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Heaven 超短編

 けたたましい銃声が銀行内に鳴り響いた。

 次の瞬間に女性客の悲鳴と共に行内が混乱に包まれそうになるが、二発目の銃声と同時に静まり返った。

 私自身は初めての光景に震え動く事が出来ない。以前支店長が若い頃に一度銀行強盗に遭遇したと話していたが、幸運にも支店長は一昨年退職していたので二度目の遭遇は避けれたのだ。

 パッと見た感じで犯人は5、6人。行員にも協力者が居る恐れもあるので予断は許されない。

 たちまちに出入り口のシャッターを降ろされ、私たち行員も客共々行内の隅の方に集められ拘束された。もちろん携帯電話や財布も取り上げられた。

 犯人たちは2人の女性行員を指名し金庫の方に誘導させた。残りの犯人たちも勤勉に銃口をこちらに向けている。

 銀行強盗の成功率が低い事は有名なはずなのに、このご時世の割にえらくレトロなタイプの銀行強盗だなと思った。もっと最先端な方法の選択は無かったものなのか。

 ここに来て私の精神は少し落ち着きを取り戻しつつあった。犯人たちは金さえ手にすれば危害を加える事なく立ち去ってくれそうな雰囲気を察したからだ。

 正直いち行員の私は安全第一。銀行の金など所詮他人の金。そんなものはいくらでも持って行ってもらっても構わないから一刻も早く金をバッグに詰めて出て行って欲しい。

 次の瞬間、また銃声が鳴り響いた。

 一人の行員が勇敢にも拘束を解き犯人たちに襲いかかったのだ。なんて愚かな事を。

 見事なまでに返り討ちに遭った彼は見事なまでに眉間を撃ち抜かれていた。おとなしくしていれば解放されたであろうに何が彼を掻き立てのだろうかは謎だ。

 それはそうと、これは非常にまずい。どうやらこの犯人たちは後先考えない所謂「無敵モード」の人間だ。うだつの上がらない人生に最後の徒花を咲かそうという類の。聞く所によるとこの類の人間はむしろ他人を巻き込む事を好む傾向にある。

 思えば最初に犯人が銃を撃った時点で気付けば良かった。彼らが銀行強盗プレイに酔っている事を。賢い人間なら銃を撃たずにまずは静かに金を要求するはずだ。こうなると話は別だ。

 皆がその雰囲気を悟ったのか途端緊張が高まる。とりあえずこれ以上誰も犯人を刺激しないで欲しい。

 その時サイレンの音が耳に入る。

 犯人たちは女性行員2人に対して通報したなと激昂し躊躇う事なく彼女たちに銃弾を放つ。

 これほどまでなのか。

 場違いな銃声と営業中にも関わらず降ろされたシャッター、行内に拘束されている人の身内が異変に気付き通報するなど理由は枚挙にいとまが無いだろうに。

 彼女たちの無惨な姿に同情こそすれど、次は自分かもという恐怖心の方が上回った。

 警察も出来る事ならばサイレンの音を消して出動して欲しかった。

 人生とは人と人の繋がりが重要だとは聞いていたが、良い方向ばかりに作用しないのが人生なのだなと身に染みて感じた。

「仕方が無いな」隣で拘束されている男がつぶやいた。

 私が男の方に目線をやると男は私に向かい「大丈夫。私に任せて下さい」と言う。

「いや、下手なことはしない方が良いと思います。警察に任せましょう」私は男に言う。

 見た所、男の年齢は50歳くらいで顔には無精髭を蓄えている。服の上からでも透けて見える痩せ型の体格は戦いを挑むには余りにも心許ない。

「あなた、Heavenという漫画を知っていますか?」男が私に言う。

 知っているも何もHeavenを知らない者など居るはずもない。主人公のカイリが仲間達と共に襲いかかる様々な苦難を乗り越えて行く。個性的で魅力的なキャラクター。ストーリーの細かい設定やちらばめられた伏線。ミステリアスでありドラマチックなこの作品は国内だけには留まらず今や全世界からの人気を博している。

 だが、ここ3年ほどHeavenの連載が止まっているのだ。もちろん全世界が連載再開を待ち望んでいる事は言うまでも無い。

「もちろん知っていますよ。大好きな漫画です。でも、それとこの状況と何か関係が?」

「そうですか。それは良かった」男はそう言うとゆっくりと体を起こした。

「ちょ、ちょっと」私は男を引き止めようとしたが巻き込まれるのを恐れて声を引っ込めてしまった。

 まさかこの男は自分もHeavenのカイリの様にこの状況を打開出来るとでも思っているのか?良い歳をして漫画のキャラクターに影響されるなんて世の中はなんて不平等なのだ。

