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クリエイティブディレクター 矢﨑剛史さんと振り返る、プラップジャパンのパーパス「あしたの常識をつくる。」に込めた想い。

こんにちは。PRAP OPEN NOTE編集部です。今回はプラップジャパンのパーパスをテーマに対談をお送りします。
2019年にプラップジャパンのウェブサイトリニューアルとともに生まれた「あしたの常識をつくる。」というパーパス。パーパス策定の中心メンバーだったプラップジャパンの持冨弘士郎さんと、外部パートナーとして策定に携わった猿人|ENJIN TOKYOのクリエイティブディレクター/コピーライター 矢﨑剛史さんが、当時のインサイドストーリーを改めて語り合いました。

<対談メンバー紹介>

■矢﨑 剛史さん(@yazakichi
猿人|ENJIN TOKYO クリエイティブディレクター/コピーライター
1982年生まれ。株式会社電通レイザーフィッシュ(現・電通デジタル)を経て、2011年より現職。戦略・PR・プロモーション・デジタル・コピーライティングなどの幅広い経験を活かした統合的なコミュニケーションプランニングを得意とする。受賞歴に SPIKES ASIA 2016 Digital Craft 部門 Grand Prix、PRアワードグランプリ BRONZE、第55回JAA広告賞メダリスト、The FWA Site of the Day, Mobile of the Day, 第58回宣伝会議賞シルバー など。

■持冨 弘士郎さん
2010年プラップジャパン新卒入社。2017年より戦略プランニング専門の部署に籍を移し、PR視点のクリエイティブ開発やプロジェクト立案など、幅広いコミュニケーション施策を企画・ディレクションしている。プロボノワークとしてSCD/MSAという難病の認知向上を目的とした活動「#酔っぱらいではありませんプロジェクト」を運営中。受賞歴にPRアワードグランプリ SILVER、PR AWARDS ASIA SILVER、Golden World Awards FINALIST など。

——「あしたの常識をつくる。」は、プラップジャパンにとっての旗印、いわゆるパーパスとなる言葉です。開発のきっかけは持冨さんがリードしたウェブサイトリニューアルだったと聞きました。

(2019年にリニューアルしたプラップジャパンウェブサイト

持冨:はい、4年前のコーポレートサイトリニューアルの際に生まれた言葉です。サイトの見栄えを単によくする、ということではなくて、会社のリブランディングのような位置づけでリニューアルプロジェクトを進めようと思ったときに、強く必要性を感じたのが「会社のスローガン」でした。
従来のサイトでは「コミュニケーションの戦略的パートナー」という言葉が全面に掲げられていて。これ自体、間違っているわけでは決してありませんが、会社の実情をそのまま表現する言葉よりも、これから仕事を相談しようとしてくださるクライアントに期待していただいたり、当社を志望する方や当社社員がワクワクするような言葉をサイトに掲げたいと思ったんですよね。パーパスというワードが一般化する前だったので、当時はスローガンという位置づけで開発に着手しました。

——なるほど。サイト刷新の背景には、会社のリブランディング、つまりプラップジャパンという会社が何者なのかを改めて言語化しようという狙いがあったわけですね。

持冨:はい、そうなると社内の人間だけでなく、外の目線で会社を捉えてくれる方にも入っていただくのが大事だと思い、過去にクリエイティブのパートナーとして案件をご一緒させてもらったことのある矢﨑さんが真っ先に頭に浮かびました。
広告の世界だけでなく、PRに対しても深い知見をお持ちで、それでいて当社のこともよくご存知の矢﨑さんに是非第三者視点でサポートいただきたい、と思いご相談したんです。

矢﨑:そうでした、懐かしいですね。持冨さんとはジョンソン・エンド・ジョンソンさんのお仕事を中心に何度かご一緒させてもらっていたんですよね。

持冨:初めてお会いしたのは2015年くらいだったと思うのですが、こんなにPR発想で企画を考えるクリエイターの方がいるんだと驚いたのを今でも覚えています。そういう意味でも、プラップのスローガン開発に寄り添ってくれるのは矢崎さんしかいないと思っていたので、二つ返事でお受けいただけてホッとしました(笑)。

