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ライターになりきれなかった頃のこと③夢の終わりを受け入れる

前回から1か月以上空いてしまった……。
気を取り直して。

わたしが働くことになった出版社は、主に教育、宗教関係の印刷物を扱う会社(ざっくり)。基本的には出版物は定期のもの、それ以外も納期に余裕があるものが大半で、校了日以外は残業も必要ないくらいゆったりした業務内容だった。ライティング技術はもちろん、本・雑誌の編集とは、取材とは、校正とは。仕事を通してすべて一から教わった。
ただ、最初に言ってしまうと、わたしがこの会社にいたのは約2年ほど。この期間で教わって身につけたことなんて、この業界の初歩の初歩だった。

この仕事に夢を見て血気盛んだった当時のわたしが、最初に「え、何それ」と衝撃を受けたことを一つ。
はじめての、カメラマンさんと二人きりで向かう取材。その前の編集会議で上司から「この人はこういう人で、こういう経歴の人だから、この本で話してるこの言葉を引き出して、記事の構成(起承転結)はこうで……」と事細かく指示を出された。

(え、まだ取材もしてないのに、相手が何を言うかをこっちが決めて、誘導するの?)
(それって話を聞きに行く意味あるの?)
わたしの頭の中は疑問符だらけ。

……ここに疑問を持つほどのレベルだったということだけど、あの時の気持ちを今もよく覚えている。取材相手をひとつの材料、駒、としてしか見ていないことがとても失礼で、なんて傲慢なんだろうと思ったのだ。

言い訳すると。わたしはまだ入社したばかりで、すでに企画からアポ取りまで全部済んでいて、あとは取材、記事作成だけ、という状態で担当することになった。それならなおのこと、企画意図やどんな記事にするかのすり合わせが必要なことは今ならわかるけど、、、あの時のわたしは何もわかっていなかった。

「取材して、“自分がその時”心に響いたことを記事にする」
それが取材記事を書くことだと思っていた。もちろん100%間違ってはいない。でもわたしが考えていたそれは、ただの思い上がりだった。

***

まだこのあと、この会社で学んだことは沢山あるし、退職してフリーランスで数年、食べていけなくなって再度編プロに就職。さらに現職(医療事務)に転職してからも副業として続けて……と、完全に廃業するまでに紆余曲折、、、

いや、ちがう。
いつまでも諦めがつかず、しつこくしがみついていただけじゃないか。
今、突然、はっきりとわかった。
ほんとうに、たった今。

本が好きで文章を書くのが好きで、それで食べていける人になりたかった。
その力があるのに、環境のせいでできていないだけだと思っていた。

でもそうじゃない、わたしにそれを仕事にする能力も覚悟もなかっただけだ。
ライターは書くことだけが仕事じゃない。企画力、編集の技術やセンス、印刷の知識、今ならweb媒体にも精通してないと、、、思いつくだけでも気が遠くなり、壁にぶち当たるたびに自信を失くしていった。だから場所を変え、働き方を変え、向き合うことから逃げ続けてきた。
自分には能力がないと認めて、長年心の支えにしてきたものを葬ることになるのが、怖かったから。

このnoteを書き始めたときは、廃業するまでの道程をすべて描ききって消化(昇華)するつもりだった。描ききれば、何かが変わるかもしれないと思ったから。
変わりたいと思っていたのかもしれない。過去を振り返ってるつもりだったけど、全然過去になっていなかった。そういうことだと思う。

出版社を退社するとき、上司に言われたことを思い出した。
「あなたは書くことに対して我慢強く、粘り強い。ここまでやれる人はそうそういない」
どんな記事も上司にOKをもらうまで何度でも書き直して持って行った。特別なことだとは思わなかった。
わたしはとにかく、書くことが好きだった。

悪いことばかりじゃなかった。クライアントに喜んでもらえたことも、思わぬところから褒めてもらえたり評価してもらえたりもした。楽しかった取材も、満足のいくものを書けた達成感も宝物だ。
もう、充分だ。

好きなことを好きなまま持ち続けられることを、今は良かったと思える。プロになりきれなかったから、世に出てる本や雑誌に敬意を払いながら、一読者として純粋に楽しむことができる。わたしにとってはこれでよかったんだと思う。

記事としてはなんだか中途半端だけれど、わたしとしてはもうこれ以上、書き続ける意味がなくなってしまった。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。勝手ですが、わたしはとっても満足しています。

noteはじめてよかったな、ほんとうに。

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