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あふれてこぼれる源泉を

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“溢れ出る思い”を言葉にする」

こうやって文字にしてみると“なんだか良さげな感じ”に見えてくるわけですが、現実で起きているのを見るとそれほど“良さげな感じ”ではないような気がしています。

と言うのも、時折こういう「“溢れ出る思い”を言葉にする人」に出会うことがあるんですが、この文字表現は「とっても“良さげ”に書いているよなぁ」と感じることが多く、こういう溢れ出る思い”が溢れてきた場合のみ“言葉”にしていると感じています。

こういう時にはいつも「溢れ出ていない思い”は言葉にならないのだろうか?」なんてことを考えたりします。

言ってみれば、文字通り「溢れて零れ落ちた部分だけを言葉にしていて、それよりももっと奥の方にある“芯”の部分は言葉にはなっていない」というのを実感している。

だけど、“受け取る”ことができるのはどうしたって“言葉”になった部分だけであって、言葉になっていない“溢れ出ていない”奥底にある“芯”の部分については、どれだけ“溢れ出てきた言葉”を聞いてみたところで“受け取る”ことはできません。

そして、どれだけ“溢れ出る思い”を受け取ったところで、未だ溢れ出てきていない部分については言葉で語られていないのであれば、それがどれだけ内側に在っても、溢れて零れてこないのであれば、外側から窺い知ることだってできはしません。

もちろん、僕や仲間のように「他者の話を聴く」というのを生業にしていたりするのであれば“溢れ出てきた部分”を受け取ったことで「これがこんな風に溢れ出てくるのであれば、もしかしたらこの奥には何か別のモノがあるのかもしれない」なんて考えたりもできる場合があったりするかもしれませんが、大抵は言葉として語られていなければ「“それ”が在るかもしれない」と考えるのは、よっぽど付き合いが長かったり深かったりでもしなければほぼ不可能な芸当でしょう。

そうだからこそ、他者の話を聴く場合には“問い”が重要になってくるのかもしれません。

相手が自ら進んで語る言葉だけを聞いているのであれば、それはきっと「“溢れ出る思い”が言葉になった」からこそ語られているんでしょう。

でも、本当に聴かせて欲しいのは“溢れ出てきていない思い”の部分であることが大半です。

だからこそ、聴いているこちらから“問い”を投げかけてみるんです。

“溢れ出てくる思い”よりももっとずっと奥の方にある未だ言葉になっていない、一度も言語化されていない、誰にも語ったことのないような“形を伴っていない思い”を生煮えの状態でいいから聴かせて欲しいんです。

そういう“溢れ出てきていない思い”の部分にこそ、その人の本当が在るんじゃないか、それこそがその人を語るうえで、理解するうえで、とっても重要な部分なんじゃないか。

“問い”によって、未だ一度も言葉にしたことのなかった本当の思いについて、考えて、語ってもらいたい。

そんな風に考えているからこそ、これまでもこれからも、どれだけ「めんどくさい人だな」と思われたとしても、“問い”を投げかけていこうと思っています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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