——素敵なご縁ですね。会社の価値を言語化していくうえで、まず何から着手されたのでしょうか。

持冨:会社の価値を考えるよりも前に、PRの価値とは何かということを話し合いました。そこで矢崎さんが最初に持ってきてくださったのが「信じることの価値」という言葉で。
PRに携わる人間として胸をつくコピーであったと同時に、自分自身がPRの仕事の本質を言語化できていないことを思い知らされました。

矢﨑:策定当時というタイミングもあったのかもしれませんが、フェイクニュースや企業のデータ改ざん信頼性に関する問題が多発していて、情報の信頼性に対して思うところがあって出てきた言葉ですね。
パブリックリレーションズという言葉は、「パブリック=公衆との関係性をどう築いていくか」ということが元になっていると捉えていますが、公衆や人々に対して、企業・団体がパブリシティとを接点として様々なことを伝えていくというのがPR活動、とした時に、そこに対する信用がすごく揺らいでいた時期と記憶しています。

——なるほど。 

矢﨑:思い返すと、僕自身広告会社のクリエイティブディレクターという立場でPRに接していて、PRがすごく「手法化」されてきていると感じていました。PRのからくりが世の中につまびらかにされて、仕掛ける側の目線で情報をうまく伝播させていくやり方がまかり通っている。自分に都合のいいように情報をばらまくことに対して、それでいいのかなという思いもどこかにありました。

持冨:たしかに実際、“企業側からの都合のよい情報”に生活者も気づき、目が肥え始めていた頃ですよね。当時、カンヌライオンズのPR部門でも「エントリーされるプロジェクトがPRなのか広告なのかを見定める基準は、ファクトベースであるかどうか」だと解説されていました。
個人的にもこの定義がすごく腑に落ちていたのですが、今の時代はそうしたコミュニケーション自体に価値があるのだと、矢崎さんに気づかせてもらい、ふだんの仕事に誇りを持てたんですよね。

矢﨑:持冨さんとご一緒したジョンソン・エンド・ジョンソンの仕事もまさにファクトベースのコミュニケーションでしたよね。

持冨:たしかにそうですね。文科省が公開している信憑性のあるデータから発見した、北海道の中高生は視力が悪いというファクトをベースに、「読めない看板」で札幌の通学路をジャックして眼科受診の重要性に気づかせるという企画でした。ターゲットに気づきを提供する手法のクリエイティビティもさることながら、その背景にある真実性というか、情報の信頼度が多数のメディア報道にも結びついた要因だったと思います。

矢﨑:それこそPRのアワードと広告のアワード、両方の受賞にもつながりましたよね。僕にとっても思い出深い仕事です。そんな風にプロジェクトをご一緒するなかで、プラップさんらしさを感じる瞬間があり、それもスローガンを言語化するヒントになると考えていました。

ジョンソン・エンド・ジョンソン「読めない看板」事例

——プラップジャパンらしさ。外部の方からお聞きする機会がなかなかないので気になります。複数のPR会社さんとお仕事をされている矢﨑さんの目から見て、プラップジャパンはどんな会社と感じていたのでしょうか?

矢﨑:ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、人の良さとか朴訥としたところに、誠意や正直さみたいなものを常々感じていて、そこが出発点になると思っていました。これこそがプラップジャパンの皆さんの強みだと感じていた気がしますね。

持冨:誠実さは当社のバリューでもあるので、そこを感じとっていただけて嬉しいです。
僕たちもプラップジャパンらしさを整理するために、サイトリニューアルプロジェクトメンバー内で話し合ったり、クライアントやメディア、社外パートナーにもヒアリングを重ねていきました。

矢﨑:持冨さんからシェアしていただいた、実際にプラップジャパンで働いている皆さんの思いや考え方には、共通点もあれば逆に異なっているものもありましたが、それらを束ねられるような言葉があるべきだという思いが強くあったんです。働く人たちがその言葉のもとに集い、自分の仕事って何なんだろうね、と考えるよすがになる言葉。

