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にじさんじ文化論「無敵のホロライブとライバル不在の箱」


※注意書き

当記事における内容はにじさんじをコンテンツとして捉えた場合の一視聴者目線からの考察です。
「ライバー毎の人気には格差があるけど、どういう理屈でその差が生まれているのか」
「視聴者数を増やすにはどうすれば良いのか」
「コラボを通してどのような経路でファンが共有されるのか」
など私が通常のコミュニティでは発信し難いと感じた話が中心となります。
その為、時には「人気が乏しいライバー」、「こうしないと人気が出ない」といった書き方が一部に見られるかと思いますが、あくまでも個人的なコンテンツ的価値観と考察を行う仮定に付随するものであり、「私の言う通りに活動しないこのライバーが悪い」と言った責任追及を喚起するものではありません。
また文中に登場するライバーについて個人情報に繋がる類の考察は行わず、誹謗中傷やそれに該当するような個人の名誉を傷付ける意図は一切ありません。
「ライバー個々の活動スタイルや配信内容はそれぞれが自由に決めるべきものである」と言う大前提を承知した上で一つの読み物として捉えていただければ幸いです。


にじさんじは衰退している?
いやそんな事はない。

今衰退しているかと問われるならば、私もまだ衰退ではないと答える。
衰退論はにじさんじが衰退する理由があるならばこうだろう、という勝手な杞憂であってその予想は現実になるべきではない。

身も蓋もない事を言うと衰退論的な馴れ合い等、身内の問題のみで今のにじさんじが衰退するとは考えられない。
それこそ1期生2期生の夏頃から、音声でしか情景が判らないような、ただ料理を食べるだけのコラボなどは頻発していた。
「それと今の馴れ合い問題って何が違うんだ?」
昔からにじさんじのスタイルは変わってない。と思われる人も多いはずだ。
実際、私もこれらの身内意識の強いコラボが嫌いなわけでは無かった。

イジメや不和といった負の感情を起点としたトラブルならばまだしも、にじさんじライバーの関係性における問題点の発端は、お互いに思いやってただ優しく馴れ合っているだけである。
箱というシステム上、にじさんじリスナーはにじさんじというブランドに留まるような性質がある。
仮にそれがつまらないと思うようならば、また別のにじさんじライバーを見るだけで不満は解決する。

界隈で生配信をメインにしたvtuberを見るならばにじさんじ。
そういった絶対的な導線に安心し切っている部分もあった。
仮に馴れ合いや低め合う関係性で一部コンテンツのクオリティが低くあろうともにじさんじは安泰。
多数のライバーと配信数で視聴者側のスケジュールを埋め尽くして、”にじさんじ以外の娯楽に向かわないように出来る事”こそが箱の強み。
箱の中にファンを囲って置きさえすれば、未だ芽が出ない下位ライバーにも何れチャンスは巡ってくる。
だから小さな不満やトラブルをそこまで問題にする必要がない。

だったはずだ。

衰退のきっかけとして身内の問題を強く取り上げ始めたのは、にじさんじを取り巻く状況の変化に気付いたからだった。
今にじさんじファンにとっての娯楽の選択肢を、にじさんじ以外に作ってしまったからに他ならない。
最近にじさんじがつまらない、にじさんじに不満がある。”ならばにじさんじ以外を見れば良い”という至極健全なルートを作ってしまった。
比較する事で「隣の青い芝」に近い感覚を持ち、ファンがその目を覚まし易くなった。
外部という選択肢を含めて見るものを選び取る為、身内の些細な問題をきっかけにしても即見限られてコンテンツの衰退理由にまでなり得る。

内部の問題をより重篤なものにさせるのが外部のライバルvtuber達の存在。

まず把握するべきはにじさんじの周囲は味方ばかりではない。という事。


~にじさんじ包囲網~

にじさんじはこのvtuber界隈で数多くの外部コラボ、合同企画、大会などに参加して来た。
最大手の企業勢にしては外部との付き合い方にもフランクなスタンスで、
実際、数多くのvtuberがにじさんじとのコラボをきっかけに成り上がった。

周囲から戦犯扱いされたその風評とは裏腹に、界隈に最も貢献しているvtuberと云える。
がその実この界隈でにじさんじは好かれているのか?
同業者達からはどう思われているのか。

にじさんじはその人気の割にこの界隈のイベントやメディア特集などでは「不遇な扱いを受けているな」と感じる事が昔からあった。
毎度の如くにじさんじからは同じような面子だけが引き立て役にされて、トリを務めるのは別の企業やグループが推したいvtuber。

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2018年の大晦日に行われたcount0では、3Dモデルが破綻したままステージに立たされ続け、主催側のupd8の出番になったら直されるなどあまり良い扱いとは言えなかった。
このイベントは当時まだ無名同然だった花譜や同じupd8勢を売り出すための”引き立て役の集客要因”になった印象が強い。
元々2Dメインのにじさんじの立場やいちから自体のコネの弱さや加味すれば、初期にこの扱いでのイベントが多かったのははまだ理解できる。

ただその後もにじさんじ不遇は続いた。
界隈トップという時期が長く続いている現在でもにじさんじが主賓、大トリ扱いとなるようなvtuber合同の案件イベントなどはほぼ存在しない。

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vtuberチップス第二弾などでは明らかに新規加入メンバーを含む、774.incの面子が強くプッシュされた。これをにじさんじに例えるなら「赤の組織」や「まななつ」などが抜擢されるような状況か。
にじさんじ側でまだ人気が伴わないライバーがこのように外部との合同の場にキャスティングをされる事はまず無い。

また統合後から新しくバズった新人ライバーが居た所でその扱いは小さく、にじさんじの印象は常に月ノ美兎や樋口楓あたりの先人達で止まるようになっていた。
界隈メディアを通して、この界隈を盛り立てる為にも今勢いがあるにじさんじに追い風を与えて船頭を務めて貰うだとか、そこから市場全体を活性化させようとするような動きがまるで見えて来なかった。

この時期に私が常々思っていたのは、外部に対してフランクな姿勢で接してくれるにじさんじを四天王のように祭り上げてプッシュしてやれば、他のvtuber達にも恩恵あるのに何でしないんだろうか?という事。
にじさんじを呼んだイベントで良くわからない無名なvtuberをゴリ推しするよりもそっちのが界隈の為になるのでは?と。

その点でも隣のホロライブなどとは対象的だ。

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界隈メディアへのコネが強く、ホロスターズなどの弱小グループでもすぐに特集された。

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上の画像はコミックマーケット(通称コミケ)の裏表紙。
サークル数はにじさんじの方が多かったが、C96、C97、C98と連続でホロライブが採用されている。
※「ホロライブ、あったけぇな」の「○○あったっけぇな」の部分は当時のにじさんじで流行っていたネタという事は今更だ。

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コミケ繋がりで言えば、このコミケPlusという雑誌の"vtuber特集"
表紙からして違和感を覚えないだろうか?

最も扱いの大きな中央にはときのそら。四天王からはミライアカリのみ。
そしてにじさんじからは未だに月ノ美兎と樋口楓という人選。
そこまでならまだ「vtuber界隈の黎明期を中心に特集する雑誌なのか?」と思わせる布陣。
しかしホロライブは友人Aという裏方スタッフを含む最新の4期生までの全てが表紙を飾る。

内容はと言えば、

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ホロライブ&ホロライブ。
にじさんじや他のvtuberを目当てに本を手にとった人を対象として、ホロライブを猛プッシュするための一冊。
繰り返すがにじさんじ側がこのように、「他のvtuberを引き立て役にしてメディアに推されるようなシーン」を見た記憶がない。いつも抱き合わせに利用される側だ。

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該当雑誌の公式Twitterのフォロー一覧ではにじさんじだけがハブられていた。

業界がこの界隈の舵取り役をして貰いたいのはホロライブの方だ。

元々キズナアイ、ゲーム部、ホロライブなど界隈の有力な勢力はgumiグループやグリーが関与する側に寄っていた。

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gumiの先行投資 VTuber、VRゲーム、ブロックチェーンが3本柱

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このキズナアイは、gumiグループによるVR分野のインキュベーションプログラム「Tokyo VR Startups(現Tokyo XR Startups)」が、17年に参加企業として採択したActiv8(アクティベート)が支援していたVTuberだ。

gumiグループはTokyo VR Startupsを15年に設立。自らVRマーケット創出のために投資してきた。新技術に貪欲に取り組む背景には、gumiがネット企業からゲームビジネスに参入したという出自によるところが大きい。5年目を迎えた今年も、投資分野は「VTuber」「VR」「ブロックチェーン」といった新しい分野や技術だと、國光会長は語る。

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例えばPS4から発売予定の「ブイブイブイテューヌ」というゲームでは、露骨にこれらの派閥絡みが出演しながらにじさんじはからは一人として出演していない。

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普段から仲良く交流しているvtuber達が多数並びながらも、100人近い人数を抱えて、今やvtuberの代表的存在となっているにじさんじは不自然に居ない。という状況は珍しい状況ではない。


VRプラットフォーム「REALITY」

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サービス開始当初の投げ銭キャンペーン期間中にだけにじさんじを広告塔として使った案件が多かったが、演者のオフシーンを垂れ流しにされるというプラットフォームの仕様上致命的な事故を起こされる。

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そこからにじさんじが採用される事は少なくなり、お膝元のグリーやgumi派閥のvtuber達がメインになった。

当時のV界隈でのマイクラブームの発端がにじさんじからである事は明らかだったが、REALITYのフェスイベントであるチーム対抗の「マイクラ建築王」という企画に呼ばれたのはあにまーれ(当時upd8)、ハニーストラップ(当時upd8)、犬山たまき※、ホロライブという面子。
※犬山たまきの3DモデルにはActive8が協力。


