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そうさ100%

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「ビビっちゃう自分をなんとかしたい」

そう思う事がよくあります。

今の時点で僕が最もビビっているのは、流行り病のワクチン接種後にやってくるという副反応にビビっています。

身近にいる既に接種をした人達からの話を総合すると、それはそれは辛く苦しい時間を過ごす事になるようで、予約した日をカレンダーでチェックしては少しずつ近づいてい来るⅩデイに対して、自分の中の恐怖が日に日に増してくるのを実感しています。

そんなビビりな僕なので、冒頭のような事は、かなり頻繁に考える事がありました。

「ビビると脚がすくむし、動きが硬く鈍くなる」というのは昔からずっと感じていました。だからこその願いだったんですが、結局、未だにビビるのを止める事には成功していません。今でも色んな事にビビる日々です。ビビりながら、冷や汗をかきながら、心拍数が上がりながら、どうにかこうにか止まらずになんとか進んでいるような状態です。

そんな僕ではありますが、以前の自分と比べると、今は「ビビっても動ける」ようになってきました。

なぜなら、以前の自分よりも「自分自身に対しての信頼度」が上がってきたというのが理由です。

以前の自分だったらビビッて動けなくなったり動きが鈍くなってきたりした“その後のこと”を考えてしまって更に動けなくなるなんていうループに陥っていた節もあったんですが、この歳になるまでに多くの経験(主に失敗と呼ばれる類のモノ)を積んできた事もあり、「そんな(とても大変な)状況からの態勢立て直し」の経験もたくさん積めた事で、「まあ、思うように上手くいかなかったとしても今回も何とかなるかもしれない」と思えるようになってきたというのを指して、「自分自身に対しての信頼度が上がってきた」というわけです。

こうやって書いてみると、特段「自分自身に対しての信頼度」が上がっているわけでは無いんじゃないかなというのがハッキリと見えているんですが、「上手く事が運ぶ」のを信頼しているわけではなく、「上手くいかなかったその後のリカバリーやフォローに対しての信頼度」が上がったんじゃないかなと思っています。

だから、未だにビビりながらではありますが、以前と比べれば随分と動き出せるようになってきたんだと思います。

ビビるというのは、恐怖を感じているから起きる反応です。だから、恐怖を感じるのであれば、ビビッてしまうのは仕方ありません。

そして、恐怖を感じるというのは“感情”なので、これも自分にはどうする事もできません。湧き出て来る感情を制御しようとしても、それは自然に湧いてきてしまうものなので、これはもう仕方ありません。

じゃあ、“恐怖”も“ビビる”のも仕方ないんだから、それを理由に「動かない」というのも仕方ないんじゃないかと、そう思っていた時期が昔の僕にはありました。

だけど、ある時に気が付いてしまったんです。

「動く」か「動かない」かについては、自分自身でコントロール出来るという事に。

「動かない」という事が実現するとしたら、自分で「動かない」と決めた結果として実際に「動かない」という“行動”をした場合に限るという事に。

自分自身でコントロール出来るのは、この「動く」か「動かない」かを決める“意志”と、その意志を現実に体の動きとして具現化する“行動”だけであるという事に。

そして、

そんな恐怖を感じたり、ビビったりしたとしても、「動く」という事を自らの意志で選択して決断して、実際に自分の体を使って「動く」という行動に表すのが、いわゆる、“勇気”ってヤツなんだろうという事に。

僕はかなり”いい歳”になっていますが、恐怖もビビりも僕は未だに克服出来てはいませんし、かなりの頻度で“怖さ”に遭遇しますし、“ビビる”自分に直面しています。

もうこれは、自分の性分なので仕方無いんでしょうし、例え何歳になったとしてもこれからもこの感情や性分とはずっと付き合っていくんだろうなと、半ば諦めもついていたりしています。願わくば、恐れないしビビらない勇敢な人間になりたかったという想いはありますが、まあそうできないモノは仕方ありません。

だけど、怖くてビビってもそれに負けない意志を持って、それを行動として具現化させる“勇気”だけは、これからも持ち続けていこうと強く思っています。


とは言え、一人で“勇気”を出し続けるのはなかなか大変だというのも、僕自身が“弱い人間”であるからこそ痛い程よく知っているつもりです。

それと同時に、「恐怖を感じるから」「ビビっているから」そんな性質を持っている“弱い人間”だからこそ、“勇気”という意志の力を駆動して考えられる事っていうのが、間違いなくある。そんな事を僕は信じていたりもします。

だから、“自分の弱さ”を自覚する事が出来たら、恐怖やビビりを感じる人達同士で集まる事で、自分一人では持て余してしまいそうなとても強い恐怖を感じるような物事に対してでも、とても大きな勇気を持って立ち向かい、とてもたくさんのアイデアを持ち寄って、驚くような行動を起こす事が出来るんじゃないかなと思っています。

いや、「思っています」ではなくて、僕はそれを日々目の当たりにしています。

これこそまさに、この現実社会の様々な組織で行われている“組織開発”に他なりません。

それぞれの人達が、「意志を持って行動する」「勇気で駆動する」ことでしか、“既存の組織”が変わるなんて事は起きません(もちろん、組織開発が必要無い組織もあるはずなので、そんな素晴らしい組織については、既にたくさんの人達の意志や勇気が良い影響を及ぼしているんじゃないかと思います)。

僕たちみたいな外部の人間だろうが、組織内部の人間だろうが、組織開発を手掛ける人だけがいくら勇気をベースに行動したところで、そんなのは“既存の組織”にとっては屁でもありません(多少の意味はあるにしても)。

本当にやるなら、その組織の中にいる人達の多くが勇気で駆動するという事が必要不可欠ですし、“既存の組織”が変わるとしたら絶対に必要なのは“それだけ”なのかもしれません。

多くの人が働くうえで、(様々な形態はあるにせよ)組織に関わり働くケースが多いでしょうし、個人にとっても組織にとってもこんな風に必要な状況が多かったりするわけなので、やっぱり幾つになったとしても誰にとっても“勇気”というのは物凄く大事なモノなんだろうなと実感している金曜日の夜です。


勇気について書いていたら、かの偉大なる先人がこんな言葉を残してくれていた事を思い出しました。


「人間讃歌は勇気の讃歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!」

今夜は、久々にジョジョ第一部でも読み返してみながらワインでも飲んでみようかな。もちろん、波紋カッターの練習をしながらにはなりますが。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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