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トンカツ 超短編

 妻が急にダイエットを始めると言い出した。「出来ればあなたも付き合って欲しいの。その方が食事のメニューとかも便利でしょ」まぁ私も40歳を越えた辺りから腹回りの贅肉やらが気にはなっていたので妻の申し出に私は快諾した。

 そして、翌日ダイエットノートなる物を妻から提示された。早朝のジョギングから休日のプールでの運動、カロリーの計算式などがノートにビッシリと書いてある。

 これは見事なものだと、妻の方に目線をやると、思った以上に誇らしげな表情をして反応を待っていたので「見事なものだ」と妻に告げた。

 だが私には一つ懸念があった。妻は熱しやすく冷めやすい性格の持ち主なのだ。まぁある意味で、それはそれで良い所でもあるとは思うのだが、何か新しい事を始めると言い出す妻に毎度一抹の不安を感じてしまうのも否めなかった。

 妻がダイエット計画を持ち出してから2週間が過ぎた。今回は良い意味で私の思惑を裏切られ継続していた。もちろん私が一緒な事も影響しているのだろうが、はっきりとした目標は人を頑張らせれるものなのだなと感心していた。

 ただ、正直私の方が疲れを感じ出してしまっていた。運動の方はわりかし耐えれるのだが、問題は食事制限の方だ。やはりカロリーの低い食事は味気が無い。味気のない食事は真綿で首を絞められているかの如く少しずつストレスとなって蓄積されていった。そして少しずつ私の心を蝕んでいった。

 事が起きたのは夕食の時だった。「こんな食事では仕事の疲れは取れないなぁ」とつい溢してしまったのだ。

 妻は烈火の如く怒った。こんなにも怒るものかと思ったが、なるほど妻もダイエットによって神経衰弱しているのだ。

 普段なら行儀良く丸め込む様になだめる場面だが、もちろん私も妻同様に神経衰弱しているのだから穏やかに対応は出来なかった。

 そして険悪な空気が家中を取り巻き支配した。

 数日の間それは続いた。

 何故こんな思いまでしてダイエットをしているのだろうか?本来ダイエットとは幸せあってのものでは無いのか?

 最早そんな話し合いをする気分にもなれない。だがダイエットを止めようとは言えない。

 きっと妻は妻で「また続かなかったな」と私に言われるのを嫌がっているだろうし、私も今まで妻にそう言ってきた手前私から止めようなどとは口が裂けても言えないのだ。

 意地と意地とのぶつかり合い。耐久チキンレース。お互いにブレーキをかけられないまま、惰性のみでダイエットだけが遂行されていった。

 ああ、辛い。

 体重や贅肉と共に心までも削ぎ落とされていっているのが分かる。なんとかならないものか。繰り返される陰鬱な毎日。
 いっそ私の方から止めようと言うべきか。いや、それはダメだ。いや、でも言えれば全ての悩みが解消されこの陰鬱な日々から解放される。もう充分では無いのか。私は頑張った。

 そして帰宅途中に私は決心した。私が折れよう。

 意を決して扉を開くと、妻は食事の支度をしていた。また、あの薄味の味気のない食事かと、ため息を溢しそうになったが、食卓を見て私は目を疑った。

 食卓にはトンカツが並べられていたのだ。

 何故?カロリーの低いトンカツ?いやそんな訳がある筈ない。トンカツとはカロリーの分野で常に上位争いに食い込む程のものだ。

 私は妻に「何故?」と尋ねかけたが、その時ハッとした。

 妻と交際し初めの頃、私たちは何か喧嘩や揉め事があると近所のトンカツ屋で仲直りをしたものだった。

 何故トンカツ?と問われれば思い出せないのだが。それが私たちの習慣だった。仲直りのトンカツと銘打っていた程だ。

 私は素知らぬ態度を気取り荷物だけを置き黙って食卓に着いた。

 妻も何も言わないまま少し恥ずかしそうに食卓に着き、私の顔を見るとパンと手を合わせてから両手を広げ控えめな寿司三昧よろしくのポーズをしてみせた。

 その瞬間、私の目には妻が交際し初めの頃のように可愛く映った。

 なるほど。これがダイエットか。

 私は眉間に皺を少し寄せて片方の口角だけを上げてみせた。

 そして静かに頷きながら妻からのトンカツを咀嚼し、そして飲み込んだ。

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