「REALITY」の運営はグリーの子会社であるWright Flyer Live Entertainment。Eiji(荒木英士)が代表を務める。

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彼がvtuber事業への100億円を投資するプロジェクトを決意したきっかけの一つがカバー社のときのそら。

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カバーの重役にもグリーの役員が就任している。
つまりホロライブはvtuber事業に多額の投資をしてVR事業でも協力関係にあるgumi、グリー両者との関係性があるという点で界隈へのコネが相当に強い事が伺える。

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これらを含めて確信出来るのは、にじさんじは大手企勢の中では同業へのコネが弱く、一部派閥が絡む場では露骨なハブ、良くてただの客寄せ要因扱いでしかないという状況。



それ所かこの界隈にはにじさんじを、いちからを憎く思ってあわよくば潰したいと考える業界関係者が居る事が前から見え透いていた。
ゲーム部の代表れそ、キズナアイ分裂路線を含めて擁護したEijiなど、何れもいちからやにじさんじへの恨み節や皮肉を伴う発言をしていた。

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運営不信を抱えていたvtuber、ディープウェブ・アンダーグラウンド(通称DWU)の独立に際して、運営側のセバスチャンが行ったいちからの内情暴露の件などはこれ以上なくみっともない嫉妬が含まれる。

自分たちが投資をしていない、運営もしていない。2Dメインのベンチャー企業の方が人気になって憎い、潰したい。
そういった負の感情を隠せない大人気ない界隈。

にじさんじ側がどれだけ人気になっても顔役としては認められず、どれだけ界隈に貢献する働きをしても、「一丸となって頑張ろう」などという姿勢はこの界隈には見られないのも当然だった。

どちらかと言えばその役目は裏方スタッフの意向を強く反映させる動画勢の四天王や傘下のupd8勢、Ctuberのゲーム部や、優れた技術力を誇るホロライブなどであって欲しいという業界関係者の動きばかりが強く見られた。

これらの勢力に共通する方向性としては、
運営主導のアニメコンテンツ的なvtuberや分業による最強の二次元キャラの創造を目指していた。
あるいはその狙いが、VR系プラットフォームの先行利益に傾倒していた為、2Dの生放送をメインとして、個人個人が放任主義的に進むにじさんじとはその目指すべき方向性が最初から異なっていたのだろう。
だからこそ違う路線で成果を挙げているにじさんじに界隈の舵取りをしてもらっては困るのだ。


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半ばにじさんじ包囲網を敷かれているに等しい状況。

この界隈はにじさんじには全く優しくない事を受け入れるべきだ。

ここまではにじさんじと同業者との関係性は折り合いが悪く、界隈内では不利な立場であるという前提だ。
ここで終わっては判官贔屓なただのにじさんじ可哀相論でしかない。

本題となるのはこれに際しての”にじさんじのライバー”側の話だ。

会社の、いちから側の視点ならば当然このような競合他社からの視線には気付いているだろう。
ただ気付いていた所で、だ。
運営が外部がコラボ禁止令や売名指示などを出すのはにじさんじの方針に反するスタンスであり、恐らくそれを強硬すればライバー側からの不満や反発でにじさんじは崩壊する。一人二人ならばともかく、にじさんじ周辺のvtuberは数多くその関係性は複雑に入り組んだものとなっている為、どこまで言ってもライバーの判断に任せるしか無い。

問題は活動者であるライバー側。
自分たちが界隈に優しくするのとは裏腹に、反にじさんじ的勢力で溢れているという状況にどう対応するのか。
”同じ界隈の仲間である以前にライバル”でもある彼らとどう付き合って行くのかという話だ。

必要以上に疑う必要もないが、さりとて必要十分な警戒すら怠るのは自身の人気をお金へと変える仕事をする立場としては落第だろう。
人付き合いをクレバーな視点で考える事は恥ずべき事ではなく、今後も人気商売を続ける上では当たり前の自衛に過ぎない。
ただ一度立ち止まり、ライバルとの関係性にメリット、デメリットというフィルターを一枚挟むだけで良い。

結論から言えば多くのライバー達にはこれが出来ない。

ライバー側の認識の中でライバルという軸を作らなかった。
ならばにじさんじにライバルは居ない。

だからこそ外交的にも不利な状況を強いられる事になる。


~競争意識の喪失~

にじさんじは海外展開で苦戦している。
ならば海外で人気あるホロライブ勢にコラボを申し込めば良い。これが一番てっとり早い。
結局の所bilibiliや海外のvtuberブームも関係性人気に落ち着いている。
あちらで人気あるvtuberと交流をしなければ今更人気になる事は難しい。
つまりはホロライブや神楽めあの周辺の存在が人気になる環境。
事実、にじさんじ内でも神楽めあの推しであり、bilibiliでもコラボを行っていた物述有栖がトップだ。

日本のにじさんじとホロライブはこんなにも仲が良い。
ならばなぜホロライブが圧倒的に人気があるbilibiliや海外では不自然なまでに接点を作らないのだろう。
同じくホロライブとは仲が良い犬山たまきなどはお互いにWin-Winな関係を作り上げているのに、何故にじさんじは彼らの海外の輪の中に入れないのか?

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ライバルのにじさんじには自分たちの数字や金を奪われたくないから。
競合他社のにじさんじが海外で人気になって貰っては困るから。


当たり前だ。

にも関わらずにじさんじが優位だった日本国内においては、まだ弱小のホロライブと相手が有利の状況で数々の外部コラボを連発してその躍進を許したのがにじさんじのライバー達だ

一方的に相手が得な環境でしかコラボをせず、自分たちが得をするコラボを行えない。
そんな当たり前の違和感を自覚出来ない、どうしようもなく優しいだけのお花畑。

この界隈はいつからなのか、他の企業勢や個人勢が成り上がるためには数字を持っている大手のにじさんじと絡んで、あるいは成りすまして「にじさんじファンにどれだけ気に入られるか」という模様を呈していた。
それは当然、会社や運営だけではなく個人勢などVtuber自身も含めての話だ。
それなりに界隈へどっぷり浸っていた人ならば、この風潮はなんとはなしに感じ取れていたはずである。
Vの大会に参加すればその視聴者はほぼにじさんじからのファンで占められた。企業合同イベントでも集客要因として呼ばれるも前座扱い。

外部のvtuber達はにじさんじを競合他社として見定めて、にじさんじを利用する事での成功ルートを強く意識する立ち回りを行う。

ホロライブなどはそれを一種の戦略目標にして活動していた形跡が多々見られたばかりだ。
にじさんじへ擦り寄りお隣さんの弱みに付け込む形で自分たちだけが得をするような状況で得をしていた。

これに際してもライバー側は同業者への友好的な感情と界隈への博愛主義で彼らを迎え入れる。

他の外部Vtuberが戦略的、ビジネス的な観点を持ってにじさんじ的な成功を求めて活動していく中でも、ただ箱の強さに甘んじて今も尚のほほんと外交とも言えぬ馴れ合いを継続している。

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外部のVtuberにとってのにじさんじは、自分らが頑張って稼いだファンも簡単に手放して献上して差し上げる、とてつもなく頭がゆるく優しい集団に見えるだろう。

これには危機感を持たなくてはならないと思う。
外部が成長する事に対してではなく、そこにライバー側が”競合他社としての競争意識”すら持たない事に対してだ。

外部のvtuber達が数字を求めて大手のにじさんじに近付く、模倣して客を奪おうとする行為はある意味では判りやすくその行動の意図は読める。
競争原理として至極当たり前の動きであり、別にホロライブなどの外部が成長するならするで構わない。
同じ界隈に身を置き、似たようなゲームや企画を行いコラボをしている身であるならば彼らが成長する事でのその恩恵は本来にじさんじ側にも大きいはず。
あちらは海外勢やホロライブ独自の新規のファンを大量に増やしているならばこちらも利用出来るものがある。
しかしにじさんじ側は外部のvtuberに対してそこにあるべきメリット、デメリットを何も考えない迂闊な立ち回りばかりをしてしまった。

敵意がありありと見える環境で自分たちのファンを意図的に掻っ攫っていくムーブを取られても、何も危機感を抱かないにじさんじライバーの方にこそ私は疑問を覚える。
これはにじさんじ側が特殊なだけなのではないかと。
ライバーにはそれぞれにいろんな考え方があるはずなのに、ここまで揃いも揃って無頓着なのはどういう事だろうか。
ライバーの外部へのお花畑具合には身内へのそれと共通のものが見られた。

自身が人気商売をしている事の自覚が薄い。
関係性にメリットデメリットを求めない。
自分のファンを顧みずにただ仲良しを作って遊ぶことに満足した。
それを生み出したのは何かと考えた時にコミュニティを介してにじさんじ所属のライバーに感染している「箱の文化性」が原因なのではないかと思った。

内部の問題と外部の問題には一定の共通項のようなものが見えてくる。
同僚同士の助け合い精神や、視聴者の奪い合いというシビアな真実から目を逸らすして平和に逃げるのは同じ箱の中での話だから良かったのだ。

これを"箱の外の同業者(ライバル)"にまで適用してしまったのが過ちである。
箱内の優しい文化性を外部との関係性にまで持ち込んでしまう事で、界隈でのにじさんじは「お花畑な同業者」になった。

これら競合他社やライバルと言う考え方は優しい世界の住人からすれば何だか不穏な言い回しに聞こえてしまうかもしれないだろうが、良い意味での切磋琢磨する競争意識というのは今後を生き抜くためには必要ではなかろうか。

