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にじさんじ文化論「優しさという武器、好感度に潜む罠」


※注意書き

当記事における内容はにじさんじをコンテンツとして捉えた場合の一視聴者目線からの考察です。
「ライバー毎の人気には格差があるけど、どういう理屈でその差が生まれているのか」
「視聴者数を増やすにはどうすれば良いのか」
「コラボを通してどのような経路でファンが共有されるのか」
など私が通常のコミュニティでは発信し難いと感じた話が中心となります。
その為、時には「人気が乏しいライバー」、「こうしないと人気が出ない」といった書き方が一部に見られるかと思いますが、あくまでも個人的なコンテンツ的価値観と考察を行う仮定に付随するものであり、「私の言う通りに活動しないこのライバーが悪い」と言った責任追及を喚起するものではありません。
また文中に登場するライバーについて個人情報に繋がる類の考察は行わず、誹謗中傷やそれに該当するような個人の名誉を傷付ける意図は一切ありません。
「ライバー個々の活動スタイルや配信内容はそれぞれが自由に決めるべきものである」と言う大前提を承知した上で一つの読み物として捉えていただければ幸いです。


前回はにじさんじ特有の関係性の文化が馴れ合いに至る過程や、同じライバーや箱の恩恵に甘えられる環境が危機意識を低下させ、向上心を妨げて上位ライバーが生まれない土壌となったという話をしたが、期せずしてライバーの裏話でのみ語られるドッジボールが話題となった。
何故にじさんじはコンテンツ化されない仲良しを重視するのか。
そこには未だにじさんじに自覚的でない者達の、にじさんじ的であろうとする足掻きが見られるのではないかという説。


"最大手の箱という自覚"

今、にじさんじという箱はVtuber界隈で最大手の箱と言っても何ら異論が出ない。陳腐な表現をすれば界隈では覇権だろう。
しかし箱としてここまでのポジションになったのには、かなり偶然的な積み重ねも大きかったように思う。
その成り立ちは割合するが月ノ美兎個人の人気や樋口楓のライブ案件等での多方面な活躍はともかく、初期から割と自然体な活動スタンスで活動を続けていた他の多くのライバーは需要や数字を意識して取りに行っていたようには到底思えないのだ。

企業のコネも弱く、界隈を特集するメディア展開でも最近まで数字ほどの優遇はされず、イベントでも他の企業勢の前座扱いの太鼓持ち的役割が多かった。
にじさんじは他の企業にありがちな狙ってバズらせる感は薄く、一部の上位ライバーの活躍が箱全体を牽引するという形式の為、その他のライバーからすれば箱に自分が携わっている実感を持ちにくいコンテンツではないのだろうか。

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自分の好きな活動をしていたら一部のライバーの活躍に引っ張られ、あれよあれよと界隈でも最強の箱へと押し上げられた。

「自分がにじさんじに貢献した、にじさんじの一員として何かを成した」とは思い難く、その中枢に自分が関与している自覚も芽生え難い。
同じ箱にいながらも対岸の目線になりがちで、

にじさんじは大半のライバーにとって自覚の薄い箱となっているのでは?

と同時に「自分が頑張らないとにじさんじはオワコンになる(結果的に自分は解雇される)」という危機意識や責任感を持つことはまずないのである。

先人の功績が増えれば増えるほどに、そこから距離の離れたライバー達からすれば他人事でその人気や需要に対しても無自覚的なままだ。
箱のおかげで高い期待をされてデビューをしているのに、その期待に自分が応えないといけないという自覚が芽生え難い。

その事で余計に上位ライバーが頑張らないといけない環境になるが上位が頑張るほどに差は広がり、下位のライバーや新人からしたら遠い雲の上の存在だと諦観する中で追い付くのを諦めているようにも感じられる集団の存在。
しかし同じにじさんじに参加していると思いたいという心理。
その処世術とも逃げ道とも取れる意識が馴れ合いの根底に潜んでいる。

にじさんじに入ってゴールだと思っていたらその実感すら薄い。
だからライバーと遊ぶ事で自分もにじさんじなんだという実感を満たそうとしているようにも見受けられる。
箱の強みをあくまで土台にしてソロ主体で多くのファンを獲得しようと頑張る事はにじさんじへの所属欲が満たされる行為ではない。ライバーとコラボして仲良くなって始めて満たされる。
それが自分が箱に関与しているという数少ない証明であり、コンテンツの手札が乏しいライバー達にとって、ライバーと仲良くする行為はファンを喜ばせるための数少ない明瞭な答えに見えるはずだ。

