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知恵と勇気と冷静さのトライアングルや

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

今日読み始めた本の中に、神学者のラインホールド・ニーバーが書いたとされる『平安の祈り』の一節が載っていました。

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ」

僕は、そもそも“神学者のラインホールド・ニーバー”という人も知りませんし、『平安の祈り』というモノも知りません。この本を読んで初めて知りました。と言っても、その人が誰でどんな人名なのかについては未だに触れられていないので『平安の祈り』を書いた人らしいという事しかわかってはいませんが。とにかく、この本を読んで、この人とその著書(文章?)と内容を知る事ができました(書いた後にネットで調べたらwikipediaのページもありました)

だけど、(恐らく)名著・名文なのであろうこの『平安の祈り』と全くと言っていいほど同様の事は常日頃から自分の仕事の中で大事にしてきましたし、関わる人達にも伝えてきましたし、それを実践するためのサポートもしてきました。

「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ」という一文は、そのまま僕たちが組織開発をするうえで必ず関わる人達に伝える「変えられる事は自分達で変えていきましょう。そのためには勇気が必要です」というのと同じ内容です。

「変えることのできないものについては、それを変えるだけの冷静さを与えたまえ」という一文は、少し違う言い方にはなりますが、「変えることのできないものを柔軟に受け入れましょう」と伝えたりしています。

また、「変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ」という部分については、「自分に変えられるモノと変えられないモノを、よく考えて切り分けましょう」と伝えたりしています。

自分達が仕事の中で大事にしつつ、他者にも伝えているこれらの内容は、恐らく自分達が“無”から生み出した考え方や言葉ではないんだろうと思っています。そもそもこうやって『平安の祈り』と同じような事を自分達が言っているということは、当然ながらこれまでにも同じような事を言っていた人達はいたんだろうし、これからもたくさんいるんだろうとは思っています。

だから、これまでに自分達が学んできたモノの中から、「これがしっくりくる」といったモノを選んで組み合わせて使っていんだろうとは思うんですが、じゃあ一体、誰のどんなモノを組み合わせて使っているのかは、今となっては全くわかりません。だけど、自分達が創り出した言葉でもないし、パクったモノでも無い。

ただただ、「よりよくしていくために必要で重要なことなんじゃないのか」と考えているというだけの話なんです。

単純な話、「自分の行動によって変えたい」と思って行動をしたとしても、「自分には変えられないモノ」に自分の持っているリソースの大部分をかけていたとしても、それはそもそも変えられないわけなので「変えたい」と思っていたその思いに対しては「無駄だった」と言ってしまいたくなるような結果が待っているわけです。

でも、「自分の行動によって変えたい」と思って行動するのであれば「自分には変えられるモノ」にリソースをかけることで、(色んな過程はあるけれども)結果的に「変わる」事が出来るかもしれませんし、仮に「変わらなかった」という結果がその時は出たとしてもそれは「無駄ではない」と言えるでしょう。なぜなら、その時の「変わらなかった」という結果は、そこまでのやり方が「変わらない」という結果に繋がる事がわかったという大事なプロセスの実績です。だからこそ「無駄ではない」と言えますし、そのプロセスこそ「自分の行動によって変えることができる部分」であるわけです。

こう考えると、「自分の行動によって変えられるモノ」と「自分の行動によって変えられないモノ」に切り分ける事は、「より良く生きていく」為には必要不可欠の事なのかもしれない気がしてきます。

となってくると、この『平安の祈り』にあるように、「変える事のできるものと、変えることのできないものとを識別する」事が必要であり、「識別する知恵、変えることのできるモノを変える勇気、変えることのできないモノを受け入れる冷静さ」の3つの要素はどうしたって必要です。

日曜日の昼下がりに、これを書きながらついウトウトとしてキーボードの上の指が、意識の飛んでいる間中押してしまって連続入力になっていた大量の“う”を削除していたら、

「てことは、こんな時間だと眠くなってきて思うように文字が打てなくなるのも、変えられないモノなのかもしれないよなぁ」と納得しつつ、「そこを変えるために労力を割くよりも変えられないから潔く少し寝てしまうという割り切りも必要なのかもしれない」と考えると、一体全体どっちの方がよいのかよくわからなくなってきて、「ゆっぱり“識別する知恵”が必要だというのは本当だ」と思い知らされているところです。

だから、僕も『平安の祈り』をしてみようかと思います。

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ」

どうぞよろしくお願いします。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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