難しさは纏わりつく泥のように
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「いや、それは難しいですね」
それが口癖の経営者さんや社員さんにお会いすることが時々あります。
でも、本人はきっとこんな口癖があるなんてことに気が付いてはいないとは思いますが。
他社の組織開発に関わらせてもらっている中で、組織が掲げる“目的”に近づいていくために、そこまでの関りからようやく見えてきた“問題”に立ち向かってその解決に取り組まないといけない段階に必ず差し掛かります。
「何をどうしたら、その問題が解決するのか?」
それを一緒に考えて策を練るわけですが、その策に対して、冒頭の言葉が即座に返って来ることがあるんです。
もちろん、その言葉が出てきたら「なぜ難しいと思うのか?」の理由を聞かせてもらうんですが、その時に出てくるのは例外なく「今までの前例や慣習を踏まえて考えると実現が難しい(意訳)」という理由しか出てきたことがありません。
でも、「そもそも」から考えてみれば、ウチが組織開発で関わらせてもらっている今の状態は「“もう既に”前例に無い状態」であるわけですから、そもそも、「今までの前例や慣習を踏まえて考える」ということが無理筋は話になっているわけです。
そんな「そもそも論」に気が付いてもらうためにも、「なぜ、難しいと考えるんですか?」について質問をして、その人が考えていることを聞かせてもらうようにしています。
ただ、「今までの前例や慣習」への囚われが強い場合には、「なぜ?」の問いもあまり威力を発揮することがありません。
例えば、「なぜ難しいと考えるのか?」に対して「忙しいから」という思考停止の回答が返ってきたりすることがよくあります。そして、その“忙しさ”について延々と語り続けたりして、最終的には「だから、新しい取り組みをやり始めるのは難しい」という当初からその人の中で“決定”していた結論を諦めモードで口にして終わりにしようとしたりします。
もちろん、僕たちとしたら、この話がここで終わるわけもありません。と言うか、僕たちからすると「ようやく本番が始まるぞ!」と思うわけですし、実際に、ここからが僕たちの腕の見せ所です。何しろ、これより手前で「全て上手くいったぜ!」なんて結果になったことは、今までただの一度もありませんので。
冒頭のように「いや、それは難しいですね」という言葉が出てからが、組織開発や人材開発の本当の勝負の始まりだと考えています。
何しろ、問題の渦中に身を置く当事者たちが「難しい」と口にしているわけです。
そして、そもそも「この“問題”を何とかしたい」と当事者たちが思っているからこそ、僕たちが外部の人間として関わらせてもらっているわけです。
「“これ”を何とかしたいけど、そのために“なにか”をやるのは難しい」
話を簡単にまとめると、こういうことを言っているわけです。
当然ながら、ここには“大いなる矛盾”が存在しています。
そして、この矛盾を生んでいるのは、「当事者たちの内側に存在している“適応課題”への取り組み方がわからないから」というのが理由であることはハッキリしています(もしもこれが“技術的問題”なのであればとっくの昔に解決しているはずですから)。
そんな「“適応課題”への取り組み方がわからない」ということがハッキリしているわけですから、そのサポートこそがウチの最大の強みであり売りであり最も実績のある部分ですので、「ここからが本当の勝負の始まりだ」と僕たちが考えるのは当然と言えば当然です。
ここからは話がごちゃごちゃと入り組んできますし、あっちへ行きこっちへ行き、進んだかと思えば戻ったりしますし、戻ったと思ったら更に昔の振り出しまで戻ることだってあったりします。
それに真正面から向き合って、全部受け止めつつ、切り分けて分離させたり統合してエマルジョン化させたりしながら、当事者の“抵抗”を減らして“納得”と“合意”を一緒に作り出していく作業を進めます。
そうして、ようやく事態が目指す方向へ動き出す。
そんな、めちゃくちゃに泥臭いことをやるのが僕たちの仕事でもあるし、そういう目立たないし「何が成果なのか?」ハッキリとしないようなことに取り組んで進めていく、例えるなら“ドブさらい”のような仕事こそが、“伴走者”としての本来の仕事なのかもしれないな、なんてことをいつも思っています。
今日もたくさんの“泥”の中を歩いたので、熱めのシャワーを浴びて、冷たいビールでもってスッキリサッパリしようと思います。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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