見出し画像

「地図と拳」の感想から。建築と時間と。

今年の初めに直木賞を受賞された、小川哲さんの「地図と拳」。
ご本人が書いた受賞の言葉を読んだときに、とても感心して(でも内容はすっかり忘れた)、Amazonで購入したものの届いて厚みにびっくりした。
最近やっとこさ読了。
あらすじは、旧満州の架空の町を舞台に、明治32年から昭和30年までの「そこに生きる人たちのそれぞれの物語」を時系列に、でもオムニバス風に集めた長編。目線は日本人だったり、中国人だったり、ロシア人だったり色々。満州に関わる多くの人の思惑が散りばめられている。
SFと書かれているので、そこはかとなくフィクションが混じった、しかし史実に基づく物語。
「こういう風に理解してね」というメッセージはほとんどなく、でも淡々と描写される世界から伝わる、この世のいろいろな切り口。
物語を通して最初から最後まで登場するのは、黒幕的な「細川」という人だけなんだけど。
彼を軸に、似て非なる存在として生まれてくる「小明」が最後に悟った言葉が印象的。この小説には建築と都市計画が深く関わってきていて、「小明」ことアケオは建築家として活躍する。
「建築とは、時間だ」
アケオがその概念にたどり着いたとき、ああ、これは「モモ」にちょっと似てるなーと感じた。

それを説明できるほど思考は深くないけれども。

建築にはその人たちの文化や価値観が強く現れるのと、その文化そのものを時代を超えて受け継いでいくことから、「その人たちが生きた事実」を時間軸を超えて未来へつなげる装置であると。

地図を描くところからスタートした物語は、「地形は人の力では変えられない」「地形を見れば、どこでどう人が諍いを起こすかを読み取れる」そんな前提から、「人は服を着て、建物に住まなくては生きて行かれない不便な生命体」であり、「都市を計画し、建物をつくることで価値観を表出し、時代を超えて思いを伝えられる」という結論まで。たくさんのエピソードが紡がれる。

でも、その建築は強力な拳、つまり戦力によって影響を受ける。

何もかも壊されたあと、アケオは決心する。「日本に帰って建築をします」と。

○○○

小説の中で、「人間のことを人的資源と捉える価値観」への嫌悪感のようなものを、チラリと描写している部分があるのだけど。

人を人的資源と捉えた時代から、100年も経たないうちに現代は少子化の波に飲まれている。

振り幅の大きな100年の次に何か起こるのかは、もしかすると地図を読み、建築を眺めるだけでヒントが掴めるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?