「おいっ!おっさん、なんだ、撃つぞ」ふいに立ち上がった男に対して犯人たちが言う。

「君たちはHeavenという漫画を知っているか?」立ち上がった男は再びそう言う。

「は?なんだ?知るか。マジで撃つぞ、3、2、1」

「私はHeavenの作者の柊武夫だ」

「え?」「え?」「え?」

 犯人たちも、拘束された私たちも同時に声を上げた。

「な、まさか?」犯人の一人が言う。

「本当だ。ほら」男は通帳に記載された自分の名前を見せる。

「マジだ。このおっさん本物だ」

 私たちも犯人たちと同様に動揺を隠せない。なんせ泣く子も笑うあの世界の柊武夫が同じ空間に居るのだ。確かに柊武夫はメディアの露出はおろかネット上にも顔写真すら出回っていない。と同時に名前を見ただけで信じてしまう犯人達の浅はかさにも改めて同情を覚えてしまう。

「君たちはここで死ぬ。いやまぁここで無くても近い将来死ぬつもりで行動している。そうだろ?」柊武夫は犯人たちに言う

 犯人たちは顔を見合わせるだけで答えない。

「そこでだ。もし今すぐにでも私たち全員を解放してくれるのならHeavenの連載再開を約束しよう。君たちもどうせなら死ぬ前にHeavenのラストが読みたくは無いかね?」

 少しの沈黙の後「そのまま待て」犯人たちは柊武夫にそう告げるとバツが悪そうに集まり相談を始めた。

 Heavenの再開?私もあまりの出来事に頭が混乱する。期待と不安が混じり合うとは正にこんな状況だ。いや、でももし犯人たちが本当に無敵モードよろしくなら柊武夫の命が危ない。そんな事態になれば銀行強盗どころでは無く、国際問題にすら発展しかねない。

 私は固唾を飲んで見守った。

「分かった。とりあえずお前だけ解放しよう」犯人たちは柊武夫にそう言い放つ。

「ダメだ。今すぐ全員解放。それが条件だ」柊武夫は返す刀に言い放つ。

「おい。お前立場が分かっているのか?」犯人の一人が銃口を向けながら言う。

「君たちこそだ。私の方が優位だと考えるが、違うか?」

「やめろ!」犯人の一人が銃口を下す様指示する。
「確かに俺たちに柊武夫を殺す事はできない。俺は本当にHeavenの続きを読みたくて仕方が無いんだ。こればかりはどうしようもない。相手が悪すぎる。投降しよう」そう言うと犯人たちは銃を床に投げ捨てた。

 まさか。正にペンは剣よりも強しだ。

 程なくしてシャッターが開かれ犯人たちは警察によって連行された。

 犯人たちは最後に懇願する様に「絶対に連載再開を」と柊武夫に告げ「傑作を約束しよう」と柊武夫は答えた。


 その後警察の事情聴取や事後処理の間を縫い私は柊武夫の元へ向かった。

「先生本当に助かりました。ありがとうございました」

「いやぁ上手くいって良かった。ドキドキしたね」柊武夫は笑顔で私に答えてくれた。

「流石柊先生です。お見それ致しました」

「んー。て言うか僕はただの同性同名だからね。ほら、本物の先生はペンネームとかなんじゃ無いの?」

「え?」

「え?だから、僕は偽柊武夫だよ。誰も彼の顔を知らないのが良かったね」

「たまに飲み屋の女の子相手に名前使ったりしちゃうんだよね」ニセ柊は楽し気に話す。

「まぁ無事解決して良かった。もう帰っても良いのかな?じゃあそろそろ」そう言うとニセ柊はこの最初から最後まで訳の分からなかった惨劇の現場を後にした。

 私はしばらくの間、放つべき言葉が頭の中で整理出来ずただ呆然と立ち尽くした。

 事件から2ヶ月後Heavenの連載再開の報道に世間は大いに賑わった。

 刑務所の中であの犯人たちが喜んでいる姿を想像すると共に、私は柊武夫への尊敬の念を隠さずには居られなかった。

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