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それこそ追い越せ追い抜けといった意識で他所のVtuber達が真剣ににじさんじを分析して、にじさんじのように人気になろうと努力しようとする事自体は決して悪ではない。
競争によって市場が拡大していく事はそこまで悲観的になる程の事ではなくむしろ双方にとってのチャンスであるとさえ言える。

しかし、にじさんじのライバー達はこれをチャンスに変える気が全く見えて来ない。

それもそのはず。
多くのライバーにとって、にじさんじは元より強い箱。
にじさんじの同僚以上に人気に結びつくコラボ相手など界隈にはほとんど無く、身内でコラボをしていれば安泰なにじさんじライバー達にとって外交力は必要とされる力ではなかった。

しかし外交を意識せず、無作のまま一方的なコラボを繰り返し箱のファンが外に流れる導線を作ってしまった今、本来箱にあるはずの客の流動を繋ぎ止める防波堤は崩れる。
この界隈ではにじさんじだけを見ていれば安泰だ。というある種の妄信的な推し意識は本来コンテンツに対して抱くはずの愚痴や不満を封じ込めていた部分もあったのだろう。
隣のコンテンツではそれらの不満の一部が解消されている事を知られてしまう。

外部に目が向けられる中での身内のやらかしは致命的な傷となる。
にじさんじだけを見ていた時には気付かなかった事にも比較の目を持つ事で気付かれ易くなった。
にじさんじは全員がスペシャリストではなく中には向上心のないライバーや、面白さには繋がらないコラボや人気に繋がらない関係性がある事にも気付き始める。
活動に対してのだらけたスタンスや、失言やサボりを許せない人が増えて責められやすくなる。
内外ともに無策なコラボや馴れ合いが見限る方へと駒を進める。

「気に入らないなら他のライバーを見れば良い」という選択肢にはにじさんじ以外のvtuberも含まれるという事実。
ホロライブや他の個人勢vtuberを見るという選択肢がにじさんじファンの中にも入ってきてしまったのだ。
にじさんじ側が新人の間隔を長く取ろうとも、その期間に増え行くファンが向かう先はにじさんじの新人だけではない。
にじさんじが増やした客達に対して、にじさんじ以外のvtuberを見るという習慣を与えてしまっている。

その点においても新人の「VΔLZ(ヴァルツ)」は顕著な例だ。
前後に3ヶ月近くの猶予を置いた所で身内での馴れ合い低め合いに傾倒して「ただ遊びたいだけ」と捉えられてしまうような行動を取ったライバー達は救えない。

にじさんじのファンには彼らと他の上位ライバーや外部のvtuberを比較して見る目が備わっていた。
十分追いきれるだけの視聴者の人数は残っているが、「彼らに視聴するリソースを割くくらいならば他を見る方がマシ」と見限られただけだ。
男性ライバー周辺での配慮に欠けるやらかしは、にじさんじ全体をアイドル売り需要や関係性需要からも遠ざけた。

こうして見限られる不快なライバー達が増える程、接点がなく彼らの手が届かない安全圏で活動する上位のライバーやそのグループ(つまりド葛本社やEXゲーマーズなど)、そして勢いのあるホロライブに注目は集まり、特化した技術を持つ有名個人勢が脚光を浴びる。
にじさんじ1強が崩れた今、以前にも増してファンを失わない、見限るきっかけを与えない立ち回りに気を払う必要が出てきたと言えるだろう。

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~ホロライブ無敵論~


ここから特に前回の記事への補足でもあるが、一方で致命的なやらかしをしているように見えるホロライブはその人気を損なう事がない。
ホロライブアンチの数は多少増えたかも知れないが、だからといってにじさんじに情勢が傾くようなことはなかった。
端的に言えばホロライブというコンテンツが見限られる余地を与えなかったからだ。

その理由の一つはまずホロライブのファン層にあった。
この界隈には、
「3D、動画勢が本来のvtuberの姿」
これを至上とするようなファン層が昔から存在する。

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彼らは「2D生主のにじさんじだけは絶対に認められない。」と強い拒絶感を持っている。
しかし勢いを失い行く彼らの推し達。裏腹にじさんじは躍進を続け、界隈のコミュニティがにじさんじの話題ばかりになっていった。
この界隈でにじさんじを見ていない疎外感は、アニメ界隈で覇権と呼ばれるようなアニメを見ていない疎外感にも似ているものがあったはずだ。

耐えかねて流浪に流浪を重ねた彼らが縋り付いた先はアイドル部。
にじさんじと何が違うのか?同じく生放送がメインなのにそっちに行くのは許せるのか?

許せる。
アイドル部は黎明期を支えた偉大な先駆者、四天王「電脳少女シロ」の傘下であり、その運営による健全なグループという認識で許された。
かつてのアイドル部の潔癖症なファン層の原因は単なるアイドル売りのユニコーンではなく、にじさんじが主体になった界隈への不満や、生主路線への嫌悪感が含まれた。

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記念イベントに外部を呼ぶ事の是非を含めたとて、にじさんじのライバーはアイドル部に対してそこまで嫌われるような事はしていない。

本間ひまわりのような優等生的なライバーは最も安全と言える。
にも関わらず蚊帳の如く嫌われたのは「にじさんじ戦犯論」に近い界隈の背景を引き継いだままにアイドル部のファンになった層が一部に居たからだ。

「アイドル部は生放送が主体だけどちゃんとRPをしている、汚物のにじさんじとは違うよ。」
「にじさんじと違って3Dが素晴らしい!やはり時代は3Dだ」
「にじさんじは増やしすぎ、アイドル部は箱の平均値が高い少数精鋭」
「アップランドはいちからと違って運営が優秀だ」

「自分達の推しはにじさんじとは違う」という免罪符
界隈が生放送一色に染まりながらも、宗教上の理由でにじさんじに行けない人にとっての救いでもあった。


そしてホロライブの時代へ。
優れた技術、出来の良い3D、箱推し率の高さ、女だけの箱。
アイドル部と同じくホロライブにも「にじさんじを嫌う人」の集合場所となるだけの性質が見られた。
そのため今のホロライブの界隈での立ち位置には、アイドル売りやユニコーン問題を含め、この界隈でにじさんじをどうしても受け入れられない層への"最後のオアシス"的な側面が見られる。

これらを加味すればアイドル部の全肯定感とホロライブの全肯定感に似たような性質があるのは当然の事のように思える。

にじさんじの3Dは出来が悪いかのように言われる事があるが実際はそうでもない。
あくまでアイドル部やホロライブとの比較。
つまりはぽんぷ長、おんだ、トミタケ、八剣と言った界隈のトップモデラー作の3Dに比較すると見劣りするものが一部にあるだけだ。
昔はともかく現在はvtuber全体からすればそこまで批判されるような出来でもない。
事実にじさんじ以外の企業勢の中に出来が悪い3Dがあろうが公に批判されるような事はほとんど見られない。
しかしにじさんじの比較対象は常に知名度の高い隣の箱。にじさんじが比較されるのは界隈のトップ。
トップと比べて劣るならば必要以上に批判される。
にじさんじを批判する材料があればすぐに食いつかれる。
そういう狭い界隈がここだ。

「○○とは違う」「○○より上だ」という対立軸。
他への排斥的な感情から来る潔癖が全肯定感の正体にある。
明確なライバルや嫌悪する対象が居ることでの一枚岩と言えば良いか。
ゲハ然り、スポーツ然り、避けられぬ信者の気質。
対立を深めるほどにより一層自分の推している箱に対しての応援意識は強くなるのである。
このため今形成された”両箱の対立軸”はホロライブにとってはむしろ有効に働いているとさえ言えるだろう。

勝てば官軍。
ライバルのその上を取る事でポジティブな話題は作り易い。
元々の界隈自体の狭さと、外部コラボの連発が両者を比較する習慣を促進させた。
「この界隈での人気や需要はにじさんじの生配信が圧倒的」という環境の中にあってその最も強いライバルに打ち勝つ事で泊が付く。

アイドル部の失敗は、あそこで止まってしまったからに他ならない。
コンテンツの供給が止まる事でファンにも考える余地を与えた。
これまで大切に育て上げた信仰心の喪失があった。
アイドル部に対しての疑問を抱かせて別のコンテンツへの逃亡を許した。

アイドル部のやり方は間違っていた。と思わせてしまった。

今更ながらアイドル部、アップランドはまだにじさんじのライバルとしては付き合い易かったなぁと思う。
ファンは対立していたとしても、向こうのメンバーからこちらを利用しようと外交を仕掛けて来るような事がなかったし、基本的ににじさんじと同じく外交に保守的で箱同士の敷居がちゃんとあったって意味での無害さ。
いちからと同じで例の業界的な派閥に属して無いってのもあって独自路線で互いにやっていけたから今の状況が惜しいと思う。


一方でそうはならなかったのがホロライブ。
にじさんじをライバルとしてひたすらに「隣の芝(ホロライブ)は青い」とマウントを取り続けた実積がここで生きる。

にじさんじでAをすればホロライブはそれ以上のA+αの結果を出す。
にじさんじがBをすればホロライブはそれ以上のB+αの結果を出す。


最大登録者数、最大同時視聴者者数、最大再生数。
vtuber界隈のありとあらゆる人気に関わる判りやすい指標でホロライブが上を取って行く。
ホロライブで1枠集約の企画配信が増えた事や被りが減った事にしても、黙認ベースが咎められ、ゲームの選択肢が狭くなったからのみが理由ではないだろう。
そうして「にじさんじ以上に人気なのだからホロライブは正しい、推し続けるのは間違っていない」という信仰心をファンに与える事が出来た。

