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高尾歳時記 番外編 : 奥多摩 三頭山 2023年11月25日(土)

今年はニュースで、頻繁にクマの目撃や被害の情報を耳にします。

環境省がまとめた、今年10月末時点の速報値によると、日本全国から報告されたクマ類による被害件数は164件、被害者数は180人で、そのうち死者数は5人(注1)。

総数で見ると、直近で被害件数が特に多かった令和1年度と令和2年度と比較しても大幅に増えています。

令和1年度
被害件数:140
被害者数:157
死者数:1

令和2年度
被害件数:143
被害者数:158
死者数:2

本年度の報告数は、まだ7ヶ月経過時点のものです。ただしクマは概ね12月あたりから冬眠に入るといわれていますので、以降被害件数は少なくなると思われます。しかしそれを差し引いても、既に10月末で、平成20年度以降最悪の数字になっています。

報告数を見ると、本年度は特に秋田県が突出して増えています。東京にもクマが生息することを知っているひとは少ないと思いますが、毎年目撃痕跡情報があり、東京都はその数を集計し発表しています。NHKの報道(注2)によると、2023年11月16日時点の目撃報告数は昨年同時点の171件より少ない144件。報告は檜原村や奥多摩町、ならびにあきる野市や青梅市など奥多摩山地からのものが大半を占めますが、高尾陣馬エリアからも毎年あります。本年度は、草戸山や西山峠など東高尾山稜から南高尾山稜ならびに景信山周辺で複数の報告があります(注3)。

なお統計情報としてひとつ面白いのは、首都圏では東京都のほかでもクマの目撃情報がありますが、唯一、千葉県だけは皆無。千葉県は、本州ではたったひとつの、クマが生息しない県なのだそうです。

私はクマに限らず野生動物の生態については全くの素人ですので、前掲の統計や情報について評論や解釈を加えるようなことはしませんが、山にかよう人間として、関連する情報は気になるところです。

ここ3年ほどで、登山中クマとは2回遭遇しています。両方とも、北アルプスの山深い山中です。

ひとつは登山の序盤、谷の向こう側に黒い塊がモコモコ移動しているのに気がついて、歩みを止めて観察したら、それはまごうことなきツキノワグマの成獣。ただし、互いの間には川が滔々と流れる深い谷があり、どう考えてもそれを超えてこちら側に来るようなことはなさそうだったので、恐怖は感じませんでした。向こうもこちらに関心ないそぶりで、そそくさと藪の中に消えていきました。

ひとつは、槍ヶ岳直下。歩いていると、ツキノワグマの成獣が登山道をこちらに向かって歩いてきました。互いに存在に気づいたときの距離は20mほど。私は停止後、定石どおり、刺激しないよう音を立てずに前を見ながらゆっくりと後すざりして徐々に距離をとります。向こうは私を一瞥したあと首を横にふり、登山道をはずれ斜面を下っていきました。

あくまでも個人の、とはいえクマ、イノシシ、カモシカなどを含めた様々な野生動物と遭遇したことがある経験上ですが、よく携行が推奨される熊鈴、あれは全く役に立ちません。おまじないぐらいの存在です。

理由は単純です。あんなチリンチリンぐらいでは、まったくもって効かないのです。相手に届いていないのです。クマになったことはありませんし、なる予定もないので本当のところを知ることはないと思いますが、森の中であれが聞こえるのはせいぜい20m程度でしょう。それも晴れて空気が乾いている日の話です。曇りや雨で湿度が高い日や霧立ち込める森の中では、音は空気中の濃い湿気でかき消されてしまいほとんど響きません。また、風が強い日は、音はあっという間に飛ばされ撹乱されてしまいます。そんなことでは意味がないのです。クマにはそれ以上の能力があるはず、などと考えるのは勝手な願望と妄想です。

相手に確実に届くボリュームでないと意味がありません。叶うならタンバリンかラッパかなにかを持っていきたいぐらいですが、登山は安全のために両手をフリーにしないといけないので、楽器を演奏しながらはできません。

今でもたまにいますが、私が子供の頃は、山にはいるとラジオやラジカセから演歌かなにかを大音量で流しながら歩いているおじさんをよく見かけました。また、動物の気配があるところでは藪を棒でバシバシ叩いて威嚇したり、ボーイスカウトにいた時はみんなで大声で騒いだり歌を歌ったりしていました。

