みだれ髪…情熱、官能、青春の美を詠う
書評 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
歌人の与謝野晶子は、現在の大阪府堺市に三女として生まれました。宿院尋常小学校🎒を卒業すると、そのまま堺区堺女学校🏫(現在の大阪府立泉陽高等学校)に入学しますが、家政の授業量がカリキュラム全体の七割近くを占めていることに不満を持ち、補習科に通いますが中途で退学したと言われています。算術が得意で仕事の早い晶子には実家の和菓子商を担う事が期待されますが、読書遍歴の晶子は濫読の少女時代を過ごし、また文学や歴史の好きな晶子は「堺敷島会」や「関西青年文学会」等に入り歌を詠みますが、その後、のちの夫である与謝野鉄幹の創刊した機関紙『明星』📖への参加を誘われ、『みだれ髪』💇♀️に収められた数々の歌を詠みました。特にこの与謝野鉄幹との恋を巡る歌が『みだれ髪』💇♀️には多数収められています。
『みだれ髪』💇♀️の歌を鑑賞すると、写真や絵である瞬間を捉えた様なぱっとした艶やかな描写と、情熱的で時には官能的な表現で詠まれる恋の歌、物怖じる事無く青春の美しや艶やかさを歌い上げる青春への賛歌が特に目を引きます。その中のいくつかを紹介しながら、現代歌人との比較(特に俵万智との比較)において見てみたいなと思います。
先ず、①写真や絵の様な艶やかな描写🖼の歌として以下の二首をご紹介します。
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘
どちらの歌も解釈としては素直に解釈が出来ますが、描かれた風景描写は非常に美しくぱっとした艶やかさがあります。歌人の持つ感性が捉えた瞬間の風景は、選び抜かれた言葉によって洗練され、日本画の一場面の様なそんな場面へと昇華している…そんな風に思います。
続いては、②情熱的で官能的な恋💑の歌、三首です。
みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
春みじかし何不滅の命ぞと力ある乳を手にさぐらせぬ
やは肌のあつき血汐(ちしお)に触れも見でさびしからずや道を説く君
どれも性愛を詠った際どい恋の歌ですが、上段は男女が一夜を共にした後、整えた髪(島田は未婚女性の結う髪)を男性に見て貰いたいと言う女心を詠んだ歌、中段は青春の短さや儚さを詠いながら乳房を触らせると言った能動的行為を共なう積極的な恋心を詠んだ歌、下段は「やは肌」「さびしからずや(さびしくないのですか)」と言った言葉を選び官能的にかつ情熱的に恋心を詠う恋の歌です。晶子の時代(明治末期から大正~昭和初期。みだれ髪は明治末期あたり)ではこの様に大っぴらに自由に性愛や、女性の愛の強さや情熱を詠う歌が晶子以前には無く、極めて衝撃的な事件として世間には捉えられたようです。既存の空気を打ち破って、新しい時代を創り引っ張って行く女性。晶子が時代を先駆ける創造性を持った女性であったことは確かだったのではと思います。
③最後に青春の美しさや艶やかさ🙆♀️を詠う歌、二首です。
その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
共に黒髪の美しさを詠んだ歌ですが、上段は青春を奢る(おごる)かの様に青春を賛美した賛美の歌であり、下段は恋の歌でもありますが、黒髪が乱れ狂うかの様に情熱的な恋心を詠むと同時に、髪を象徴的に描くことで青春時代の美しさを誇るその様な気持ちもあるように思います。とかく女性が慎みや謙遜を持たねばならないと言う空気が支配されていた時代にあって、おおっぴろげに青春を誇り詠うエネルギッシュな歌と言うものは当時の青年たちに好んで受けいれられたようです。
続いては現代歌人との比較において見てみたいと思います。
(一旦、休息)