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おかしいかおかしくないかよりも大事なことがあるかもね

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「これって、おかしいですよね?あかねさんはどう思いますか?」

組織開発で他社に関わらせてもらい、その組織の中の人達に個別に話を聞かせてもらっていると、こんな問いかけにも似た質問を受ける場面がたくさんあります。

この時、この質問を僕に投げかけてくれている目の前の“その人”にとっては、その時に話をしてくれている内容が、その人にとっては「正しいこと」であるというのは理解できます。

そして、「正しいこと」というのは大抵は多くの人にとっても「正しいこと」である場合が多いです。

ただ、“その人”と相反する立場に身を置いている人にとっては「正しくないこと」に見えている場合も多いです。

それがあるから、組織内において“対立”が起きる訳ですし、もっと大きな話にしてしまえば現在の世界情勢を騒がせている“国と国との武力衝突”みたいな事にも繋がるわけです。そう考えると、組織内でもコミュニティの中でも個人と個人の間であっても「正しいこと」の衝突が起きている場面は、程度の差はあれどそれは“戦争”が起きているのと大差はない。僕は常にそう考えています。

“戦争”が起きてしまったら、それを平定するのは並大抵の事ではありません。

これは、組織内やコミュニティ内や個人間でで起きた“衝突”を体感した事のある人であれば多くの人が理解できる感覚なんじゃないかと思っています。こういう衝突が起きた時に、それを平定するのは並大抵の労力じゃあ無理です。そもそも、それを平定するのが簡単にできるのであれば、ハナからそんな状態になるわけがありません。つまり、“衝突”が起きている状態がそこに実現してしまったとしたら、そこにはそれを平定する能力は最初から存在しなかったと言うことは、誰が見ても明らかになっているのは言うまでもありません。

そこから考えてみると、「正しいこと」というのを組織の中やコミュニティの中や個人間において、ただただ主張し続けるというのは、「誰がどう考えてもあまり得策では無いだろう」というのは、ここまでの話を踏まえて考えてみると結構すんなり理解できるんじゃないかと思うんです。だからと言って「誰もが納得できる話ですよね?」とは思っていませんが。ただ、仮に「自分は納得できない」と感じたとしても、「得策かどうか?」で考えてみて欲しいなと思っています。

果たして、お互いに「正しいこと」に拘り続けて、その組織やコミュティや個人間で“争い”や“諍い”が起きるというのは得策ですか?

こう問いかけられれば、誰であっても、「あまり得策とは言えない」という回答になるでしょう。

もしならないとしたら、その理由を聞いてみたいと思っていますし、「自分の気が晴れない」という理由以外にどんな理由があるのか聞いてみたいなと思います(大前提として、その組織やコミュティなどの“自分と他者のハッピーにつながることを目指す”というのがあるというのは言うまでもありません)。

そんな風に考えている僕なので、冒頭の「これって、おかしいですよね?あかねさんはどう思いますか?」という類いの質問については、大体いつも同じように回答しています。

「おかしいかどうかは僕にはよくわかりません。ただ、あなたの立場から見えるモノと、相手の立場から見えるモノが全然違うという事はよくわかります。そうなると「正しいこと」は違ってきてしまいます。だから、お互いに「役に立つこと」を考えていけるといいんじゃないかなと思いますよ」

なんてニュアンスの話をしています。

「正しいこと」かどうかは、立場によって変わります。それは、この世界では普遍的な事実だからこそ、古今東西で“戦争”が絶え間なく起きています。

だけど、「役に立つこと」を自分と他者との間で創り出していく。

そう考えると、わざわざ“争い”や“諍い”なんていう、本来の自分達の目的とはかけ離れた「完全なる無駄な行為」に頭も体も時間もお金も使っているなんて、あまりにもバカげているとは思いませんか?

自分の中の「正しいこと」を守るために、勝てるかどうかもわからない“争い”に身を投じるよりも、自分と他者と身の回りの社会を含めた“三方良し”を叶えるために「役に立つこと」を当事者達で創り出していく方が、どれだけ建設的で、意味のあることで、価値を生み出すのか。これは、もはや考えるまでも無いくらい“自明のこと”である。僕も、ウチの会社も、そう考えています。

「いや、それでも自分は、“正しいこと”だけに邁進して全力を注ぎたい」という方もいるでしょう。

それはそれで良いんじゃ無いかなとは思っています。

ただ、僕やウチの会社とは考え方が全く違うので、“パートナー”として僕たちが伴走していくのは難しいと感じるだけです。それに対して、引き留めはしませんし、考え方を正して欲しいとも思いません。ただ「ああ、自分達とは全く違うし、相容れなかったんだなぁ」と感じるだけです。

僕は、これからも「役にたつこと」を一緒に考えて、行動にうつしていきましょう。

そんなことしか言いませんし、そのためのサポートしかできません。

それが受け付けられないなら、それは、その時点ではきっと致し方の無いことだと思っています。

だけど、いつか、「やっぱり、自分も“役に立つこと”一緒にやりたい」と言ってくれるなら、その時は是非、力を一緒に協力してやっていける道があればいいなと思っています。

こんな風に考えているのは、僕自身が、過去に「正しいこと」に囚われすぎて、全く「役に立つこと」が出来ていなくて途轍もなく痛い目にあった経験をたくさんしてきたからこそです。

だから、僕は誰に対しても同じように話をします。

「“正しいこと”よりも、“役に立つこと”を一緒に考えてやっていきましょう。だから、“おかしいかどうか?”には僕はあまり興味がありません。それよりも、“それって役に立つの?”という問いをたてていきましょう」

いつだって僕は同じような話しかできません。

だって、これより「役にたつこと」が今まで見当たらなかったものですから。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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