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ズイズズイと参りましょう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

新しいことを始める段になって、「何をやるか」とか「どうやってやるか」なんてことを考えるのはとっても楽しいなと感じます。

ああでもないこうでもないと試行錯誤するのはすごく楽しいですし、考えてみた内容について「もっとこうした方がいいかな」とか「ここをああして改良を加えてみたらよくなるかもなぁ」なんて感じで「より良くなるかもしれないこと」について考えてみるのも楽しい時間です。

だけど、こうやって考えたモノを、いざ実際に作っていこうとしてみるとこれが案外と難しいことを実感します。

何しろ、考えるだけではすみません。考えたことを、現実世界で実行していかないといけません。

この段階は「どうやるか」なんてことですらなくて、とにかくただただ「やる」という行動を起こす必要がある段階です。

ここまで来て「やる」となった時に、本当にただただ無心に「やる」という行動がとれるとしたらそんなに最高なことはありません(とは言え、もちろん「なんのためにそれをやるのか?」ということは必ずズレないように握っておかないといけませんが)。

だけど、「やる」となった時に無心ではなくて「失敗しないようにやりたい」とか「褒められるようにやりたい」とか「良い“やり方”でやろう」とか「周囲に“すごい”と思ってほしい」などを考えて「やる」となってしまうと、逆に“欲しい結果”が手に入りづらくなってしまうなんてことになりがちです。

とにかくただひたすらに愚直に「やる」という行動をとれば、わき目もふらず一心不乱に取り組めるからこそ、時には“己の実力”以上のモノが出せることもあったりします。

でも、「失敗しないように」とか「周囲の人たちに認められたい」なんてことになってしまうと、それが雑念の役目をはたしてしまって一心不乱に取り組めなくなってしまって、己の実力どころか実力の遥か下の方のパフォーマンスしか出せない、なんてことになってしまうのを自分の経験からも他者の事例からもたくさん見聞きしてきました。

「じゃあ、何も考えずにただやるだけでホントにいいの?」

そう考えるのが自然かもしれませんが、本当に文字通りの意味で「ただやるだけ」になってしまうと、それこそ“現実的には絶対に考慮しながらやらなければならないモノゴト”が一切考慮されることもない状態になってしまうことが起きてしまうかもしれません。そして、そういうことが起きてしまうのは、あまり歓迎されるようなことでは無い場合が多いわけです。

だから、考えていて楽しかった「何をやるか」とか「どうやってやるか」なんてことを考えるというのは、そのままずっと継続して考え続けると“良いこと”につながりやすくなるんじゃないかなと思っています。

「あとはただただ“やる”だけだ」となったとしても、「何をやるか」「どうやるのか」を考えながら、その考えたモノを生かす方向で“やる”。

そうなれば、自分で考えた自分のアイデアを自分の行動で実現できることになるわけで、“考える楽しさ”に加えて“実行する楽しさ”も加えることができるので、その後には“考えたやったことがどうだったのか検証する楽しさ”も加わるし、“それをふまえて今後どうするかを考えたまた実行する楽しさ”なんてモノの味わるようになるのかもしれません。

「思いついた」だけじゃなくて、その思いつきを実際の行動として現実世界に「どうやって形を成させるか」までやれたとしたら、こんなに楽しいことはそうそうないんじゃないかなと思っています。

アイデアをつくる楽しさとアイデアを現実世界に顕現させる楽しさは、頭の使い方から何から全くの別物だけど別物としてだけじゃなくて、両方欲張って味わえたとしたら、最高の気分も一緒に味わえるんじゃないかなと実感を伴って思っているので「いいこと思いついた」ってなった人を見かけると、その先までズズイと踏み込んじゃいましょうよっていつもいつも思っています。

ささ、遠慮なさらずもそっと奥まで参りましょう。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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