それがライバー(同業者)のファンであったり、ライバー(同業者)に好かれるライバーという生き方。

箱の人気を背負っている自覚が持てないままファンからの期待感にも無頓着となり、にじさんじで何を成すかではなくにじさんじに縋り付く事を永遠に求めてそこから先に進まない。自分がにじさんじとして在る理由をライバーの中にばかり見い出してしまう。


"優しさという武器"

この手の箱の居場所を確保するという概念を説明するのに相応しい人物としてタイムリーなのが神田笑一ではないだろうか。

今ARKのにじさんじ戦争配信において自分の確認不足によるルール違反の指摘、戦場を横切った観戦者の渋谷ハジメ(これもまた誤認)に対しての暴言、それに対しての謝罪配信でのアンチ煽りなどを理由に燃えているが、これは彼をデビュー時から知る人からすれば予想出来た炎上と思うだろう。
元々PvPゲームなどで口が悪く、同僚への発言でも過去に運営からも注意を受けていると自身で語っていたくらいなのだ。
問題は何故1年半が経過しながらも彼が成長出来なかったのかという事。

神田笑一というライバーは元々にじさんじSEEDs2期生という谷間の世代としてデビューしている。
初配信からにじさんじファンを自称し、ほとんど自分の事を語らずに他のライバーの話ばかりをしている人だなと思った。
本家から切り離されあまりバズらなかったSEEDsの後輩という立場はにじさんじの中では最も不遇な環境ではあるだろう。
数字が伴わい事への苛立ちやMIXUPに対しての運営へのプロデュース不足を指摘し、スマブラ78時間配信後には自身が同じSEEDsで後輩である夢追翔のように司会者として認められるべきという持論なども良く口にしていた。
箱の中で自身の存在が認められる事への執着はしかし良い方向には向かわない。

彼がにじさんじのファンである事には偽りはないだろうがある意味ではファン意識が抜けないままに入ってしまったライバーにも見える
ライバーは自身の影響力と箱に所属する責任感を自覚すればこそ発言には気を使うものだが彼にはそういった視点が欠けてしまう事があった。
生来の性格なのか、元SEEDs2期生というコンプレックスがそうさせたのか、はたまた両方なのかは判らないがこの手のライバーにありがちな「他のライバーが言えない事も私なら言える」という勘違いした病に侵されている。
同時にファンとしての自分が憧れのライバー達と同じ環境に身を置き、同じライバーから認められる事に優越感を覚え、ライバーにもなれないただのにじさんじリスナーをある意味では見下すような視点を今回の件では表面に出してしまった。

たかがリスナーからの苦言に過ぎないと軽視する
ライバーとの付き合い方の中にばかりにじさんじ内の自分の居場所を確保してリスナーを見ようとしない。

前回の記事で「裏話でのみの関係性の構築を嫌うリスナー」の話をしたが、にじさんじファンである彼にとって、同じライバーと裏で仲良くなってその話を垂れ流す事は自分がただのファンの立場ではないと証明するための手段になっているのだと邪推してしまう。
そのため自身の立ち振舞を批判する者へはライバーという立場を傘に来たままに、多くの一般人的なファンがSNS等でそうするような「アンチ批判」という他のライバーや箱全体に騒ぎを広げるだけの軽率なムーブで対処してしまうのではないか。

そのような自意識を後押してしまったのは、恐らく他のライバーからの好感度という拠り所があるからだ。

裏で遊んで仲良くなって、機材や配信のサポートをして、その話をする。
ライバーに対しての優しさや手助けは批判し難いものである。
何よりも優しくされた側のライバーが感謝している。
その一連の流れだけで言えば格差などは関係なく「助けたライバーと助けられたライバーという関係性」となり、絡んできた事を批判したりすれば感謝している推しの顔に泥を塗る行為となる。
他のライバーが神田の名前を出して良い人エピソードや助けられた話、裏で遊んでいる話などをすれば、そのライバーの推しは神田の事を糾弾し難くなる。

良い人ムーブやにじさんじファンとしてのムーブは目に見えた箱のファンからも支持される行為だ。
だからこそ穿った見方をすれば同僚への優しさは今のにじさんじという集団で好感度を稼いで生きるための武器となる。