昔と違って、今はあまり他の登山者をおどろかすような粗暴なことはできませんので手段は限られます。それでも人里離れた奥深い山にはいるとき、何か気配を感じたときは、むかし山の先生から習ったとおり、口元に両手を筒状にあてて、腹の力を最大限使って肺に溜めた空気を一気に吐き出しながら野太く低い声色で「ホゥ!」と遠くにむかって咆哮を発し、予防的な威嚇を行います。野生動物と遭遇したのは、決まってそれを怠ったときでした。命の危険をもっとも感じたのは先述のクマと、カモシカです。斑尾山の森の中を歩いていたときのことです。眼前の茂みがガサっとゆれたので「ん?」と立ち止まりました。その刹那、その茂みからカモシカの成獣がこちらに向かって飛び出してきました。その距離ほんの数メートル。向こうもこちらの存在に気づいていなかったらしく、明らかに驚愕動揺し、地面を蹴って空中にポーンと跳ね上がると体をひるがえして、全速力で藪の中に逃げ込んでいきました。草食動物とはいえ、万が一、向こうも生命の危機を感じて攻撃に転じ、あの巨体と怪力で体当たりかなにかされたら、タダではすみません。

登山は特殊なスポーツです。特殊性のひとつに、やればやるほど危険が増していく、というのがあります。野球やサッカーなどは人間が相手で、ルールがあり、相手がそのルールを守ってくれることを期待できますし、それで安全を確保することができます。また、フィギアスケートや、スポーツクライミンングや、スケートボードなどの個人種目も、課題は人間が設定したもので人間的に不可能なことは課されませんし、ルールもあり、運営を含めた安全確保のための管理体制がしっかりと組まれます。一方、登山は人間の都合など一顧だにしない自然が相手であり、その相手と話し合う手段もルールもなく、また管理体制もなく、そしてこれが極めつきなのですが、二度と同じ状況はないので過去の再現に頼ることができず、毎回がぶっつけ本番になります。「今回も大丈夫だったから次も大丈夫だろう」ではなく、「今回は大丈夫だったので次は何か起こるだろう」と考えなくてはいけないのです。

「登山にベテランなし」とはよく言われることです。通常のスポーツは経験を重ねれば重ねるほど上達し、安全を確保する力も増していきますが、登山ではそのようなことはなく、毎回それぞれが常に危険と隣り合わせです。リスクを除去する手段がないのです。なので、どれだけ経験を積んでも安全性が増すことはなく、むしろ、行けば行くほど遭難する可能性は山で過ごす時間に正比例して高まり、その危険をどこまで引き受けられるか、ということでしかないのです。長野県山岳遭難防止対策協会(遭対協)の救助隊員の方とお話ししたとき言っていたのは、「山での遭難を防ぐ手段はひとつしかなくて、それは山にお出かけしないこと」。

小学館コミック「岳-ガク-」に登場するキャラクター、長野県遭対協副隊長「宮川三郎」のモデルとなった穂高岳山荘元支配人故宮田八郎さんの著書から引きます。原文縦書き。

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経験を重ねることは必ずしも山の危険を減らすことにはなりません。むしろ山で次々と困難な場面に遭遇すれば、当たり前のことですがその分リスクは増すのです。たとえば生涯にただの一度しかザイテングラートを歩かない人と、年に数十回はそこを歩くぼくのような者とでは、ザイテンで事故を起こす確率は後者の方が高いといえます。ベテランであることは山での安全を担保することにはなりません。そこに山の落とし穴があります。
【宮田八郎「穂高小屋番レスキュー日記」 株式会社山と渓谷社 2019.04 】
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登山中に野生動物と遭遇するリスクを除去する手段はありません。登山というスポーツの、人間の都合など全く顧慮することない自然が相手だという、その特性がある限り。

今日は、初冬の三頭山に行ってきました。2023年11月22日は二十四節気の小雪。冷え込みが厳しくなり、冷たい雨や雪が降るころ、とされます。早朝の数馬を出発。気温は零度。暦らしい寒さの厳しい日でしたが、空は快晴。未明まで風が強かったのですが、陽がのぼるころにはおさまりました。天候は十分計画し準備はしっかりとしてきたので、快適です。

