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謙遜は自尊心を損なうか? 英語は話せますか?

私は英語が話せますって
人に言うことができますか?

日本人は多くの時間を義務教育として英語の時間に費やしてきました。

大学を卒業された方は、当然大学まで英語の勉強されていると思います。その時間は1,000時間ほどになると言われてます。

通常、この時間の勉強量だと、英語が話せますといえる十分な英語の勉強時間をかけていることが実証されています。

それなのに、英語が話せますと言い切れる人は少ないような気がします。

私自身も、あなたは英語が話せますかと聞かれて、自信を持ってイエスと言えません。

上司が外国人で多分最低限の会話はしてきたように思います。 それと、よくフィリピンに行くますが、1人で活動することが多く、最低限の英語を必要とし、また実際それで日常生活をしております。

それでも”英語を話せます”とは、なかなか言えないものです。このことについてちょっと考えてみたいと思います。



フィリピン人に日本語喋れますか?と話しかけると、”はい、私は日本語を話すことができます” と自信を持って答える方がとても多いです。

えっ、ほんと? って思いますよね。

フィリピン人が日本語を話すことができると言うのは主に挨拶です。

「ありがとう」、「こんにちは」、「おいしい」、「可愛い」など

文章ではなく、単語のみ。

これを”私は、日本語を話すことができる” と自信持って答えています。


先日、書いた記事の中に余裕がないって言葉を使う人が多いなぁについて。
(参考記事リンク→本当に生活って余裕ないの?

この”余裕がないんです” の使い方も、”英語が話せない” って言ってるのと、根本的には違わないのではないかと感じています。

余裕がないんです〜
英語は話せないんです〜

理由はふたつあると考えました。
ひとつ、謙遜
ふたつ、防衛

ひとつめ、謙遜
日本人は謙遜したり、控えめにする美学があるように感じてなりません。外国人から見ると、自信がなさそうに見えて、デメリットばかりのような振る舞いです。

何かここ数年の日本経済の停滞ってこういうことがベースにあるんじゃないかなぁって話を、ちょ〜飛躍して考えております。

もっと自分を客観視して、”余裕があります”、”英語を話せます”、とポジティブなワードを使うことによって、少し人生が好転したりしないかなと思いながら、散歩をしていました。

ふたつめ、防衛
英語が話せないと認識させておく事で、余計な仕事が回避できたり、やりたくないプロジェクトを避けるためでは?

余裕がないって言っておくことが、お金持ちの嫌なやつと思われないための崩御なのでは?

謙遜や防御って、学生さんの場合でも、
試験前に、勉強やった?って聞いたら、”私全然できてないの〜、どうしよう〜”  っていますよね。十分に合格点を取っている優秀な学生さんでも。


セブ島にフィリピン人の友人がいます。彼ら彼女らは、みんな自尊感情をうまくコントロールしています。自尊心向上に長けています。

自分に自信を持っている人多いです。(ちょっと自信過剰気味で、ナルシストですけど、、、)

セルフエスティーム向上、自尊心向上は、幸せに健康的に生活するための基礎になる考え方です。

それなのに、謙遜を繰り返すことをしていると、自分に自信が持てなくなってしまい、自尊心を損なうのではないでしょうか?



フィリピン、セブ島のNPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で、里親支援を続けています。 子どもたちの大学卒業までの学費支援等、教育資金に活用させていただきます。 ホームページ→ https://daredemohero.com