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正直な話、私はライバーが自分が出ないライブには興味がなくても、案件や3Dお披露目に配信を被せてもそれは問題がないと思っている。
いろんな活動スタンスと交流範囲のライバーが居るからこそその辺は自由で構わない。
Zeppツアーの度にみんなして配信自粛を行い100人居るにも関わらずスケジュールがスカスカになっているのを見るとアホらしいとさえ思う。

にじさんじ足るもの、箱の大型イベントがあればTwitterに齧りついて一人のファンの如く熱狂するもの。
という集団の中での同調圧力めいたそれも多くのライバーにとって正解の行動なのだろう。
にじさんじという箱に所属している者としての模範的な対応と見られ、ライバーやファンとの一体感は容易に好感度を生み出す。

つまる所、神田笑一に見るにじさんじに対しての優しさや一見すると箱愛に溢れるムーブは、にじさんじの中で自分の存在価値を見出すための彼なりの処世術でもあるのではないかと考える。

数字が伴わず、案件を回されず、どれだけ箱推しファンから叩かれようとも、ライバーに好かれて居れば一定の立場は確保されるという事。

優しくする事や仲良くする事は誰にでも判りやすい武器となるのだ。

然るににじさんじコミュニティの世論的にもライバー同士で仲良くする行為は絶対的な需要があり、困っているライバーに優しくする事は善い事であるという信仰がある。

面白い雑談が出来なくても、ゲームが下手でも、企画が作れなくても、需要が判る誰にでも与えられた安定択がライバーと優しくする事や、ライバーと仲良くする事になっているのだ。

これは何も神田笑一だけに当てはまるような事ではなくなっている。

面白さがなくとも優しさが評価される正しく優しい世界。

※記事公開当時のこの見出しでは渋谷ハジメを取り扱っていましたが現在の活動内容を鑑みて相応しくないと思い撤回、書き直しました。


"ライバーから人気のあるライバー"

ライバーがライバーを評価する。好きになる理由は様々だろうが。その最も簡単な手段は優しくして積極的に交流を図る事であろう。

今日新人がデビューすると率先してリプを送ったりすぐに交流を持とうとしたりするライバーとそうでもないライバーが居る事に気付く。

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これには一定の傾向がありまだ箱の中枢から遠いライバーや同接が低い、要はアクティブな人気がそこまで高くないライバーが目に付くように思う。
これらの行為そのものは一般的には「優しい先輩」として好感度が上がる行為だろう。

概ね上位ライバーは消極的だというだけだ。自分がにじさんじである事に既に自覚的であり、普段の活動そのものが箱の存在に寄与していると理解出来る。その強い影響力によって絡んだ相手に生まれるリスクも考慮しなくてはならない。
そこまで深く考えるべくもなく、単純に自分自身の活動に対しての満足感が高い立場で、数多く抱える自分のファンへの対応や箱の案件等で忙しいはずだからだ。

今にじさんじという界隈でも最大手と言われる箱に入ろうとする者達が彼らのような人気者になりたいという欲を持たないわけがない。
オーディションを経験者採用に切り替えたあとは尚更だ。
最初は一縷の夢や目標があってオーディションを受けてデビューしたはずである。
しかし活動が思うように行かない、にじさんじなのに人気が取れない、ファンからはごちゃごちゃ言われる。
そういった様々なストレスやコンプレックスが彼らを余計にライバー同士の交流に重きを置くスタイルに変化させる。

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積極的に交流を持とうとする一部のライバーは次第にファンを増やす事よりも同僚のライバーの方を見るようになる。

私は数字に躍起になってるわけじゃなくてただのライバーオタクですからとでも言いたげな活動スタンス。
にじさんじである自覚の薄さからライバーとしての自分の影響力を考えないで済む。何かやらかしても箱の大勢には影響しない。
自覚がない故のリスクへの鈍感さが矢継ぎ早のオフコラボ、一足飛びの積極的な交流に走らせる。

そこにはにじさんじの中で多くのファンを獲得するような花形になれないという自己肯定感の低さを他のライバーからの好感度で埋めることで、「ライバーから人気のあるライバー」という楽に褒められるポジションに逃げ込みたい欲も感じてしまう。

考えてみて欲しい。
ファンに優しくすれば人気になるだろうか?ファンと深く交流を持つことで同接は増えるだろうか?
もちろんNOだ。
優しさと人気は=ではない。
優しくすることはある意味では誰でも出来る。

