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食いしん坊でしたバンザイ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「晩ご飯に何を食べようかな?」

日が落ちて暗くなってくると、自然とそう考えてしまう自分がいます。

とは言え、通常の平日だと会社にいる事が多いので、部屋の構造的に外が暗くなっている事に気が付きづらいような環境に身を置いている事もあってか、実際に「お腹が空いたなあ」と感じる事が無ければ「何食べようかな?」と考える事はあまり無いのでダイエット中の身としては助かっています。でも、休日に家にいて外が暗くなってくると「何食べようかな?」が発動する事が多いと感じています。

これはもしかしたら“習性”とか“クセ”みたいなモノなんじゃないかなと思っているんですが実際はどうなんでしょうか。

そもそも、ここ2ヶ月くらいは平日に晩ご飯を極力食べないようにしています。

正確には、「夜に帰宅してから食事を摂らないようにしている」という言い方になるんでしょう。食事は3回+サプリメントでの間食を数回摂る事を心がけているので、食べる回数は減っていません。ただ、食事の内容と食べる量に関しての調整は心がけています。

具体的には、食事のボリューム調整として、朝を最大にして、そこから徐々に少なくしていくようにしています。なので、ダイエット前にはお昼ご飯1食で食べていた分量を半分にして、もう半分を夕方に食べるようにしています。そして、以前食べていた夜ご飯を今は無しにして、代わりにプロテインを食事に見立てて飲んでいます(もちろん、以前は夜ご飯と一緒に飲んでいたお酒も、平日は無しにしています)。

こうやって文字にしてみると、随分過激なダイエットをしている人に見えてきますが、実際のところは、以前の食事が大幅なオーバーカロリーだっただけで、今の食事の分量が自分の体の適正値である事は間違いありません。なぜなら、食事の調整だけでは大幅に体重が減少する事もありませんし、お腹が空いてイライラする事もありませんし、動けなくなる事もありませんし、体調が崩れる事もありません。以前の食事内容だと、1ヶ月毎に“確実に”脂肪が増えていくのが目に見えるような感じでしたし、とにかく朝から晩まで常にお腹が空くという感覚を自覚する事がありませんでした。「そりゃあ、人生MAX体重にもなるだろう」と納得の食事内容だったと今でも思います。

そして、そんな状態の時には「晩ご飯に何を食べようかな?」と、平日でも帰宅時に考えていました。それが、何時であったとしても。

そうして、帰り道に“何か”を調達する為に寄ったコンビニで、必ず“何か”以外の「お楽しみソーダ500ml」を数本買って帰り、大抵は用意してもらっているその日の晩ご飯と一緒にゴクゴクと飲み干し軽く良い気分になった後で、今度はコンビニで買った“何か”と一緒に次の缶を開けてゴクゴクと飲み干してかなり良い気分になる。そんな事を数ヶ月間の間ほぼ毎日繰り返していました。そしたら、いつの間にやら風船みたいに膨れ上がってしまっていて、これまたいつの間にやら手持ちのズボンのほとんどが穿けなくなっていきました。

そこから一念発起してのダイエット開始。実に、1年ぶり2度目の“マジダイエット”をスタートしました。

それから、早2ヶ月半。ようやく、夏用のズボンが難なく穿けるようにはなってきましたが、「確実に痩せました」と言える程ではありません。元のサイズのウエストまではまだまだほど遠い感じです。

こうやって、食事も生活習慣も変化が大きくある中でも、依然「晩ご飯に何食べようかな?」は、ふとした瞬間に頭に浮かびます。ダイエット開始前で、常にお腹が満たされている期間でもそうでしたし、最早晩ご飯なるモノを食べないのが習慣化してきた今でもそうでした。

そして、こんな話を書きながらダイエットとかよりずっと以前の事も思い返してみたんdねすが、そもそも子どもの頃もそうでしたし、一人暮らしをしていた学生の頃もずっとそうでした。

外が暗くなってくると、いつだってそんな風に思っていたような気がします。
もちろん、子どもの頃は「晩ご飯、何だろう?」だったはずですが。

そうやってずっと同じ事を思い続けてきたと言うことは、夜暗くなってきてその日の最後に食べる物を、自分はとても楽しみにして生きてきているんじゃないか?

そんな事を考えて始めてきました。

お腹が空いているなら当然の如く「何かを食べたい」と思いますし、お腹が空いてもいないしいっぱいでもなくても「何かを食べておこうかな」と思うでしょうし、お腹がいっぱいでも「とりあえず何かを食べておきたい」と思っているのかもしれないし。そう考えると、自分自身がとてつもなく「食べる」という事に執着を持っているのかもしれないとあらためて感じています。

自己認識としては、「あまり食べ物に執着が無い」んだとばっかり思っていました。なぜなら、「食べたい物は?」と問われたり自分で考えたりしても、あまり「これだ」という物が浮かんでくる事があまり無かったからでした。「色んな物を美味しい物を食べたい」というモチベーションで行動する事もあまり無かったですし、好きな食べ物が毎日続くなら、それはそれで嬉しいと思っていました。

だけど、今よく考えてみたら、それは結局「何を食べるか」の“何を”が既に決まっていて、“何を”のバリエーションが少ないというだけであって、「食べる」という事については“食べる”か“食べない”かの選択はしておらず、“食べる”は既に確定していてそこに「問い」を向ける事はしていなかったなあとようやく思い至りました。

だから、僕の自己認識は間違っていたわけです。

「食べ物への執着」はかなりありました。
そして、「食べたい物」がほぼずっと数種類で固定されていて、そこから逸脱して考える事が難しかっただけで、「食べる」という行為についてはいついかなる時で合っても「そうしたい」と思っていました。

なので、正確に言うなら「食べ物への執着」という表現よりも、「食べる事への執着」が強いのかもしれません。

もうちょっと言えば、現状はサプリメントも食事としてカウントしていたりしますし、夜はプロテインを飲むだけでも充分満足できているので「食べる=お腹に何かを入れる」という事への執着なのかもしれません。「栄養摂取への執着」と言ってもいいかもしれません。

体が必要としている“栄養”が、ちゃんと自分の体に入るのかどうかを、常に求め、常にそれが可能かどうかを心配し続けている。

そんな“餓鬼”のような姿。
それが、自分自身の正体だったのかもしれません。


「え・・・えい・・・えいよぉぉ・・・栄養をよこせぇぇぇ・・・」

「現れたな!妖怪め!くらえ、髪の毛針!!」


そうやって、退治されないように執着している事を自覚して周りに気をつけていこうと思います。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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