——「よすが」って素敵な言葉ですよね。身や心のよりどころ、という意味。

持冨:矢崎さんとの壁打ちのなかで、自分たちの仕事を改めて振り返っているうちに、プラップジャパンという会社の現状や特徴を語るよりも、PRの上位概念というか、PRのあるべき姿を語ることが大切だと気づきました。
どの社員も多かれ少なかれ、PRという考え方に惹かれて集まってきているわけですし、総合PR会社としてPR業界のプレゼンスをもっと高めたいという自負もある。そうした言葉を目指すなかで矢崎さんが提示してくれたのが、「常識を変えよう」というコピーでした。

矢﨑:「プラップジャパンが考えるPRってどういう仕事なの?」という問いに対するある種の答えとして、この言葉があったんだと思います。
たとえば大成建設さんのスローガンに「地図に残る仕事。」があります。建設業は建物をつくったり橋を架けたり、そのためのプロジェクトマネジメントだったりが仕事と思われがちですが、「自分たちの仕事は地図に残るんだ」という言葉があることで、仕事に誇りを持つことができる。他の仕事では得られない、建設業ならではの満足感ややりがいが感じられるスローガンです。

持冨:名作とされるコピーですよね。

矢﨑:では、PR会社で働く皆さんにとってやりがいになる言葉は何なんだろうと考えたときに、PRは「常識」というものをある意味唯一変えることができる仕事なのではないかと思ったんです。
先ほど持冨さんがおっしゃっていた“ファクトベース”の話にも通じますが、そのファクトに対してパーセプションを変えていったり、ビヘイビアを変えていって、その集積によって社会の価値観が動いていく。
そうやってダイナミックな動きを起こし得るのがPRの仕事の究極の醍醐味である、と言語化することが、プラップジャパンの社員にとってもっとも誇りを持てるのではないかと思い、この言葉にたどりついたんです。

持冨:まさに誇りを持てましたね。PRにおいて重要なのは、世の中や社会の関心に向き合うことだと実際の現場でもよく言っているのですが、それはつまり世間一般の“常識”と向き合う仕事であると定義してくれたことで、僕のなかで一本のプレスリリースの意味合いや一件のメディア露出の重みが大きく変わりました。ふだんの仕事の価値を再発見できたんですよね。

——「あしたの常識をつくる。」に近づいてはいるものの、この時点では「常識を変えよう。」ですよね。この変化にはどのような経緯があったのでしょうか。

持冨:「これでいきませんか」と経営陣に提案したとき、代表の鈴木から「変えることだけがすべてじゃないよね」というフィードバックがあったんです。この指摘は今でも非常に印象に残っています。

矢﨑:より攻めたコピー表現を磨いていると、ついついそれ以外の要素を捨て去ってしまう時があります。だからこそ鈴木社長のフィードバックはとても重要な指摘でした。
PRの仕事に携わって一つの頂点を極められた鈴木社長からこの言葉をいただけたことが僕としてはすごく嬉しかったですし、社長をはじめ社員の皆さんがPRという仕事をこう捉えていらっしゃることが非常によくわかりました。「変わるものと変わらないもの、両方ある」というディレクションは誠実な社員のみなさんの働きぶりを見続けているトップゆえの言葉だったのかもしれません。

持冨:たしかに常識というものに誠実に向き合う姿勢の表れでもありますね。

矢﨑:常識というものと組み合う上で、プラップジャパンのみなさんが「変えること」だけを目指しているわけではなくて。変わらないものや、不変とは限らないけれど、社会に深く定着しているものを尊重されているという、いまの言葉で言う「インクルーシブ」な考え方を感じました。
それこそ当時の僕は「変わることがいいことだ」という考え方が全盛の中で、変わらないものは淘汰されていくようなイメージで社会を捉えすぎていたと振り返っています。でも鈴木社長のご指摘は、それを一瞬クールダウンさせてくれるような視点で。
「変わらない価値観を持っている人が次の社会にとって必要ない人というわけじゃない」「変わらない人たちは間違っているわけじゃない」と、センセーショナルなものに煽情的になりすぎない視点でご意見をいただけたのは、さすがだと思いましたね。