ではライバーに優しくすること、ライバーと仲良くすることでライバーから人気の存在になれるだろうか?
答えはYESだろう。

ライバーからの好感度を得て「ライバーから人気のあるライバー」となる事は、「ファンから人気のあるライバー」になるより遥かに楽だ。

ファンを増やす為の報われ難い努力よりも、ライバーの仲良しを増やす努力の方が手軽に成果を実感し易い。

にじさんじや上位ライバーが華やかな活躍を増やす程に、逆に箱に貢献している自覚が持てないライバーや自分の数字に無頓着なライバーはその格差との折り合いを付ける事を迫られる。
そうしてかろうじて残った箱と自分の接点、ファンから喜ばれると判りきっている行動であるライバーと仲良くなる事に逃げるようになっていく

優しくされて嫌なライバーはいないだろう。新しい環境で不安な新人なら尚更だ。
本来ならば人気者こそ影響力を持つが、このコミュニティにおいては人気がなくても影響力を発揮出来る。

そこで植え付けられた「ライバーから人気のライバー」という属性を頼りに活動するライバー達はその好感度と積極性から、にじさんじライバー達のコミュニティにおいて特に感染力が強い存在となる。

その為まだ個人の数字が伴わないライバーや、ゲーム慣れしてない等で配信のネタがないライバー、3D化やライブが遠い未来の話でしかない新人程この流れに依存し易いのだと思う。
まだ見ぬライバーとしての達成感をライバーと仲良くする事に求め、仲良くしている時点で居場所が確保されたと満足して先に向かわない。

持ち手札の少なさ、選択肢の狭さはライバーとの馴れ合いや雑なコラボを繰り返すという判りやすい選択肢に引き寄せられ、ただ仲が良いだけの関係が芋づる式に増えていく。
(この流れはにじさんじの中心から外れたライバーほど外部Vtuberに逃げて、外部Vtuberに人気のライバーという関係性を求める事にも繋がっていそうだがそれはまた後ほどの記事で書くとする。)

けれどそれが悪い事かと言われたら違う所が厄介である。
ライバーとしてだけではなく人として正しい事をしているだけだ。
純粋に同じ箱の仲間と仲良くなりたいという気持ちも強いはずだ。
いろんなしがらみを抱えて身動きが取り難い上位ライバーに代わって面倒を見てあげているとも取れる。
仲良くなる事が悪いことであるはずがなく箱推しのファンからも称賛され、肯定される行動でしかない。
統合前のSEEDsの事を鑑みても、だからこそ新人には優しくしてあげたいと思い、自分が新人時代に先輩に優しくされたからライバーは、その恩を次の後輩へと返すのが礼儀と捉える人も多いだろう。

そのせいで表向き糾弾することは悪であり、当人達からしても改善しなければならない事だという発想に至るものでもないのだ。
仲良くする事は絶対的な善いことで批判されようとも「輪の中に入れない嫉妬」としか取られない。


"にじさんじスポーツ大会"

ドッジボールで炎上。にじさんじは何て平和なのだろうか。
しかしこの背景には前回の衰退論で書いたような問題を感じずには居られなかった。
にじさんじへの熱量に浮かれている状態のファンにとっては仲良き事は無条件に善い事なのかもしれないが、懐疑的になって心が離れつつある人間にとっては相応に印象が悪くなる可能性もある出来事。


もちろんライバーがドッジボールをする事に需要がないわけではない。
リアルYouTuberなどでは事務所のメンバーを集めてスポーツ大会やレクリエーションなどをする事はある。

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ただそこに需要がある事が判りきっているから彼らは動画にするのだ。
それが成されなかった今回の場合は前回も取り上げた「ファンは表に見えない裏の交流を嫌う」という感情が批判に繋がった部分が大きいだろう。

とは言ってもコンテンツにされない裏の交流なら必ずしも批判されるのかと言えばそれもまた違う。
実際問題、裏で遊んでるだけでも「クロノワ」「さんばか」などの人気の関係性はもちろん、「Zeppのライブ組でリハ終わりに集まって遊びました」、「統合組の男でスポーツ大会しようぜ!」みたいな枠でやったのであれば、同じく裏話のみで語られる交流であってもそこまでヘイトは買わないのではなかっただろうか。
機材関係でのサポートをする為に裏で通話する事なども批判する人は少ないように思う。

