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「大人はずるい」と思われる子育て。


「パパはいつも自分だけずるいよ!!」

「保育園に行きたくない!」と朝からゴジラのように火を吹き、都心のビルをズタズタに破壊するのと同じように、親の精神を破壊していく次女の口から炎と合わせて吐き出されたその言葉。

 それを聞いた僕は涙が止まらなかった。今風に言うと、全オレが泣いた!とでも言っておくべきか。本当に本当に嬉しくて泣いたのは久しぶりだった。

 5年という歳月通りの小さな口元から聞こえてくる寝息。その寝息は、まだ少し肌寒い早朝の空気を少しだけ温めてくれる。それと同時に、限りある1日を誰のために生きるのか?という答えも一緒に教えてくれたりもする。

 じっと寝顔を見つめているだけで、僕の心を深々と感慨深い気持ちさせ、「命をかけて守らなきゃ」という忘れてしまいがちなとても大切な意識を思い出させてくれる。

 親の背中を見て子は育つと言われているように、事実、怒りっぽい親なら怒りっぽい子に育ち、優しい親なら子も優しく育ち、楽観的な親なら楽観的な子に育ち、冒険心のある親なら冒険心のある子に育ち、インドア派な親ならインドア派の子が育つ。

 100%ではないけれど、そんなことが言えると思う。もちろん、どれが正しいとか正しくないとかではなく、子供が大人へと成長していく環境は、間違いなく子供が一生握りしめていく人生の価値観を形成していくのだ。

 つまり、「パパはいつも仕事が大変なんだよ!」なんて言っているなら、子供は「仕事って大変なんだ」と思うだろうし、仕事の愚痴ばかりをこぼしていたなら、仕事って楽しくなさそうだと思うだろうし、逆に「いや〜パパは毎日仕事が楽しくて仕方ないよ〜」と言っているなら、仕事って楽しいんだと思うだろう。

 繰り返すようだが、親の背中を見て子は育つのだ。

「ほら、もう保育園行く時間やけん起きらんば」

 クマのぬいぐるみのように可愛い寝顔を覗かせる次女の目が開き、あたりをキョロキョロと見渡しながら、「えっ?もう朝なの……」という目を僕に注いできた次の瞬間に、可愛いクマのぬいぐるみはゴジラと化す。

 そのゴジラに変貌した次女から「パパはいつも自分だけずるいよ!!」と言われた僕は、天にも昇る心地だった。

 ゴジラになった次女のその言葉の30秒前に、こんな前置きがある。

 「私は、保育園に行かなきゃならないのに!パパは良いよね!自分の好きなことして!」

 「パパはいつも自分だけずるいよ!!」

 そう言って次女は、ムスッとしながら、僕が”好きな”仕事に行くことを羨ましがっていた。要は、保育園に行きたくない次女は、パパ(僕)だけ好きなことをして1日を過ごしていることに嫉妬しているのだ。

「1日が早く終わって、すぐに日曜日になってほしい!」という話を次女とする度に、僕は「そうだね、家族で早く遊びたいね」という言葉を置いた後、「でもパパは好きなことしてるから1日が48時間あったらもっと仕事ができるのにな〜と思ってるよ」と常々言っている。

「パパはいつも自分だけずるいよ!!」という言葉の裏には、少なからず「大人になったら楽しい仕事ができる」という気持ちが芽生えていると言えるのではないだろうか。

 子供の未来はどんなことがあろうと、明るいものだ。もちろん、辛いことの方が多いかもしれない。本当は、大人にならない方が良いのかもしれない。でも、僕らは大人にならなければならない。僕らは成長していかなければならない。

 だとしたら、子供の目の前に漠然と見え隠れする「大人になること」について、いつも疲れ果てて不平不満を言ってばかりの父を見て育つのと、いつも仕事を楽しそうにしている父を見て育つのは、後者である方が断然良いに決まっている。

 親の背中を見て子は育つ。つまり、親の言動や行動を子供は見ていないようでしっかりと見ているのだと思う。だからといって、子供の前だけいい格好をするのではなく、僕は常に自分らしくありたいと思う。

 限りある1日を、悔いのないように楽しく過ごすこと。自分勝手ではなく、自分らしく過ごすことが、子育てにおいても大切ではないかと思う。

 「大人はずるい」と思われる子育てが、子供の未来をワクワクさせる。

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