尚且ライバルのにじさんじは「界隈の戦犯」としての性質上、元々SNS上でもまとめサイトでもくだらない不祥事やトラブルでやり玉に上げられ易く、それを隠れ蓑にした他社のやらかしは大きく扱われる事が少なかった。

特にvtuber系のまとめサイトの引用元はその大半が5chにある。
PV数が稼げるようなアンチ系の総本山ともなればyoutube板のにじさんじアンチスレに集約されるだろう。
この板でのvtuberスレはアンチスレの方が伸びやすい環境にあるように思える。
中でもにじさんじアンチスレは全てのライバーの話題をこの箱の名前を冠した1スレに集約して行う形式のようで最も勢いが高く目立つ存在となっている。
この狭い場でにじさんじの多くのライバーの話題を扱うという形式は、即ち内ゲバを誘発する。あるいはそれを行いたいものばかりを引き寄せる。
つまり、ここを見ればにじさんじ側のほぼ全てのゴシップやそれに繋がる火種を把握出来てしまう。という点でまとめ記事作成者からして便利なスレになるだろう。

何故vtuber系のまとめサイトが昔からにじさんじを下げて、外部を上げる記事を多く取り扱うか不思議だったがここを見て確信した。
このにじさんじを叩く為の場は外部との比較に溢れている。
にじさんじを叩く事を目的にした勢いのある場所で、「それに比べて○○は素晴らしい」と他所のvtuberの信者が自身の推しvtuberを取り上げて宣伝まがいの行為をしているのが目立つ。
即ち今ならばホロライブを持ち上げて、にじさんじを叩く場だ。
そのスレをまとめ記事の引用元にしているならば当然同じようになる。

しかしホロライブ側は違う。
まず最も勢いのあると思われる総合スレ的な場所はアンチスレからファンスレに改名されていた。
テンプレには公式のURL、非公式wikiのURLが貼られ、一時期は複窓ツールのURLに誘導リンクを貼るなどして内容自体もちょっとした批判が許されるファンスレの亜流と行った模様を呈している。
更に、ライバーそれぞれの個別スレが乱立して別個に進行しているという点でにじさんじとの差異が見られる。
つまりは話題の分散がなされ、ネガティブな話題が全体に拡散されない環境。
ホロライブ側のゴシップや、ファン間の対立感情を刺激するネタを記事にするためには情報源として把握しなければならないスレの数が多く、にじさんじのそれと違いめんどうな作業を必要とする。
という点でも、にじさんじアンチ的なゴシップを扱う方が楽なのである。

この仕組みをホロライブ側の人間が意識的に行ったのかは定かではないが、
ここでもにじさんじがライバルである事で救われていた。

多少のネガティブな話題ならば、ライバルであるにじさんじ側の新しいゴシップ記事で上書きされる。
一方でスパチャ額の多さ、桐生ココの同接10万達成の快挙などホロライブ側はポジティブな記事で溢れて炎上系の記事は埋もれていった。
ホロライブはにじさんじに何かしらで勝てばそれだけの事でも記事になる。

ライバルの上を行く事は火消しにもなり得た。

5chやふたばちゃんねるなどもチェックしていたカバーのマーケティング部の本部長が、にじさんじアンチで有名な動画投稿者をフォローしてその炎上理由の分析に努めていた成果も出ているのかもしれない。

加えて外交下手なにじさんじライバー達と対象的に、Twitter上での外交にも積極的だったのが功を奏している。
既存vtuberファンのみならず絵師界隈への売り込みも徹底して行うのが彼らの外交。
フォロワー数の多く影響力の強い界隈の関係者達をホロライブの味方に付けた後だ。
彼らはいわゆる有産リスナー。
その他大勢の一般リスナーと違いライバーからも特別扱いをされ、強いリアクションを貰える立場にある。
半ば人気タレント的である彼らとの交流は優越感と共に批判意識を持ちにくく、夜空メルの件でも事情を知らない絵師は擁護していた。

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先に取り上げたがこの業界内でのコネの強さもあった。
ホロライブこそが打倒にじさんじ最後の希望。
この箱が落ちるのはとある陣営にとっては最後の望みが絶たれるに等しい。
今「ホロライブが孤立する」と期待する人が居るのかもしれないが、実際にはその味方は業界内に数多い。

ファン、業界人、絵師にしても、ホロライブがやらかしたからと今更見限って移行出来るようなコンテンツの選択肢が界隈に残されていない。という環境。
尚且その箱が判りやすい生配信という舞台で、にじさんじよりも上という状況を作り全肯定民を上手く飼いならした。

何よりホロライブのやらかしで肝心な部分は、「同業他社に対してのモラルを欠いた狡猾な拝金主義」に起因するものであり、これらが発覚するまでに稼いだ金やファンは有効なままだ。
許諾無視のチキンレースやメタタグはヒューマンエラー的なトラブルからではなく一部意図的なものが含まれた。
金や数字を最初から意識して行ったからこそ、その利益を獲得した後の祭りにはならない。
バレなければ稼ぎ続け、バレてもそれまでの成果でプラスのまま。

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これらを印象悪いと感じるのは主にホロライブ周辺のにじさんじや他のvtuberをメインで見ていた人達だけだ。
ホロライブをメインで見ているファンにとって優先されるのは、
「それでも面白かったよね、魅力的だったよね」という事実。
収益化が可能なモチベーションの高さによる配信頻度、グレーゾーンを攻めたチキンレースやホロライブにしか配信出来ないようなレアなゲームの配信は面白かった。
その体験はたしかなものとしてファンを増やして数字や金に結び付いた。
これを見てファンになった全員が見限るわけがなく、楽しかった思い出が残るという点ではやったもの勝ちではある。

尚且、半ば”にじさんじアンチの避暑地”となっていた側面が邪魔をする。
今回のやらかしをファンが糾弾する事はともすればにじさんじに有利な状況を作り出す為に彼らはホロライブや運営を責められない。
あるいはにじさんじに砂をかけてホロライブに移住した人達も責められないだろう。
今更嫌いになって出てきた古巣に有利に運ぶような事を言いたくはない。
自分の選択の正しさを疑いたくはないという心理が働く。

海外勢などはそもそも国内のコミュニティと遠い所にある為にチベット問題など国外に波及するようなネタでなければ、この手のゴシップ騒ぎ自体に影響を与えるような層ではない。
問題にする側の規模が圧倒的に狭い。
にじさんじという界隈の汚点への反発、明確なライバルへの対抗意識がホロライブを救う。

ホロライブ側の内部にある自浄作用は死んでいる。

この為、5ch、ふたばちゃんねる、ニコニコ大百科などの人達がどれだけ騒いで悪事を暴こうと躍起になってもホロライブの人気に大きな傷を付けることは敵わない。
元々のにじさんじアンチ。にじさんじからの移住者。ホロライブに好意的な業界関係者、絵師界隈。海外勢。
それら増えてゆく新規に比べてもあまりにも脆弱でちっぽけな存在。

”アンチが騒いでいるだけ”で終わる。
何より「最も重い傷」をホロライブには与えられていない。

このやらかしの最終的な影響は、外部からどう思われるか、どう罪を問われるかで進退が決まる。
権利元が訴えないならばホロライブはノーダメだ。
同業者のvtuber達が何も思わないならホロライブはノーダメだ。


界隈を2分する人気はにじさんじとホロライブ。
自浄作用が死んでいるホロライブの不祥事や不快さを他に誰が責める。
にじさんじ側の勢力がどこまで怒り、糾弾するか。あるいは縁を切るかでダメージ度合いが決まると言っても良い。
それが無かったからこそホロライブはノーダメである。

ホロライブアンチ


ホロライブ側がアンチが期待している程のダメージを負わないのは、にじさんじなどの同業他社が相変わらずの姿勢で、何も無かった事としてホロライブを警戒せずに優しく接してしまうからに他ならない。

恐らくほとんどのライバー側はこう思っている。

ホロライブの運営にはミスがあったけどライバーは被害者。
またいつもの界隈アンチが暴れてるだけ。
私達もよく経験したいつものくだらない炎上。
ピンチだからこそ助け合わないと。


自分に優しい界隈の同業者(ホロライブ)、
自分にいつも厳しくする界隈のリスナー。

にじさんじのライバー視点で見てもどっちを信用するのかは明白だ。
今までの自身の炎上経験により、にじさんじライバーはホロライブの味方となる。
めざとく不祥事を暴こうとするような輩は根本的に信用せず、同業者同士の関係性のみを信用する。
これには心当たりがある。

そう、衰退論で散々指摘して来たにじさんじの身内にあるライバー同士の仲良しこよしの意識と全く同じだ。

渋谷ハジメが過去幾度となくやらかそうが、復帰すれば積極的に迎え入れた。
神田笑一が暴言を吐いてアンチを煽りファンからの好感度を下げようが、ライバーにとっては優しいお兄さんのままだ。
緑仙の燻っていた火種が爆発したのは、コラボ相手のファンの感情を軽く捉え、ライバー同士の関係性をただ見せつけるだけに終始してしまったからだ。
最近でも甲斐田晴がどのような理由で火傷をしたかなど知らずに、グウェルと同じどうせくだらない理由だからと切り捨てて軽率に救おうとした。