ファンからは見えない裏の交流であってもそれが活動に繋がったり、情景を想起させ易い関係性ならばファンアート等が増えて盛り上がり結果的にコンテンツとして受け止められる例を数多く見てきたではないか。
それが"雑多"な関係性では無く、一定の共通項を持っていたり関連性として納得出来る理由付けを見いだせるかどうかは重要だ。

私のような最近のにじさんじに対して懐疑的になっている者達は特にだろうが、裏話でのみ語られる方向性の定まらない集まりに対して消去法でその理由を当てはめる事になったのだと察する。

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即ち、裏で集まってただ遊びたいだけの集団。ネトゲのオフ会や出会い厨のようなそれと捉えてしまったのではないだろうか。

個々のキャラや売り出し方によってはこの手の雑多な集いで著しく印象を下げたり、弊害を被るようなタイプというのは存在するはずだ。
表向き公言していたキャラ設定やイメージと乖離するような裏話、生身の容姿に言及するような発言が見られたのも今回の不味い所だった。
キャラクター性を考慮しないオフ話は即ち、正真正銘の生身の生主である。
自分の事を陰キャだ非リア充だとアピールして同類のファンに対して親近感ある立場を一種の売りに出来ていたようなライバーが参加していた場合になどもそのイメージを損なわないとは言い切れない。
よくあるアイドル売りの異性問題にも近しい事が言える。
デビューして間もなく信頼を培っていない男ライバーが一目散にこの手の催しに参加すればプラスに働かない女ライバーも居るだろう。

その為コンテンツとして魅せられないならば言わなくて良い事もある。しかしライバーにその交流の全て開示しろというのも横暴で息苦しい話だ。
20人以上参加した集まりの中でただの一人にも裏話を言わせないのは無理に等しい。
結局はそういった行為に参加し裏話を公開することで印象がマイナスとなるようなライバーが居るならば、自分のコンテンツ(売りやファン層)に自覚的になって自衛するしかない。
それで心が離れるようなファンが悪いと言っても、現実問題付き合う相手やその交流の仕方によって人気を損なうという事は無いとおかしいのだ。

何より100人近くにまで雑多に膨れ上がった人数がそうさせる。

過去に元SEEDsで今は引退した海夜叉神を見ていた私は、彼がPUBGにハマって以降から知らない個人勢とのゲリラコラボばかりを増やしたことで次第に見なくなってしまった経験があった。
同接的に見ても原因がそこにあったのは明らかだったが同じことが今はにじさんじ内での関係性にも頻繁に起こり得るようになっている気がするのだ。

何故ならば、にじさんじを追っていても大して知らないライバーの方が大半となったからだ。
私はこの手の裏話はあくまで登場人物のキャラクター性を把握しているからこそ楽しめると思っている。
多かれ少なかれキャラクターとして存在して活動スタイルを知っているからこそ想像をする余地が生まれる。
知らないライバーが登場するそれは、むき出しの生身の人間と変わらない。
コラボや仲良くした所で同じ箱だから楽しめるという補正は弱く、よくわからない個人勢やリアルの友達と遊んでる事と大差がないだけの薄まりが見られる。
そしてライバーはリアル友達とのエピソードトークを披露する時、それがリアル友達だと意識しているからこそ面白いエピソードを厳選して語る。
しかしライバー同士の裏話は自分のファンがみんな知っている人という前提で考えている為にそういった意識が回らなくなってしまう。

興味がないライバー、面白いと思えないライバー、嫌いなライバーは居て然るべきで、だからこそ好きなライバーだけを見れば良いと諭される。
なのにも関わらず好きなライバーだけを見ていたら、興味がないライバーが頻繁に介入してくるようになったならそれはどうすれば良いのだろう。

学校でも社会でも集団の中ではマイナスとなる関係性は絶対に存在するはずだ。
ただ誘われるがままに仲良くするのは小学生の低学年ぐらいだろう。
中、高校生ともなればある種の打算的な視点を持ち、自分を着飾る為に関係性を作る事を覚え、教師や親から邪推されるような素行の悪い不良を避けて通る。
しかもにじさんじはこれだけ多方面に金銭を伴う商業的な活動を増やして、関係性を売りにしている状況にある。半ばタレント的な視点で見られるのは当然でファンからの風評や印象と言った視点が付き纏わない訳がない。

しかしにじさんじという集団はライバーというだけの関係性に無条件の信頼を置いている。
何よりもコラボして仲良くする事をライバー活動での命題とする風潮が見られ、コミュニティでの批判はファンチや厄介ファンという判りやすい悪として糾弾対象になる。

