でっかい声で叫んでみたらきっと誰かに届くでしょう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
組織開発で他社に関わらせてもらっていると、“問題の真因”は、いつだって「当事者達にとって、目を背けたくなるようなところにある」という事を痛感させられる場面に遭遇します。
いわゆる“氷山モデル”で考えると、「“組織の問題”として誰の目にも明らかに見えている部分は、ただの氷山の一角に過ぎない」というのは、多くの人がハッキリと認識できていることだと思っています。
でも、その「“組織の問題”がなぜ起きているのか?」という事になると、その組織を構成している人達それぞれから見えているモノは、“問題の原因の一つ”である場合がほとんどです。
“問題の真因”は、「じゃあ、それぞれの“問題の原因の一つ”は、なぜ起きているのか?」という事を考えると、その“問題の当事者達”が真因に辿り着くというのはとても難しいんじゃないかなと思っています。
なぜなら、それぞれの“問題の当事者達”には、“それぞれの立場から見えている景色”が全然違いますし、“それぞれに守りたいモノ”がてんでバラバラだからです。
“それぞれの立場から見えている景色”が違うということは、ある一つの事柄を見たとしても“見えるモノ”や“受け取れるモノ”が全く違うという事です。いわゆる「群盲象を評す」の状態です。
「群盲象を評す」状態で、かつ、
“それぞれに守りたいモノ”がてんでバラバラということは、例えば、象の全体を知っている人が「みんながそれぞれ触っている部分が違うから言っている事が違うだけで、その特徴を全部持ってるのが象なんだよ」と言われたとしても、頑なに「いや、そうじゃない。俺の感じているこの“柱のような生き物”という意見が絶対に正しいんだ」と言い張って見たり、そもそも「俺は、目が見えないけど、心の眼で見えているから、お前の言っている事は間違っているんだ!」と言い張って見たりするような事が起きている状態です。
こんな事が起きているからこそ、“組織の問題の当事者達”からは“問題の原因の一つ”をそれぞれが見つける事はできるけれども、“問題の真因”に辿り着く人はほとんどいないという現実が、組織開発が必要になる現場では起きています。
とは言え、時々「経営者が既に“問題の真因”に気が付いている」という状態もあったりします。
「え?“問題の真因”に気が付いているんだったら自分でどうにでもできるよね?」
そう感じるのが普通の感覚かもしれません。
だけど、この状態で“問題の真因”を解決するための行動をとるためには、とても強い心理的なハードルが存在しています。
そもそも、「“問題の真因”に気が付いている」状態で「すぐにその真因を解決する」が出来ていれば、“組織の問題”はもう治まっているでしょうし、もっと言えばそもそも“組織の問題”は起きていません。当たり前の話です。
という事は、「“問題の真因”に気が付いている」状態だけど、“組織の問題”が現状起き続けている。
つまり、その状態は「組織内に、自分(経営者)も含めて“困っている人達”が大勢いる」にもかかわらず、“問題の真因”の解決に向けて動く事が出来ていない状態である。というわけです。
もう一つ付け加えるとしたら、組織内に問題が起きている状態は、例外なく“損失”が生まれている状態です。
それでも「“問題の真因”を解決するための行動をとることができない」状態です。
ということは、「その人(経営者)一人では、その解決のために行動することができない状態にある」というのがハッキリしています。
だけど、“問題の原因の一つ”に対してどれだけ“火消し作業”をし続けたところで、その一か所は一瞬だけなら火が鎮まるかもしれませんが、すぐにまた炎上し始めます。単なる一時しのぎにしかなりませんし、そんな一時しのぎの“火消し作業”であってもその作業を“やる”となれば、通常業務以外の仕事が増えるわけなので、必ずその当事者達は疲弊します。
そして、当然ながら望んだ結果である“問題の解決”には至りません。
そんなことが繰り返されれば、「こんなことやったって何の意味も無いじゃないか!」という大きな不平不満に繋がり、“組織の問題”がまた増えていくことに繋がってしまいます(そして、こんな状態に陥っている組織がとても多いのを常に見聞きしているのが現状です)。
そんな状態に陥っている組織で働いている人達は、みなさん一様に“疲れた表情”をしていますし、“不平不満”が渦巻いていますし、“怒り”を露わにしていますし、“表面上の仲の良さ”だけがあってそれを大事にしているので“忖度”や“似非エスパー”が横行して「自分は、他者の感情を読み取れているはずだから、回りの人もこう思っているはず」という推測の推測で行動を起こす人達だらけになって、それが組織の風土や文化に大きく影響してしまっているのをたくさん見ます。
そして、その程度に個人差はあれど、誰もがみんな「この状態をどうにか変えたい」と願っていますし、「でも、どうにもならないんだ」と現状を諦めています。諦めようとしています。
でも、諦める必要なんてありません。
だって、起きているのは、その“問題の当事者達”が、ただただ「群盲象を評す」状態に陥っているだけなんですから。
問題の構造は、とても単純です。
ただ、その構造に気が付くのが難しいんです。
ただ、それを受け入れるのが難しいんです。
ただ、それを変えるための行動をするのが難しいんです。
ただ、それらをするための勇気を出すのが難しいんです。
ただ、それらをするために真摯にあるのが難しいんです。
でも、気が付いて受け入れて行動をするためには、勇気を出して真摯であるためには、“問い”を立てて“考え”て“語る(行動する)”というサイクルを、意図的に回せばよいだけです。
問題の構造も、その解決策も、とても単純です。
だけど、「わかっちゃいるけどやれません」という状態だからこそ、今の現状に甘んじてしまっているんだと思うんです。
だから、他者のサポート、周囲のサポートを、自ら求めていきましょう。SOSの救難信号を発信しましょう。
まずは、自分自身の現状を観察して受け止めて受け入れて「この状態を何とかしたいから誰かに手伝って欲しい」と声をあげましょう。
それだけが、今の現状を変えるために、唯一必要な事ですし、それが出来れば必ずその“声”を受け止めた誰かが手を差し伸べてくれるはずです。
「今目の前にあるこの現実を何とかして変えたい」
その“切実さ”さえあれば、あとは、“声”をあげるだけ。
それこそが、勇気と真摯さの一番最初の一歩なんじゃないかなと思っています。
そんな風に、助けを呼んでいる“声”が聞こえてきたら、僕達はまず、駆けつけて話を聴かせてもらいます。
そこで、僕たちに出来そうな事があれば何らかのお手伝いをしてこようと思っています。
出来る事があれば手伝って、手に負えなければ誰か出来そうな人に声を掛けて「助けて」の数珠繋ぎを試みようと思ってます。
日々、そんな事をしながら、今日も今日とて“声”の聞こえたところへ駆けつけます。
願わくば、余計なお世話であることを祈りつつ。
あかね
株式会社プロタゴワークス
https://www.protagoworks.com/
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