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味わっているのは何ですか

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「未知のモノを体験した時に、一体どういう反応をするのか?」

“その人を知る・理解する”ということを考えると「これってとっても有用な機会なんじゃないかなぁ」なんて思っています。

例えば、自分が食べて「これ美味しい」と思った物について「是非、あの人にも食べてみて欲しい」と思って一緒に食事に行った時に“その人”が初めて行くお店で初めてそれを口にした時にどんな反応をするのか?そして、その後にどんなことを話してくれるのか?

そういう部分に、その人の価値観や考え方が見えてくるような気がしています。

もちろん、「自分と同じように美味しいって言ってくれたら嬉しいなぁ」という思いはありますが、でも別に全然違う反応_例えば「これ、凄く美味しくない」という反応_であったとしても、それは個人の感想なのでそれはそれで聞いてみたいと思っています。
「美味しい」にしても「美味しくない」にしても、それのどこがどんな風にそう感じられたのか?なんてことを聞いてみたいなと思っています。

そんな話を聞いてみると、例えばこんなことが見えてくるように感じます。

“目の前のその物を食べて味わったうえでの自分自身の感覚をベースに感想を述べる人”なのか、それとも“目の前のその物に付随している情報や物語を味わってその情報や物語の感想を述べる人”なのか、と。

“自分自身の感覚ベースの人”は、その物自体に焦点をあててその物を味わってみて感じたことを感想として語ってくれます。

一方で、“情報や物語ベースの人”は、その物自体に焦点をあてているようでいて、実際に語られることは“その物”の周辺情報やその物の背景にある物語などのいわゆる蘊蓄だったり、それまでのその人の体験によって形作られてきた固定観念や“そのジャンルの理想像”に合致しているかどうかの話などだったりします。
以前に何かで見たフレーズで「情報を食ってる」というような表現を見た記憶がありますが、まさに「これは情報を食った感想なのかな?」と思うことがあります。

とは言え、どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、どちらであっても“その食べ物の感想の話”にすぎないのでこれだけで「この人はこういう人」と断定することはできません。でも、その人を表す何らかの材料ではあるかなと感じています。

ただ、そういう材料があると、その後に遭遇した何らかのモノゴトに対した時の“その人の反応”を読み解くための手がかりになることが多いなぁと感じてもいます。

「そのモノゴト自体の体感ベースの話なのか?」それとも「そのモノゴトの周辺情報や物語ベースの話なのか?」、それが“食事の感想”と完全合致しているかどうかはわかりませんが、その辺りも参考にしながら話を聞いて、その内容を“観察”してみることで色んなこと気付きが得られることは多いなとも感じています。

そんな、食事時の話のような、日常の中にたくさん存在している“ちょっとした未知の体験に対しての反応”というのでも、その人をより深く知って理解するための材料になり得るんだなぁという出来事があったのは、また新たな学びに繋がりました。


となると、僕自身は一体全体、他者からどう見られているのか?

そんな恐ろしい“問い”が浮かんできてしまいましたが、とりあえず今日は土曜日で休日ということもあるので、ひとまず一旦は「見なかったことに」しようかと思っています。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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