秋初夏生(あきはなつき)

自由気ままに小説やエッセイ(らしきもの)を書いてます。 📗元図書館司書で、今の仕事は…

秋初夏生(あきはなつき)

自由気ままに小説やエッセイ(らしきもの)を書いてます。 📗元図書館司書で、今の仕事はwebメディアのライター兼編集者。 📘趣味は、ゲームや漫画、アニメなど。サブカル全般が大好きです✨ 📙お気軽にスキやフォローして頂けると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします♪

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  • 50音エッセイ

    50音のタイトル(テーマ)で、エッセイを書くことにチャレンジしています。 思いつくまま気の向くまま、うつろう空のように日々の気持ちを言葉に綴っていければと思います。

最近の記事

「お茶と情けはこいごいと」-エッセイ-

日本にはお茶に関することわざ・慣用句、伝承などが色々とありますね。 たとえば「お茶を濁す」「お茶の子さいさい」「へそで茶を沸かす」辺りは知ってる方も多いのではないでしようか? 全て挙げ始めるとキリがないくらい、お茶にまつわる表現は多いです。 そもそもお茶の文化はいつからあるの? お茶の文化が日本に入ってきたのは、遣唐使の制度があった奈良〜平安時代頃。 最澄や空海などの留学僧が、唐の国(中国)からお茶の種子を持ち帰ったのが始まりだと推定されています。 当時の唐では、お茶

    • 「絵の世界を散歩する」-エッセイ-

      今日は何だか少し疲れ気味。 ……という訳で(?)、一緒に絵でも眺めませんか? 「何か難しそう」なんて心配はご無用! 私も別に詳しくはないです。 批評とかじゃないし、ゆるっと思い入れのある絵の話でもしたいと思います。 そもそも、今回ご紹介する絵は……。 デッサンとか遠近法とか分からないけど自己流で描いていたという、極めて珍しいタイプの画家アンリ•ルソーさんの作品ですからね! 彼は、デッサンはめちゃくちゃだし遠近法とか何ソレ?って感じで、絵画の技術や知識はほとんどありません

      • 「笑顔の向こう側」-エッセイ-

        最近、「感情労働」という言葉を知りました。 社会学者のA・R・ホックシールド氏によって提唱された言葉で「常に自分の精神や感情を抑え、接する相手に不安などを与えないよう、明るくふるまう必要のある労働のこと」を指します。 よく例に挙げられるのが、医療や介護関係のお仕事ですが、サービス業や営業などを含むことも。 そういう業種で働く際には、怒りや悲しみなどのマイナスの感情は表面に出ないように、心のうちで抑える必要があります。 また、周りから見てから見て、明るく前向きになるような

        • 「絵本の楽しみ方」-エッセイ-

          公共図書館で働いていた頃。 児童書や絵本のコーナーを担当した事がありました。 そこで時々聞かれたのが…… 「子どものためになる絵本はないですか?」とか「知育になる絵本のおすすめってありますか?」という質問。 確かに、脳の発達を目的として作られている絵本もあります。年齢や発達段階ごとにおすすめもあるので、そういった案内も出来ます。 でも……個人的に、そういう目的や目安だけで本を選ぶのは、少し勿体無いなと思うんです。 それに。 一人一人のお子さんに合う絵本というのがあるので

        「お茶と情けはこいごいと」-エッセイ-

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        • 50音エッセイ
          24本

        記事

          「エッセイって……何だろ?」-エッセイ-

          エッセイをシリーズで書きながら、今更何を言っているのかと思われそうですが……。 せっかく「え」のテーマなので。 初めて書いたエッセイのことや、以前サイト運営をしていた頃に書いた(自分なりの)エッセイの定義について、振り返ってみたいと思います。 はじめてのエッセイとある文芸誌に読切の短編を載せた時のこと。 予定されていた掲載分よりも少し作品が短く、ページが余ってしまいました。 編集担当者から、そういう場合にはエッセイを書いともらう決まりになっていると言われ、私は大いに困惑し

          「エッセイって……何だろ?」-エッセイ-

          「うまく書こうとすると見失う」-エッセイ-

          「うまく書こうと意識し過ぎずに自由に書きたい」という感じのことを、自己紹介でも少し書いていたのですが。 案外、自由って難しいですね。 それに何ていうか……カッコつけすぎたり、型に囚われすぎると、何か空回りしてる感があるというか。 自分でも何だか面白くない感じになってしまう気がするのです。 思い浮かんだ事をそのまま勢いに任せて書くような、そういう文章を書きたいなと思うのですが。 寸前でブレーキを踏む癖があります。 普段の仕事の文章だと、その辺だいぶセーブしちゃってるからで

          「うまく書こうとすると見失う」-エッセイ-

          「運の要素とゲーム」-エッセイ-

          運の要素がないゲームと言えば、例えばボードゲームで誰もが知ってるものだと、将棋、囲碁、オセロ、チェスetc… 厳密に言えば、先攻か後攻かで有利不利があると言われているので、その辺りは運の要素と言えるかもしれませんが……基本的には相手の手を読み合う思考力の勝負。 小説や漫画などでも、これらのゲームは心理戦や推理、普段は思考を読みずらいキャラクターの心理描写などに使われる事が多いです。 ろくにプレイ出来きずにオブジェと化してますが、何かカッコいい!と憧れてチェス盤買ったこと

          「運の要素とゲーム」-エッセイ-

          「後ろ髪を引かれる」-エッセイ-

          「後ろ髪を引かれる」という言葉があります。 通常は心残りや未練があることを意味する表現です。 ところで。ふと語源というか、この言葉の生まれた背景が気になったんです。 いったい「誰」にどういう状況で「後ろ髪を引かれた」んでしょう? 最初は、背中におんぶした子どもに髪の毛を引っ張られる状況かな?と思ったんです。 保育園へ預ける時に「ママー」って泣いてる子どもに髪を引っ張られる(物理)みたいな状況を想像してみると、妙にしっくりきたので。 でも、この表現は男性も使います。 男性

