。

これに気が付いてから、これまでの自分を振り返ってみると、「自分があまりにもナチュラルであまりにも己の感覚的なモノだけで本に対峙していたし、ただ読んでいただけで、とてつもなく勿体ない事をしてきたのかもしれない」と、反省の気持ちと大きな後悔が押し寄せてきたんですが、よく考えてみた結果、これは仕方ないのかなと思ってもいるんです。

何しろ、「本の読み方」なんて教わった記憶が無いですし、誰かのフィードバックを受けた事も無かったので(脳内の出来事なので他者からのフィードバックを受けられないのは仕方ないですけど)、自分の内面で起きている事を自分で振り返って自分でフィードバックして自分で修正をかけて自分で検証をして…をやった結果、最近ようやく気付くことができたわけなんですから。

この「イメージする」っていう部分、もしかしたら、武道・武術の「型」に通じる部分があるのかもしれないって、今思いました。
武道・武術だと「型は実戦に使えるか使えないか」という論争が昔から根強くあるんですが、「使えない派」からよく出る意見は、「あんな動きじゃ闘えない」「相手は型どおりに攻撃してこない」というものです。
対して、「使える派」からは、「型を練習する時に、しっかりイメージして1回1回を深く練習していれば技は自然と出る」というような意見です。

ちなみに僕は、「型は実戦的」だと思っていて、「型の中にイメージを伴う」事によって得られる効果が段違いだというのを体感として知っているので、確かに、「イメージを伴わない型」は、例え何百回その動きをやっても、実戦に生きる事は皆無だろうなと思っています。「イメージ」が無いままたくさんやっても意味が無かったという体感もしているので。
だけど、「型」と「イメージ」をしっかり合わせる事で、実例を持って「使える」という事を教えてもらい、実感として知る事が無ければ、外から見た「動き」としての「型」なんて準備運動くらいにしかならないし実戦には使えないと断定してしまうのも、これは仕方がないんじゃないかなと思うわけです。「型」の使い方でもある「イメージ」が伴わなければ、それは体操とか踊りとかと何ら変わりが無いのかもしれないし、読書に置き換えてみると、在りし日の僕のように「本を開いて目で文字を追っている」という「動き」としては読書だけど、その内面で起きているのは、全く関係ない事を連想しているという、意味の伴わない「本を読んだ」という行為の結果のみが手に入る、みたいな。

これって、「よく考えなさい、と散々言われてきたけど「考える」というのがどういう事なのか教わる機会が無い問題」とも全く同じような現象かもしれないなあ。

そんなわけで、「本の読み方」に「イメージ」が重要であるという事を僕が知るまでにこれだけ時間がかかってしまったのも、最近ようやく気付いたのも、僕にとってはこれだけの遠回りが必要だったという事なのかもしれないなあと、今は思っているんです。

以前は、「この本が自分に合わなかったんだな」と、全てを本のせいにしていたんですけど、「本を読む」という行動の中にたくさん潜んでいるその構成要素を分解して点検する事で、自分をアップデートできる可能性が見つかって、「以前は合わないと思ってた本も面白く読めむ事ができる」という、これまでの自分では思いもしなかったような状態を作り出すことが出来る場面が増えてきました。

「今まで、まるで頭に入らなかった本を読んできた時間は無駄だった」という風に考える事もあったんですけど、今は少し捉え方が変わって、「今まで、まるで頭に入らなかった本を読んできた時間があったからこそ、ここにきて、本の読み方がバージョンアップしたのかもしれない」と考えています。

もしかしたら、これも「量室転換の法則」の効能なのかもしれないなあ。


そんな風に、自分に都合よく捉える事ができるくらいには景色が変わった感じがしています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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