同じことだ。
同僚のライバーに接するのと同じように、外部の同業者にも優しく接する。
悪いのは常に運営、そして燃やそうとしている側だ。

「演者側には一切の罪はなく被害者だから救いの手を差し伸べよう。」
という流れは過去多くの騒動を通しても見られた動きである。

「楠栞桜」なども曰く付きの個人勢vtuber"だった"
彼女はにじさんじとコラボするまでの間に何故ホロライブとのコラボをしなかったのか。
にじさんじとのコラボや雀魂ブームでその人気が過熱した途端、ホロライブや犬山たまきが彼女とのコラボをし始めたのは偶然などとは思わない。
楠栞桜からすれば、にじさんじは取っつきやすく与し易い、外部が歓迎され易い箱だと判っていたであろう。
ホロライブからしてもある種にじさんじ側を地雷探知機として、爆発しない事が判った後ならば安心して交流することが出来た。
これは同じ転生組の「現よみ」などにも同じことが言える。
鳴神裁を相手にしてさえ、運営NGが出るまでは同じ同業者としてTwitter上で絡んで、遊んでしまうのがにじさんじのライバー達である。

大手の箱にしてはあまりにも自らのリスクに無頓着でメリット、デメリットで相手を選ばない交流様式。
にじさんじは同業者からのコラボは友好の証として、求められる事が何より嬉しく、自分達が利用されている可能性は疑わない。

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それらを「ライバー同士の関係性に口を挟まないで」「当人同士で了承済みでやっている」と言われればファンも従うしかない。
あまつさえこの期に及んで、ライバーから「ホロライブは界隈の仲間だから」と強調されれば、それは怒る気力も大義名分も無くなるというもの。


そもそもライバー個人がこのような大局的な箱視点で付き合う相手を見る必要性が無い。
相手の企業がどのような思惑を持ち、将来的に箱に対して不利益を招こうとも、にじさんじライバーの多くは箱の進退と自身の活動を繋げて考えない。
今会話をしているコラボ相手は自分を誘って、遊んで、優しくしてくれる。
それだけがライバーにとっての全て。

界隈は助け合いで成り立ってる世界だから。
同業のvtuber達はみんな大切な仲間。


こう思うのが自然で、活動を続ける上でも精神的に楽なのだ。

と同時にこう思っているだけの"外交弱者のにじさんじは損をする"
このお花畑な感情を利用出来る”周囲の外交強者は得をする世界"

たしかにホロライブ側のやらかしは、運営の指示や怠慢に依る所は大きいかもしれない。
運営だけが悪かもしれない。
が、配信上でそれを実行して対価を得たのはライバー側だ。

コラボで枠を独占して登録者が増えるのはホロライブのライバー。
チキンレースのゲーム選択で話題性を作って人気になるのはホロライブのライバー。
それに対して選択肢の少ないゲームで不利になったのがにじさんじのライバー。
メタタグでにじさんじの人気に便乗して関連動画に出やすくなっていたのがホロライブの配信。
あつ森で途中からスパチャを付けて稼げたのがホロライブのライバー。スパチャを投げる窓口すら無かったのがにじさんじのライバー。
結果、取られた金や人気は確実にある。

にじさんじのライバーが「ホロライブ運営がちょっとしたポカしただけ」「ライバーに罪はない」と軽んじて居たとて、ホロライブのライバー側の中には、多少なりとも自覚的ににじさんじの数字を意識して活動をしたことで利益を得た者やチキンレースを話題性に利用した者がいた。
対して実害を被っていたのは比較されて不利になったにじさんじ側だったはずだがこの期に及んでも、外部との付き合いの中で同業のライバル達を出し抜いて得をするという選択肢を持たない。
同業者の外交戦略を度外視して活動しているのがにじさんじのライバー。

あるいは狡猾なそれらは運営の意図だからと、外部の同業者にはその意思はないものとして漠然とした仲間意識の中で安心している。
ならば「今後も界隈の仲間として仲良くしていきましょう」と落ち着くだけだろう。

しかしホロライブのメンバーなどはこういった運営の環境で育ち、自らも旨味を得たという成功体験を既に経ている。
という点でにじさんじライバーとは明確に異なる進化を遂げている。
同業他社のvtuberはただの仲良しこよしなだけの関係ではなく、利用出来る事もあると知っている。
擬態からの比較、比較からのマウントを取る事は人気に繋がるという感覚をを持っている。
この界隈の生放送の視聴者数、スパチャなどの数は有限でだからこそ奪い合いになると判っているのだ。

やり方には問題もあったが、これらの実感は活動を続ける上では何れは獲得しなくてはならない当たり前のものである。
ホロライブだけではなく、自分の身一つで成り上がらなくてはならない個人勢ならばこんな感覚は自ずと身につくはずだ。
だからこそ、

にじさんじだけが界隈の中で外交弱者となっている。

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これこそが文化の違いでにじさんじの弱み。

同業他社としての立ち振舞いに対して、にじさんじのライバー本人が危機感あるいは忌避感を抱いて、リスクがあれば自主的に避けるような状況に移行しない限り今回のホロライブのやらかしも致命傷にはならない。
このまま付き合いを継続する以上はにじさんじ側も同じように外部を利用する事が出来なければ一方的に不利なままだ。

この期間はにじさんじにとっては大きなチャンスだった。
ホロライブが獲得した数多くの客を、にじさんじ側に向かわせるようなムーブも取れた。
しかしそれをしなかった。
出来なかったのでは無くそもそも意識をしていなかった。
ホロライブが勢い付いた年末年始からの意識と変わらない。
彼らの胸中にあるのは、

「ライバルではなく仲間だから」

勢い盛んな隣のライバルから客を奪おう、という当たり前の発想がない。
相手の良い所を真似る事や、相手の出方を伺い知り、その動向に合わせて個人があるいはグループとして戦略を練る事が習慣付いて居ない。
どれだけホロライブが必死ににじさんじを追いつき追い越せと研鑽を重ねたとて、にじさんじにとってホロライブはライバルにならなかった。
否、ライバルとして扱う事を避けた。

にじさんじは未だライバル不在の箱だ。

ライバルを作らないから危機感を覚えず、ライバルと認識していないから「かまど事件」の時のホロライブのように、相手のピンチを自分たちのチャンスに変えようと思わない。

この状況でもホロライブの方がにじさんじよりも人気や話題性で上を行くのを証明すれば問題は風化する。
この結果ホロライブにはろくなダメージは入らず、むしろライバルのにじさんじが腑抜けていたおかげで得をした。
にじさんじだけが周辺をライバルとして見ない事は他のvtuber達にとっても有り難く、それが判るからこそ強気な外交戦略は継続するだろう。

にじさんじをライバルとした時のホロライブは、
それでもにじさんじ側がライバル視しない事で無敵となった。


そして何よりホロライブは無策のまま自分たちを外部に利用させる程に愚かではない。

ホロライブの運営は知名度アップの為に人気がある外部のvtuberと絡む事をアドバイスしている。

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【さくらみこ】ギャンブル巫女参戦!美少女ゲームオタクってそれマジ…?みこ×たま清楚対談♡【犬山たまき】

7:54 
織田信姫との絡みについて

さくらみこ「その時に事務所の人が、今信姫さん熱いし絡みに行って来て下さいよって」
犬山たまき「事務所の指示だったの!?」
さくらみこ「和服繋がりで髪の色もピンクだし仲良くなれるよって言われてそうかもって」
犬山たまき「迷走しすぎでしょホロライブw何で信姫に絡ませんの必要ないでしょ」
さくらみこ「何がなんでもみこの知名度上げようって」

https://www.youtube.com/watch?v=KxobPYeboDg&feature=youtu.be&t=474



このように付き合う相手を考える事が出来るならば、自身の人気にメリットの無い相手との交流は避けるように動く。

運営から大手と絡む事を指示された「さくらみこ」が昔から仲良くしていたvtuberが居た。
にじさんじライバー「黒井しば」

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彼女が黒井しばとの関係性を切ったのは自身がGTA5の配信で海外勢に認知され急速に伸び始めた時期からだ。

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尚この後も一切のコラボをせず、表向きで確認が出来る関係性も完全に途絶えている。
この底辺同士の絆が舞スバのようにはなれなかったのは何故だろうか。
運営主導の元に最初から数字を意識して外交を行っているホロライブ。
あるいは黒井しばに舞元啓介くらいの人気があれば切られる事も無かったのだろうか。と思わせる。

今日にじさんじをライバルとしてそれを動力源に躍進し、あるいはスケープゴートに出来たホロライブとは逆に、にじさんじはライバルを作らなかった事で余計に自らが責められ易い環境を作り出している。

外に向かわない負の感情の矛先が余計に箱の内に向かう。
内ゲバが悪化した要因の一つ。
「にじさんじは界隈に強力なライバルが居ないから内ゲバをしているんだ。」という意見を一部で見たことがあるが、今ホロライブが台頭して来てもこの内ゲバ気質は無くならなかった。

それもそのはずホロライブはにじさんじのライバルに成っていない。
それ所か隣と比較する目を持たせたにも関わらず、競い並び立とうとする意欲が見えないにじさんじのライバーや運営のプロデュース力不足に対して怠慢だ、能力不足だと許容出来なくなる方に向かわせる。

にじさんじがトップであるならばにじさんじは正しかった。
しかしホロライブの方がトップならばホロライブの方が正しいという価値観を持つ者は出てくる。
今までにじさんじがトップだから正しいとされ、見逃された事もその座から落ちれば咎められるようになる。
ライバーに対しても、運営に対しても「隣の箱はこうしてるのに、何で出来ないの?」と言われ続けるのである。

全体指針としてにじさんじを上回る事が=成功であったホロライブと違って、ライバルを作らないにじさんじ側には判りやすい成功や勝利が無い。

正直な話、ホロライブのライバー達にしてもコラボを誘えば受けるのが大半だと思っている。
活動者として上を目指そうとしない、FF14ばかりしてる黒井しばとのコラボが無くなるのはある種当たり前とも言える。
にじさんじの中堅以上の女性ライバーならばまず彼らも断らないだろう。
ホロライブの勢いを利用しようと思えばにじさんじは利用出来る絶好の機会がそこらに転がっている。
ただただにじさんじ側にその意思がない。
まったくもってクレバーさに欠けているのだ。