          「後ろ髪を引かれる」-エッセイ-

          「うみのこの思い出」-エッセイ-

          「うみのこ」と言っても、海の話ではありません。 県民あるあるの一つと言いますか。 たまに同県出身の方と話してると「フローティングスクールって行きました?」という話題になる事があります。 世代にもよりますが、多くの滋賀っ子の共通の思い出と言えます。 フローティングスクールとは、学習船「うみのこ」を運営する県の機関のこと。 その機関が、毎年県内に住む全ての小学5年生の子ども達を対象に、学習船「うみのこ」で1泊2日の琵琶湖に親しむ体験学習を実施しているんです。 なんと、昭和58

          「うみのこの思い出」-エッセイ-

          「『うっかりループ』からの脱却」-エッセイ-

          あまりにも朝から『うっかり』が多過ぎたので、自戒を込めて本日のテーマとさせて頂きます。 今日の私は…… 朝:タイムカードを切り忘れかけた。 昼:知人へのメールの返信を忘れた。 夕方:家の鍵を職場に忘れた。 夜:ご飯を炊き忘れた。 という感じで、もう散々。 人間誰しも、物忘れやうっかりミスはあると思うのですが、こうも1日のうちに連続するとちょっと自分でも不安になりますね。 こういうミス、ごくごく稀にですが派手にやらかすんです。 朝から「またうっかりしちゃった。今日はダメな

          「『うっかりループ』からの脱却」-エッセイ-

          「いろイロな色の話」-エッセイ-

          子どもの頃。 絵を描くのが大好きで、文房具屋さんで見かけた48色セットの色鉛筆がどうしても欲しくて、おこづかいを貯めて、買った事があります。 でも、眺めてるだけで満足したり使うのが何だか勿体無かったりで、結局いつも使うのは12色の色鉛筆だったんですけどね。 まあでも、そんな感じで。 昔からとても関心のあった、色(color)にまつわる話を少ししたいと思います。 かつて日本には、4色しかなかった?日本で最初に生まれたのは、黒・青・赤・白の4つの色だったと言われています。

          「いろイロな色の話」-エッセイ-

          「石垣にみる幻想」-エッセイ-

          私が生まれ育った家は傾斜地に建っており、裏庭には自然の石をそのまま積み上げたような大きな大きな石垣がありました。 所どころ苔むした石積みの壁は、長い年月を感じさせるような独特の風格があって、とても心惹かれたものです。 その石垣は、子供時代の私にとって、大好きな遊び場の一つでした。 ある時は、石垣を堤防に見立てて、魚釣りごっこ(長い木の枝に縄跳びか何かのヒモをくくりつけて釣竿代わりにしてました)。 また、ある時は石と石の間にカタツムリが隠れてないかを探したり、お城の城壁に

          「石垣にみる幻想」-エッセイ-

          「行きて帰りし物語」-エッセイ-

          大学時代、児童文学の構造論の授業を受けていたのですが、先日部屋を整理していたら、その講義ノートが出てきました。 大事に箱に入れてあったので、よほど思い入れがあったんでしょうね。 というわけで、ちょっと振り返ってみます。 今回の表題「行きて帰りし物語」ですが。 よく好まれる「行って」「帰る」という物語の構造パターンの呼び名です。 (「い」じゃなくて「ゆ」じゃないか!と書いてから気付きました) 「ゆきて帰りし物語」という呼び方は、トールキンの小説『ホビットの冒険』に出てくる

          「行きて帰りし物語」-エッセイ-

          「医者選びって難しい」-エッセイ-

          お陰様で、これまで生死をさまようような大病や大怪我には縁がないのですが。 これまでの人生で3度ほど、病院にまつわる強烈な思い出があります。 心配症の母に救われた話最初の思い出は、中学生の時。 前の晩からひどい腹痛や熱で、心配した母が仕事を休んで最寄りの内科まで付き添ってくれました。 「まあ風邪か何かの菌がお腹に悪さしたんでしょう。お薬出しておくんで、それで治らなければ3日後に」 と、言われたのですが。 夜中から治らない腹痛と発熱に普段の風邪とは違うと感じていた母は、その

          「医者選びって難しい」-エッセイ-

          「いぶし銀のような」-エッセイ-

          きらきら輝やく銀に、硫黄のすすで曇りをつけると、表面の光沢が失われて、何とも味わい深い 灰色になります。 それが「いぶし銀」の元の意味。 銀は時間をかけて燻すほど、渋く奥行きのある味わいとなり、独特の魅力がかもし出されます。 このことから「いぶし銀」という言葉は、きらきらとした華やかさはないけれど、魅力的な物や人などを意味するようになりました。 実力や経験を備えていることが前提の「いぶし銀」という表現は、ベテランと呼べるだけのスキル・能力や確かなキャリアを称賛したい場合

          「いぶし銀のような」-エッセイ-

          「急がば泳げ?」-エッセイ-

          「急がば回れ」という言葉があります。 『急ぐときほど、慎重にしなければ失敗しかねないので、遠回りなようでも確実な道を行くのがよい』という意味のことわざです。 実は、このことわざ。 滋賀県にある琵琶湖の交通手段にまつわる言葉で、室町時代の短歌が語源になっています。 「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」 ざっくりと訳すと。 京へ向かうために琵琶湖を渡ろうとしている武士に対して「転覆するかもしれない危険のある船よりも、安全な橋を渡る方がいいよ」と諭している歌

          「急がば泳げ?」-エッセイ-