「ファンがライバーの交友関係に口を出すな」

ならばこそライバー個人個人が考えるしかない問題だ。
それがしっかり出来ているのならば今回長々と語った事の全ては問題にならない。
だが私はそこにいまいち信用を置くことが出来ない。
ライバー達は何を言われてもお互いに励まし合う尊さの中で自覚する事なく無差別で、無作為で、無遠慮な関係性を継続するだろう。
「仲良くする事」という善的な行為に起因している関係である以上はプラスになると信じて疑わず半ば脳死状態で好意に対して無防備だ。

新人などはそれ以前の段階、自分のキャラクターやファン層、売り出し方を模索する前にまず先輩と仲良くする事やコラボが先に来ているのが実情ではないか。
目に見えた善い事であるはずの仲良くするという行為によって、自らの求心力を損ないファンを失うような事があるとは思い難い。
悪い意味でにじさんじという箱に囚われてその活動スタンスは画一的になってしまっているのを感じる。
→特異点:鈴原るる的ライバー(逆に集団に依存しない事でマイナスの補正も受け難いライバーの必要性。)

優しくする側や誘う側がその弱さを点いてアドバンテージを得ようとする界隈の中で、時には誘惑を寄せ付けない意思が必要とされるのが現在の環境。
付き合う相手や付き合い方を選ぶ事、交流の選択権を握る事は優しさの奔流に溺れて打算的に考える事に臆病なにじさんじが最も苦手とする所だ。



結論にじさんじのライバーがただ優しくて善人的というだけの話。
自分の金や数字が絡む問題にもかかわらずコンテンツ意識を軽視する程に仲良くする事を優先したがる集団。
企業勢にも関わらず損得勘定で考える事に奥手で、自分の利に成らない行動が多く、お互いを助け合う素晴らしく良い人達ばかりなのがにじさんじだ。
あくまでお遊びの仲良し集団として見れば理想的だろう。
小さな衝突はあれど集団を潰しかねないような不和を起こさず、良好な関係性を築き続ければ、にじさんじだけしか居ない世界では今後も衰退することはないはずだ。
なのに私がその優しさに対して危機感を煽るのは、偏にこの世界がにじさんじだけの居場所ではないからだ。ファンは身内の優しさ溢れる集団よりもファン向けのコンテンツの方に移動すると感じているからである。

にじさんじブランドの数字に自覚がないライバー達がそのお花畑とも言える優しさや箱全体の善性的な気質の隙を付かれて、見事にホロライブ等の外部Vtuberにしてやられて養分となった今だからこそ衰退要因として議題に挙げる価値も高まっているはずだ。


まとめ
・一部の上位ライバーの貢献度が箱の強さに反映され易い一方で、その他にとっては箱に貢献している実感が薄く所属メンバーとしての自覚をし難い。

・明確な自分の売りや箱での立ち位置を確立していないライバーがにじさんじである事の実感を得る為に早急にライバーと仲良くする事を求める環境。

・コンテンツ力が乏しいライバーでも持っている判りやすい最強の手札がライバーへの「優しさ」や「仲良くする事」。

・優しくする事や仲良くしてライバーから好かれるのは、多くのファンから好かれる上位ライバーになる事よりも楽に成果を実感し易い箱活である。

・ライバーと仲良くする事がゴール化してしまっている状況では雑多な関係性が必ずしもポジティブに見られる訳ではなく風評を損ねる場合もあるという盲点に対して無自覚である。

・馴れ合い集団化に対してのファン感情の問題は、マイナスだと思うライバー個人が自衛するしかないが自覚のないライバーには難しい。

・箱の強さに無自覚なライバー達は交流に対しての警戒心を発達させず、その無防備さはアプローチを掛けて誘う側にとって格好の餌となる。



▼私が過去に投稿したにじさんじ文化論へのリンク▼
にじさんじ文化論「馴れ合いの増加、低め合う関係性」
にじさんじ文化論「男性ライバーの活躍と女性ライバーの弱体化」
にじさんじ文化論「新人は男性3人組。アイドル売りの難しさ」
にじさんじ文化論「ホロライブは最強で最悪のライバル?」
にじさんじ文化論「無敵のホロライブとライバル不在の箱」
にじさんじ文化論「イベントや案件中心の是非。ゲーマーズ人気の環境」

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