~逃げの外部コラボ~


ファンにしてもライバーにしても、これらの仲間意識は必ずしも寛容さだけを示すものではなく、「相手側が自分たちよりも頑張っただけ」「界隈の仲間の成功は喜ぶべき」と自らの怠慢や実力負けから逃げて目を逸らす甘えにも見えてしまう事がある。

有名YouTuberの「東海オンエア」と「水溜まりボンド」などは同業の仲間であると同時にライバルであるという感覚を持って付き合っている。
コラボをするならばお互いのチャンネルで動画を出し合い、それを見てお互いの優れた部分を認め合う。
「こいつらやっぱおもしれーわ。自分達も負けてられないな」と奮起する。
相手をライバルとして認める事は、その凄さを直視して称える事でもある。
優れた所を学ぶという姿勢はライバル意識から生まれ、相手に負けぬように自分も頑張ろうと奮起する事が活動へのモチベーションにも繋がる。
仲間とライバル意識は反発するものではなく本来両立するのだ。

しかしにじさんじの同業への視点は仲間扱いに留まり、ライバルとして見る事を放棄しているように思える。
外部コラボとなれば多くの場合ただ相手に任せるがままである。
数字や打算で人を見るのは悪い事で、自身は清く健全な関係性でありたいという逃げ。
めんどうな準備や自枠での配信からの逃げ。
「ライバルではないから」と相手の成長に付き合って何かしらの労力を割きたくない。競い合うことでの成長性を放棄する逃げ。

にじさんじの誘われ待ちを信条とするような、消極的な外部コラボには保守的で受け身な逃げの姿勢が見え隠れする。

具体的ににじさんじの外部コラボの何が下手でダメなのか。


”外部コラボでの配信チャンネル枠の比率”

単枠コラボであるならば基本的には企画を立てコラボに誘う側がホストとして配信枠を設けるのが常識だ。
つまりにじさんじ側はほとんどの場合、外部を自分から誘っていない。
副窓の場合でもコラボでの会話やきっかけとなる発言を聞いていればおおよそ相手から誘ったものであるケースが圧倒的に多いと判断出来る。

特ににじさんじ側の上位ライバーの外部コラボなどでは、にじさんじ側から誘っていると見られるパターンはほぼ皆無である。
「にじさんじ全員がコミュ障の陰キャだから」では理由が説明出来ず、相手側が「全員コミュ強の陽キャだから」なわけがない。
また、本当に外部コラボがただの仲良しなだけの関係性であるならば、このように一方的な誘う側と誘われる側の比率になるわけがない。
では、にじさんじのライバーは企画を立てる事や配信枠を作るのがめんどうなのか?
それはそうだろう。ただ相手も同じだ。
その労力を上回るような理由があるからこそ自分から誘って、枠を独占しようとするのである。

外部はにじさんじとのコラボにメリットを見出して誘っている。
対してにじさんじはメリットを気にして外部コラボをしていない。
外部をコラボへは誘わないが相手から誘われたら安請け合いする。

にじさんじ全体がそういった体質だと見破るのは容易だろう。
この過度な"誘われ待ち体質"は、外部コラボを有効に扱えない最大の理由であり、誘いを掛けて寄生しようとする側にとっての格好の餌となる。

コラボで主導権を握れるのは準備をして誘う側だ。
そういった意味では開始時点で負けている。

ついでに言うと、外部との単枠コラボでのスパチャはどこに行くのか?
というあまり気にする人がいない話。
にじさんじ側が珍しくホストになる事がある星川サラのコラボで興味深い発言があった。
彼女がコラボ相手の夏色まつりに対して「スパチャの分配はどうすれば良いのか」と聞いた時に「そんな事は始めて聞かれたよ」と応えた一幕。
この反応からするに外部コラボでのスパチャの分配は基本的には行われずにチャンネル主が独占する形式だったのだろう。
にじさんじが外部枠のみで行う案件以外でのコラボでのスパチャは基本相手にしか入らないと思って良い。
今でこそAPEXなどでの副窓コラボのスタイルが増加したが、これまでのにじさんじの外部枠率の高さを考えると割と馬鹿にならない金額になるはずだ。


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      やりたい事があるなら自分達で企画した方が良いのでは?
      と思うのは私だけだろうか。


"自らの人気やファンを顧みないコラボ"

相性が悪い、面白くなりようがない、ファンが絡んで欲しくない、興味や需要がないコラボ相手でも「誘われたから」でコラボをしてしまうのも身内でのそれと同じだ。
ファンからの感情や自分の今後の人気よりも、今同業者に認められる事を優先する。

ホロライブのアイドル売りをしている一部のライバーは、ホロスターズの襲来に際して暗にコラボをしない宣言をしているが、にじさんじの多くのライバーはそういった"自分の商品価値を守るための自衛"を考えない。

結果、デメリットのある外部コラボによってファンに見限られる状況を生み出してしまう事がある。

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どんなコラボでもファンは喜んでくれる。
どんな相手とのコラボでも仲が良くなる行為ならば求められている。というのは間違いだ。
不満を持つ人の大半はその声を発する事なく去っていくだけである。
残った囲いが肯定するのは当たり前の事。

引退した海夜叉神などは30万人を目標として活動していたにも関わらず、所属するSEEDs外の無名vtuber達との見るからに需要に乏しいコラボを連発した結果、大幅に視聴者数やファンを減らした。
箱や同期の繋がり、あるいは単推しで見てる人からしても「誰だよこいつら・・・」と思ってしまうようなただVtuberというだけの謎の人物が頻繁に配信に登場する状況を歓迎するようなファンは少ない。

ライバーのそれはただの浅慮なだけだが、外部が戦略的に使えるならば相当に厄介だろうと考えるのは流石に杞憂だろうか。
外部はにじさんじのファン層には配慮せず、とりあえずコラボを誘いまくって相手が受ければ幾ばく家のファンを吸い取りながら潰すことが出来てしまう。
これに際して「嫌なら断る自由がある」は詭弁だ。実際にはそんな選択肢を持たないと判っていて誘っている。
この界隈の悪しき風潮。コラボは歓迎するものであり、全てのファンは喜んでくれる。断る事が失礼に当たるという誘ったもの勝ちの環境。


"不利対面でのコラボ"

コラボを一種のアピール合戦と捉えるならば、明らかに相手側に客を奪われ、にじさんじ側は客を吸えない事が明白な外部コラボがある。

例えばにじさんじ男と外部女でのコラボ。
男性vtuberの需要はほぼにじさんじだけにあり、相手の女性vtuber側に付いているファンは男性ライバーをわざわざ見に来ない。
しかし男性ライバーのファンの8割近くは男性ファンであるために相手の女性vtuber達の虜になってしまう。

例えば声や見た目。
一見さんからした印象は可愛い声、可愛いあるいは性的な見目麗しさ、特徴的な喋り方などの判りやすい個性で決まる。

にじさんじは内向けに評価されるライバーばかりで外部への訴求力が不足している。
「宝鐘マリン」と「早瀬走」のコラボなどは当時の視聴者数などで見ても本来ならば早瀬走にメリットが大きい。
というにじホロの関係性にしては珍しいバランスだった。
ただこの早瀬走の低い声質とオカンと称される喋り方やキャラクター性、活動内容ではアイドル売りをしているホロライブの客層にアプローチ出来ない。
一方で宝鐘マリンは声質に恵まれモノマネやニコニコ懐古ネタ、そこからの年齢ネタという持ち外向けにも判りやすく武器を持つ。
属性的には月ノ美兎のそれと似た武器だ。
にじさんじリスナーに刺さらないわけがない。
ホロライブだけが3Dでポーズを決めた立ち絵を使い、にじさんじ側はいつもの棒立ち2Dというコラボも数多く見られた。
彼らの人気絵師や人気モデラーに外注する戦略は外交でも有利が付く。
にじさんじ側は自分たちを見目よく見せる為の立ち位置も確保が出来ていない。

例えば企画の趣旨。
相手がホストとして企画の主役を務め、にじさんじはただのゲストとなるようなセッティングがされる事は多い。
相手の得意分野を活かせるような場所でコラボしても引き立て役にしかならない。

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画像の対決企画では料理が壊滅的に下手である事を売りにしている「赤井はあと」、全く料理にまつわるイメージが存在しないはずの「天宮こころ」が対決する企画だった。
当然撮れ高は赤井はあとの方にある。
相手がホストの企画系ではにじさんじが主役になるような配役はまずされない。
不利対面では爪痕を残せず、相手のファンにアピールする事が難しくなる。


"コラボをした後にソロ配信をしない"

外部コラボを戦略的に使う上で大切なのは、新しく自分を知った人が来てくれる可能性がある”コラボ後のソロ配信”にこそある。
ここですかさず自分を強烈にアピール出来るような魅力ある配信をする事でコラボ相手から流れてきたファンを定着させられる。
という流れは一般的なファンの立場でも理解できるのではないだろうか。
コラボ相手を見るようになるきっかけというのは往々にして、こういった流れを経ているはずだ。

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にじさんじのライバーとコラボをして成り上がった大手のvtuber達は、この辺がしっかりしていると感じられる。
コラボ後にすぐにソロ枠を取って配信をしたり、自分を最大限に魅力的に見せるような得意分野での配信をする。
そのライバーと被らない時間帯に配信をして見てもらおうとしたり、普段よりも配信頻度を上げてチャンスを掴もうと必死になる。
にじさんじとの外部コラボは自身の今後の活動人生を左右する千載一遇の見逃せないチャンスだという感覚が彼らにはある。