この山域でもクマ情報の報告が毎年ありますが、笹尾根に限ればあまりありません。三頭山を含む檜原都民の森は人が比較的多いのでクマも避けているのだと思いますが、笹尾根は単に登山者の絶対数が少ないだけ、というような気がします。笹尾根には、コナラ、ミズナラ、カシワなど、クマの大好物であるドングリをいっぱいつけるナラ科の木がたくさんあるからです。今日は槇寄山から数馬への下りを除き、途中誰一人とも会いませんでした。

クマを含めた野生動物との遭遇を前提に、出発です。結果として、山行中見かけたのは小規模のシカの群れだけでした。

山行地図(注4)

数馬バス停(06:30)⇨三頭大滝(07:20)⇨三頭山西峰山頂(08:00)⇨槇寄山山頂(09:00)⇨数馬バス停(09:40)

序盤は檜原都民の森に向かって、三頭沢沿いの山道を登ります。紅葉はほとんど終わっていましたが、一部残っていてくれました。
ご来光!
檜原都民の森に到着。紅葉は終盤。一部見頃のカエデが残っていてくれました。
早朝のセラピーロード。朝日が眩しく森を照らします。
だいぶ陽が登ってきました。
写真では見づらいのですが、ここセラピーロード途中の見晴からは、遠く東京湾まで見渡すことができます。今日は空に霞がなく空気が透明でしたので、しっかりと見えました。
このカエデの木は毎年見事な紅葉を見せてくれます。今日は見頃を過ぎていましたが、まだ見応えはバッチリ。綺麗でした。
三頭大滝はすっかり冬景色。
さらに冬が深まると滝は凍結し、すばらしい氷瀑になります。氷瀑は1月から2月にかけて、空が晴れることによる放射冷却で冷え込みが厳しくなる日が続くと、なかなか見られないその貴重な姿を見られます。
ムシカリ峠に到着。山頂付近のブナの木はすっかり葉を落として冬の風情です。
三頭山(西峰)に到着!さてさて、富士山は…。
あーっ!なんと、富士山方面の空の低いところだけ雲がかかって、見えません!
残念ですが、また来る理由ができました!
三頭山山頂から、遠景に雄大な石尾根。雲取山、七ツ石山、鳩ノ巣山、六ツ石山など、石尾根を代表する峰々が一望です。
笹尾根を中沢山までくだってきました。ここからも雄大な富士山が見られるはずなのですが…。
富士山方面は引き続き空の低いところは雲に覆われ、富士山はお預けです。
笹尾根ではほとんどの木が葉を落としていましたが、一部見事な紅葉が残っていました。
青空に映えて見事です。
槇寄山に到着。ここからの富士山も絶景なのですが…。
先ほどよりも雲が増えてきてしまいました。残念ですが、また来る理由ができたということで!
槇寄山周辺では、見頃の紅葉があちらこちらで残ってくれていました。
美しく紅葉したコハウチワカエデ。
イロハモミジ。紅が深い個体。
同じコハウチワカエデでも色合いが微妙に異なります。
ちょっと個性的なイロハモミジ。
槇寄山から数馬の集落へとくだる道でも見頃の紅葉が多く残っていました。
こちらは橙色に染まったイロハモミジ。
ホソエカエデの幼木。
こちらはイロハモミジの幼木。
グラデーションが美しいイロハモミジ。
こちらは葉が黄葉しつつあるイロハモミジの個体。綺麗です。
数馬の集落では、フユザクラが開花していました。
フユザクラはカエデが紅葉する11月ないしは12月あたりから、通常の桜の花の季節である早春にかけて次々と開花します。

(注1)
環境省 クマ類による人身被害について [速報値]
https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/injury-qe.pdf

(注2)

環境省 クマ類による人身被害について [速報値]
https://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/injury-qe.pdf

(注3)
東京都環境局HP 自然環境 野生動植物の対策 ツキノワグマについて 都内での目撃等

(注4)
《国土地理院コンテンツ利用規約に基づく表示》

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
GPSデータに基づく軌跡を描線。

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