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仕方のないことばっかりなのも仕方ない

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「組織の中でその人がどんな“役割”を担っているかで“視座の高さ”が変わってきてしまうのは、どうしたって仕方のないことなんじゃないかと思っています」

仕事として“他社のサポート”に関わらせてもらっている中で、こんな話を数えきれないくらいしています。

この話を他者に向けてする際に僕自身が言っているように、“視座の高さの違い”というのは“その人”が「“どこ”にいるのか?」や「“なに”をしているのか?」によって変わってしまうのは“仕方のないコト”でもあるでしょうし“当然のコト”でもあるんじゃないかと思っています。

会社の中であれば“経営者と社員”という役割の違いによって“視座の高さ”が変わるでしょうし、学校の中であれば“先生と学生”でも変わるでしょうし、何らかのチームの中であれば“監督と選手”でも変わるでしょう。

それ以外にも、上に挙げた例のように「明らかな階層の差が明確な対比」ではなくて、例えば会社の中で言えば“先輩と後輩”であっても“視座の高さ”は変わってくることもあるので必ずしも“階層の差”が存在しなかったとしても“視座の違い”が在る場合もあったりします。

そして、当然ながらAの状態でいた時と比べると“視座”が変化してBの状態の方が高い状態になったのであれば“視える範囲=視野”は広がってくるでしょうし、当然ながら“視る場所=視点”もAの状態とは別のモノを手に入れることができるようになるはずです。

そんな風に、「今までとは別の“役割”を担うと、その役割を果たすためにする“具体的な行動=仕事”をすることになり、必然的に“視座”が高くなっていってそれに付随して“視野”が広がり“視点”が増える」なんてことが__望むと望まざるとにかかわらず__起きてしまいます。

これは僕やウチの仲間の身に起きたこととして何度も経験してきましたし、他者の話を聞かせてもらう中でもハッキリと確認ができているので「多くの人に起きている事実だろう」と認識しています。

ただ、「“こういうこと”が誰の身にも確実に起きます」と断言することはできないだろうなぁ、とも思っています。

なぜなら、役職や階層が変化して任された役割が変化しても「もしかすると、“視座”や“視野”や“視点”の変化が起きていないのかもしれない」という仮説を立ててみた方が整合性のとれるケースに何度も遭遇してきたからです。

「“視座・視野・視点の変化”が起きるケースと起きないケースではどんなところに違いがあるのか?」

そんな“問い”を立てて色々と考えてみると、「こういうことかな?」という仮説のようなモノが幾つか考えられるんですが、その中で「これはどのケースにも該当しそうだぞ」と思えるモノも見えてきています
(とは言え、あらゆるケースでその仮説を検証してきているわけではないので「かもしれない」くらいではありますが)。

そうやって考えてみる中で、「これは大事なんだろうな」というコトも幾つか見えてくるような気がしてきます。

その中の一つとして考えられるのは__これまた当然と言えば当然ではありますし「やっぱりこういうことなんだ」とも思いますし「これが“ある”のと“ない”のとでは大違いってことなんだなぁ」とも思わされます__「自分自身を客観的に観察してよく知ること」です。

これは、“自己理解”と“自己受容”という言葉で言い換えられるのかもしれませんが、文字通り、「自分をよく知って、“自分とはこういう人間である”と真正面から受け止めて受け入れる」ということに他なりません。

冒頭のように僕が他者に向けて、

「組織の中でその人がどんな“役割”を担っているかで“視座の高さ”が変わってきてしまうのは、どうしたって仕方のないことなんじゃないかと思っています」

という話をする時には多くの場合がその前後でこんなニュアンスのことも伝えています。

「外部の人間である僕たちから見ると“あなた”と“あなた以外の人たち”との間にギャップが存在しているのがハッキリ見えています。そのギャップが生まれている要因の一つには、“視座・視野・視点の違い”があるんですが、その“視座・視野・視点の違い”__そもれかなり“大きな違い”__が存在しているということを“あなた自身”が認識していなかったり、あるいは“違い”を認識していてもその“違いの大きさ”を正しく認識できていないこと・していないこと
が、今まさに組織の中で起きている“問題の真因”なのかもしれまえん」と。

だって仕方ないじゃないですか?

会社の経営者として毎日毎時間毎分毎秒の間“その役割”をずっと担って考えて選択して決断して行動しているんですから、そりゃあ“以前の自分”と比較したら“視座・視野・視点”なって変わってしまうに決まっています。

もちろん、社員さんが担ってくれているそれぞれの“役割”に正面から向き合って毎日毎時間毎分毎秒の間“同じように”考えて選択して決断して行動しているのであれば恐らく“同じように”視座・視野・視点が変化していっている人やこれからそういう変化が起きていく人が出てくるはずですし、そういう人がいたり出てきたりすれば恐らく“あなた”からはその存在がハッキリ見えるんじゃないかと思います。

今が“そういう状況”になっているかどうかについても“視座・視野・視点の変化”と同じように、客観的に正しく認識することが重要だと思います。

今は“そういう状況”なのかどうかと併せて「今の自分と今の組織が“どういう状況”なのか?」なんてことについて、あらためて考えてみてもらえると良いのかもしれません。

“自分自身の変化”は起きているのだろうか?

起きていないんだとすればそれはなぜ起きていないと言えるのか?

起きているんだとすればそれはどのような変化なのか?その変化はなぜ起きたのか?

そして、それは一体どのような意味があるのか?

そうやって様々な“問い”を自分に向けて考えてみると「確かに色んなことが見えてくる感じがする」という実感も持てますし、そういうことをしていかないと“自己理解”も“自己受容”も本当の意味で進めることは叶わないのかもしれないよなぁ、なんてつくづく思ってしまいます。

ただ、これをしていくと“自分と他人とのギャップ”もまあまあハッキリ見えてくるので、「それはそれでなかなか“くる”モノがありますなぁ」ということも日々実感させてもらえます。ふ~…。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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