と同時に相手にこれをされることでファンは容易く奪われる。
にじさんじでは椎名唯華が顕著であるが、多くの上位ライバー達が外部コラボをした後によく休んだ。
配信頻度が心もとないにも関わらず、誘われたからといって外部コラボだけをポツンとスケジュールに入れてしまうのは日常茶飯事。
そうなれば現在配信をしていない推しのライバーよりも、知ったばかりの今配信しているコラボ相手を見るだろう。
特に上位ライバーであっても一人あたりの配信頻度でにじさんじの上を行くホロライブを相手にした外部コラボのリスクはここにある。

あるいは外部コラボ後に長らくソロ配信をせずに身内コラボを連打してしまうというありがちなムーブ。
身内にとっては強い関係性も外部コラボから来てくれる新規にとっては疎外感と共に魅力的に映らない。

実力がある相手、魅力がある相手と外部コラボをするならばその後のソロ配信を休んではならない。
相手の方が格上ならばチャンスを逃し、自分の方が格上ならば多くのファンを奪われるきっかけとなる。


このようなコラボ相手よりも配信頻度で負ける上位ライバーの軽率な外部コラボ下手は箱全体の首を絞める結果に繋がる。

リゼ、アンジュなど比較的にまともな思考が出来る上位ライバーは自分達が箱の中で人気がある立場であり、その言動に影響力を伴う事くらいは理解できているはずだ。
しかしその彼らでも自身の人気を打算的に利用される事や、外部コラボを行う事での界隈のバランスの変化には鈍感なままでいる。

「所詮は個人間のコラボだろう」と思って軽く見ていても、確実ににじさんじという箱のファンを動かす。
にじさんじ側には旨味は少ないが、外部に利があるようなコラボを何度も繰り返せば影響は箱単位のものになる。

これらの点で見ても先日のアンジュと宝鐘マリンのコラボも外交下手が際立っていたように思う。

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まず当然の如く誘ってきたのは宝鐘マリンからだ。
相手の枠独占での配信を許した。
2夜連日となるコラボで2回共に相手の枠で行ってしまった。
完全に宝鐘マリンのフィールドだ。

アンジュはにじさんじ内でトップクラスの上位ライバーだが、ただその個性は外部よりも身内からのウケに向いている。
固有のリスナー率は月ノ美兎、御伽原江良、鈴原るる程に多くはなく、どちらかと言えば単推し需要よりもにじさんじの箱推しからの好感度と知名度で人気があるライバー。
まずさんばか、リゼアンという狭い関係性の強みはアンジュ単独で出向くような外部先のコラボでは本人の魅力として有効に機能しない。
そしてアンジュ自身の個性。
低音ボイスに見た目の印象も相俟った初見からの印象は半ば中性的なキャラクター像。予想し得る今のホロライブ層にヒットしない。
下ネタあるいは性癖トークも判りやすい武器ではあるが、にじさんじライバーらしく外部様のチャンネルで全力を振るう事が出来ない臆病さがある。

そしてコラボ相手は宝鐘マリン。
見た目からしてもホロライブらしく当然女性的であり、特徴的な声質とモノマネはインパクトのある判りやすい武器として外向けの力が強い。
このコラボはにじさんじから引き連れてきたリスナーに宝鐘マリンの魅力を思う存分伝えてくれた。
アンジュがやる気がなかったわけでもなく、面白くなかったわけでなく、
コラボ自体は好評だった。
ただ箱のファンの性質や個々の訴求力も加味して外交的に不利だった。

そして、元々配信頻度が高くなかったアンジュはこのコラボの後にソロ配信の頻度が低下した。
アンジュのリスナーは宝鐘マリンを見るきっかけがあるが、宝鐘マリンのリスナーはアンジュを見るきっかけが極限られている。
これでは当然相手にはファンを奪われ、自身は相手のファンを吸えない。
その後もお互いにTwitterなどで会話するでもなく、コラボした事が嘘かのように関係性に発展が見られず、宝鐘マリンを勢い付かせるだけに終わった。

もちろん外部からすれば相手がにじさんじである限りアンジュのような上位ライバーだけではなく、下位ライバーを誘うことでのメリットはある。
にじさんじとコラボをするだけでその相手が誰であっても、例え同接400人のライバーであろうとも、PV数が2万近くの「にじさんじ非公式wiki」に配信ページへの直リンクが貼り付けられる為、それなりに宣伝効果が期待できる。
Twitterのフォロワーにしても5万人~10万人という数字は、未だ日の目を見ない多くの外部vtuber達からすれば圧倒的な宣伝効果である。
外部が大量に参加する企画の中に、にじさんじのライバーを一人混ぜておけば「にじさんじファン向けの媒体で一定の宣伝効果」というわけだ。

にじさんじがコラボをするという事は、そのライバーだけの力関係で収まらず、"より巨大な箱自体の波"を引き連れてくるという事でもあるのだ。

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相手が例え渋谷ハジメであっても、"にじさんじ全体にある麻雀ブーム"という大きな流れに乗っかる事でコラボしたライバーの人気を超える成果を手にした個人勢もいた。
それでいてコラボ中で大した活躍もしない、相手に比べてただ劣っているにじさんじ側ライバーの人気に繋がることがない。

こういったコラボは多くの場合、外部にとっては特大のチャンスであり、にじさんじからすれば人気を垂れ流し、比較されて劣る部分が露呈するデメリットしかないようにも思える。


~そもそも外部コラボは必要なのか?~

ライバーにとっての外部コラボは多くの場合、自身の人気に繋がるものではない。
正確にはその気すら持って居ない。チャンスがあってもそれを棒に振っているというのがここまでの持論だ。

ただいくら誘われ待ち体質と言っても、応えるからには外部コラボに対しての相応にポジティブな姿勢があるから行っているはずではないか。

ライバーにとってのコラボの選択肢は豊富にある。
100人も身内で仲良く出来るライバーが居る。中には男も女も居る。
ならばコラボ相手は身内で十分ではないのか?と、

しかしライバーはファンも必ず喜んでくれるイベントかのように告知して外部コラボを歓迎する姿勢が見られる。


これに対しての予想。

まず前提となるのは先だって取り上げた、にじさんじ自体の界隈での弱い立場。2D生主と叩かれて「界隈の責任を取れ」と理不尽な戦犯扱いをされて来た背景。
これは何も界隈の先人的ファンからの敵意だけではない。
あまり交流がない動画主体の個人勢が生主主導になった界隈に対して、ちょくちょく歪みや嫌味を言うようになっていた事にも覚えがある。
にじさんじ以外のvtuberが勝手に下手を打ち、自爆していったとて逆恨みの矛先になる。新しいコンテンツに乗り込もうとして失敗した、界隈での行き場のない負の感情の置き所がにじさんじだ。

アイドル部やホロライブが便乗してもそれは変わらなかった。
にじさんじが最初に火蓋を切ったのだから、にじさんじが悪いと言い続けられた。
そうしたヘイトタンクとしての低い立場は当然、vtuberファンのコミュニティを通してライバー側も感じ取れたはずだ。

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根本的ににじさんじのライバー達は卑屈に謙虚にならざるを得ず、
不穏な空気が漂う中でライバーは界隈に気に入られる必要があった。


1期生2期生などは特にだが我々にじさんじは流行に便乗して界隈をかき乱した負い目ある立場なのだから、「外様には平身低頭で接するべきだ」と日本の戦後教育かのような文化が染み付いてしまった。

だからこそ、
それでも罪深い我々に接して来てくれる同業者が「心優しき仲間」にしか見えず警戒して疑う視点を失っている。

この界隈はにじさんじに対して優しいものではないからこそライバーは優しくあろうとする”負い目からの罪の意識と精算”
これがにじさんじが外部に対してビジネス的な視点を持たなくなった最初のきっかけのようにも考えられる。

あるいは”ノブレス・オブリージュ”
自らが恵まれた箱に所属するという余裕ある立場から、逆に恵まれない個人勢や弱小企業勢を伸ばして界隈の成長に貢献するのを美徳とするに近い考え方があるのかもしれない。

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にじさんじの看板を引っさげてお気に入りの外部を伸ばしてやることで、一定の満足感を得るのではないか。
特に推し活ムーブを取るライバーは数字が伴わないライバーや活動頻度が低いライバーが大半である。

あるいはうるさいにじさんじリスナーからの逃避先。
身内の不和を抱えた群道美玲や、炎上した直後の御伽原江良に外部コラボが増えたのも箱内での自身の風評、同僚ライバーへの風評被害を警戒したというのはあるだろう。

外部コラボは身内コラボよりも批判され難い環境にある。
箱のファンは配信上のルールやモラルをある程度共通するものとして認識し、ライバー全員に強要しようとする為に箱の中では独自のローカルルールのようなものが形成されている。
例えば先輩リスペクトの強要であったり共有鯖などでの建築物、所有物への些細な破壊行為へのお咎めや伝書鳩の問題などがそれだ。
身内のライバー同士のコラボでは無礼や失言が些細な事でもすぐにやり玉に挙げられてしまう。
嫌いなライバーや興味がないライバーが増え、それらが同じ箱に在籍してコラボをするという不快感からか、ルールを押し付け箱の身内相手だからこそ攻撃的な感情に染まりやすい性質がある。
にじさんじ全体の内ゲバ染みたコミュニティ。

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だが厄介なにじさんじリスナーも箱が違えばルール適用外。
外部コラボに際してはそう強気に出られない。