持冨:社員の立場でも腹落ちするフィードバックでした。世の中との良好な関係を構築するPRパーソンにとって、あらゆる人を尊重する態度は必要不可欠な資質なので。
SDGsの概念も当時はまだ浸透していなかったですが、いま思えば鈴木は“誰ひとり取り残さない”を地でいっているような対応をする人間なのだと思います。

矢﨑:多様な価値を受け入れる懐の深さを感じました。これは僕が社員の皆さんと触れ合う中で感じていた印象と重なるところも多かったところで、ある種の“優しさ”をはらんだ言葉がプラップジャパンさんにとってはしっくりくる言葉だったと気づいたんです。

——そんな背景があったんですね。そうして最終的にたどりついた「あしたの常識をつくる。」という言葉ですが、ウェブサイトにはその意味を紐解くステートメントも掲げられています。

持冨:先ほどの話とも重なるのですが、ステートメントでは「変える勇気と変えない勇気を持ち合わせて、“あしたの常識”をつくっていく」という言い方をしています。変えることに勇気が要るのはわかりますが、実は変えないことにも勇気がいる。“PRパーソンは常に公平な存在であれ”と諭してくれるような言葉で、特に気に入っています。

矢﨑:やっぱり今は変える側にスポットライトが当たりやすい時代ですからね。
価値観というもの自体は、本来不変なものではなくて、変わりゆく移ろいゆくものであることが前提だと思うんです。僕個人は、唯一絶対不変の価値みたいなものっていうのは無いと思っています。社会や文化によってどんな価値観も揺らぎうる、変わりうる。

持冨:同感です。ある程度年齢を重ねて痛感しますが、10年前の世の中と、今の世の中を比べると、全然違う。当時はタブー視されていたようなテーマが今日も公の場で議論されていて、10年後の人々の価値観がどうなっているのか予想ができません。それこそ、多様性が浸透したことで、変わることや変えていくことが許容されやすい時代になっていますよね。

矢﨑:そう。難しい言い方になりますが、変えることに対して追い風が吹いているときに、ワーッとそちらに行きがちな人の感情に対して、変えない、そこにとどまることを選択するのは、“石を投げられる覚悟”がないとできない行動だし、勇気の要る行動だと思います。
それでも、変わるべきものは塗り替えられていくし、時には残っていくこともある。塗り替えられた先に「常識」として定着したとしても、またいつか塗り替えられるかもしれない。そうしたせめぎ合いのような、地図がどんどん塗り替わっていく様子を俯瞰した視点が「常識」に対する捉え方なのかな、とこれをつくりながら考えていたんだと思います。

持冨:矢崎さんのお話を聞いて、不変のものと向き合う仕事だから10年以上飽きずに続けて来られているんだなという気がしました。

矢崎:「常識」というものは固定されたもののように捉えがちですが、常に変わり続けている状態というのが、常識の「態」だと言いますか…今この時点だとその常識というものは決まっていいるものですけれど、過去は全然違っていたし、未来も全然違うのではないかと。現在・過去・未来に至る視点で見ていくと、常に書き換わりながら、運動しつづけているものが「常識」なんだろうな、と思います。
だから「あしたの常識をつくる。」も、変えたくなったときにはいつでも言ってください(笑)。僕たちの仕事もみなさんの仕事もずっとそのままではない可能性がありますし、何か新しい価値を持った仕事に取り組むときに言葉をアップデートしようと考えることもあるかと思います。そのときまでこの言葉がお役に立てば幸い、という感じです。

持冨:ありがとうございます。でもこれだけは変えたくない気持ちです(笑)。

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お二方とも貴重なお話をありがとうございました。4年前に生まれたパーパスが今なお新鮮に感じるのは、パブリックリレーションズの本質的な価値を定義している言葉だからなのだと強く感じます。
印象的だったのは、変えることも、変えないことも、勇気がいるというお話。近視眼的に変化を追うのではなく、世の中をフラットに見つめることこそが、PRパーソンが持ち合わせるべき視点なのだと学びがありました。

広告・PRとそれぞれの領域で「あしたの常識」に向き合い続けるお二方の対談はまだまだ続きます。後編もぜひご覧ください。


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