渋谷ハジメが月ノ美兎とのコラボ中に「このまま四天王を食い殺すの?」と発言したことなどの危うさなども含めて、にじさんじは初期の頃から外部から疎まれやすい立場。
外部との衝突くらいは自ずと避けようとする文化になっていったように思う。
まだ界隈の先人リスペクトが強い環境で育ったのがにじさんじという箱。

リスナーが配信者を写す鏡であるならば、そのライバー達が外部に対して謙虚なスタイルを取ることで自ずとリスナー側も外部に対しての目が甘くなる。
界隈への負い目や謙虚な姿勢はリスナー側にも浸透していた。
様々なコンテンツを通して信者的なムーブを見てきたが、はっきり言ってにじさんじ信者はその人気や勢いの割には外部、競合対象に対しては相当におとなしい部類の信者だった。

度々界隈の有識者が集まって議論する場が設けられるが、そういった場で責任追求論的に議題に上げられるのもにじさんじばかりだ。

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箱という文化、生放送路線、2D路線の是非。
追従したアイドル部やホロライブのムーブに対しての批判的な意見や、戦犯論を彼ら有識者が語ることはない。
それを行えば当たり前のように叩かれるからだ。
一方でにじさんじを語ることは許されている。
批判的に語ることを咎める信者が人気の割にいなかった。
外部様には強く出られない。迷惑は掛けられない。内ゲバするので手一杯で外部との話まで追いきれない性質が強く出ている。


あるいは自身の人気からの逃避。
人気の低いライバーや身内で上手く関係性を作れていない、誘われないライバーは外部コラボが増えていく傾向にあるように思う。
身内から誘われないようなライバーでも、外部の個人勢などからは”にじさんじという看板”を付けているだけでも誘われ易い。

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にじさんじなのに他に比べて人気がなく誘われないというコンプレックスはにじさんじ外からのアプローチで満たされる。
渋谷ハジメなどは昔からこの傾向が強く、にじさんじのライバーと遊びたいとTwitterでつぶやきながら無名の個人勢とのコラボが多かった。

今の下位ライバー達もよくわからない個人勢や底辺企業勢に誘われてホイホイ付いて行く姿は目に付く。
この需要の無いコラボこそが最も箱推しに見限られて人気を損ない再起不能に陥る行為だと彼らは気付いているのだろうか?
しかし、恐らくはもはや看板ライバー的な立場になる事を諦めた彼らはにじさんじの中で活動するだけでは満足に得られなかった、”同僚から誘われてチヤホヤされる”という承認欲求を外部の同業者との繋がりで獲得しているのかもしれない。

何より誘われ待ちという体質がこの推察を裏付ける。
ただコラボをしたいだけならばにじさんじからもっと誘っているはずだ。
人気になりたいだけならば、もっと上のvtuberを自分たちから誘えば良いだけだ。

彼らは誘うのではなく、誘われる側に立ちたいのだ。

自分から誘う事は恥ずかしい行為でありリスクを伴う行為。
誘われる事で責任を背負わずに自分が認められたという実感が得られる。
恐らくここでも外部の同業者達は優しく、にじさんじは自らの人気を高めてくれるVIP様として丁重に扱われる。


つまり外部コラボはにじさんじライバーにとって楽で心地が良い。

ライバー側が外交を戦略的に使うという観点を度外視して、ただニコニコしているお花畑の原因がここにあるように思える。
外部はビジネス相手としてにじさんじをコラボに誘い、にじさんじは外部コラボによって安心感や充足感を得ている。

そういった意味では「Win-Winな関係性」だ。

これがあるから、にじさんじの外交下手は治らない。

外部にどういった思惑があれど、ただ優しさを提供すればにじさんじのライバー達はコロっと落ちてくれる。
にじさんじに売名して成功したvtuberが多く居ると知られている。
じゃあ自分もと同じく売名して成功したいvtuberがハイエナの如く周囲に溢れかえったのが今の状況。

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最近になって視界に映る事が増えた「聖女れりあ」というvtuberなども外交によって人気になろうとする一人だろう。
新人ながら登録者格差など気にせずに叶を誘い、舞元も誘う。
今の環境下ではにじさんじの身内の新人ですら。自分からは気軽に誘えない先輩ライバーが多く居る。
この場合の誘えないとは、誘ってコラボをすると内ゲバ的に批判され、炎上するリスクが察せられるからである。

その一方で外部の新人vtuberなら軽率に誘えるという歪み。
外部だけがにじさんじの強みを活かし、にじさんじは同じにじさんじの強みを満足に活かし切れない破綻した状態。

「甲斐田晴」などが「にじさんじは自由にコラボ出来るのが魅力」と語ったが実際にはにじさんじに入る必要はないのだ。
むしろにじさんじに入る事でその上下関係による暗黙の了解やアンチ、ファンからのルールに縛られてコラボし難くなるような環境がある。
一方でそれら箱の文化性やローカルルールを完全に無視出来る外部はにじさんじを有効活用出来る。

箱推しの弱さ、箱一丸となって生き抜くという意識の欠如は外部に付け入る空きを与え、その打算まみれの優しさをも逃避先とするようなライバーを生み出し続けている。

「それでも本人が満足して付き合っているなら良いじゃないか。」
という常套句で反論されるのだろうが、この心地良さはライバーからあるべき緊張感を奪う。



~ぶっちゃけノリの危険性~

外部コラボはにじさんじライバー達にとって、
自らが準備をする必要がなく、
その内容に責任を課せられる事もなく、
コラボ相手からはチヤホヤされて気持ちが良い。


こういった気の緩みが悪い方へと向かわないわけがない。

今後のにじさんじが外部コラボによってリスクを被るだろう事が予想出来るvtuberがいる。

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優しく計算高い同業者。

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異常なまでのコラボ率の高さ。ある程度数字が稼げるにじホロ、あにまーれ、ハニスト周辺のvtuberしか呼ばずに、大手とのコラボで成り上がるルートを画策するこの界隈での外交有利を象徴する存在。

配信枠を独占するそのスタンスは外部はにじさんじを誘うが、にじさんじからは誘わないという一方的な関係の模範例だ。
そうした外部コラボによって稼いだ数字を元に、ついには自分の箱である「のりプロ」を作り上げた。
自身のこれまでのコネを使い、デビューしたばかりの新人達にもにじさんじ、ホロライブの登録者10万、20万を軽く超えるライバー達を仲介させる事でその勢力を拡大して行かんとする。

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彼らの糧は同業者に対しての受け身の姿勢、疑いの目を持たない鈍感さ、仲良し至上主義な界隈の甘さだ。
笹木咲などが枠バグで困っていた時にも裏で犬山たまきにアドバイスされたと言い出した。
その時には「この2人に交友関係があったのか?」と思った。
案の定その際に誘われて後日コラボをした。笹木咲とくれば次は椎名唯華だ。
犬山たまきは同業者に優しく、企業勢などの相談にも頻繁に乗っている事が度々ライバーの口から示唆されている。

にじさんじは優しさを額面通りにしか受け取らない弱さがある。
このように優しさを武器に出来るvtuberは外交に強い。


しかし、いい加減に犬山たまきとその周辺とは縁を切るべきだと思う。
単純なリスクで言えば「また箱の客を奪われるだけ」という事になるのだろうがこの場で指摘したいのはそれだけではない。

書いている最中に起こってしまった為に後出しのようになるが犬山たまきとの関係は現在のにじさんじが目指す方向性にとってのリスクを孕んでいる。

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25万人記念の凸待ち配信枠中、にじさんじライバーの「夢追翔」が「過去に出会い系のサクラに該当するようなバイトを行っていた」と告白した事でこれが犯罪行為に当たるのでは無いか、と大きな騒動となった。
後日この件についての謝罪と共に本人、公式からは当面の活動休止が発表された。

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事実としてやらかしたのは失言をした夢追翔であり、犬山たまきはあの場では半ば被害者的だ。
犬山たまきとの交友関係がなければ、あるいは夢追翔はライバー活動を通して一生この告白をすることがなかったのかもしれない。
だとしても今回の件で配信中に犬山たまき側の過失は無く、本人を責める理由にはならないだろう。
しかしこの夢追翔のやらかしは今後に繋がる明確なリスクが潜んでいる。

犬山たまき周辺の所謂「汚物」と本人等が自称する同業者達のコミュニティには「何でも言える場所だからこそタガを外す、ハメを外す」というリスクがある。


こちらのS.U氏のNoteの記事が判りやすかったので以下に引用してさせてもらう。


ボクはその配信をリアルタイムで見ていましたが、夢追翔が凸してくるまえにはすでに数人ほどの凸が済んでおり、前に来た全員がバイトの経験の話題をしていました。

前もって凸していたライバーのバイト経験の話題には、変わったバイトやあまり知られていないバイトが多くおもしろエピソードとして語られていました。

なにやら過去のバイトについて面白いネタやエピソードを披露しなければならないような雰囲気になっていたのは事実です。

その配信者としての面白さを求める同調圧力やライバー魂が今回の暴露につながってしまったのではないでしょうか。

この面白いエピソードを話さなければならないという暗黙の雰囲気が焦りを生んでしまったのか。

いくら奇をてらったような話が求められていたからといって、出会い系の「サクラ」は公言すべき内容ではありませんでした。

この発言に関しては追及されてしかるべきですし、さまざまな記事やまとめサイトのコメントでも厳しい意見が寄せられています。

ボクもこの話題のチョイスは正直無かったかなと思います。

ただ、擁護するわけではありませんが話題を分散させるならまだしも全員にバイトの経験を聞くという流れ、配信の運び方もこの発言に一枚かんでいると感じました。



失言というものは往々にして"その場"によって引き起こされる。
例えばメン限やツイキャスでの配信。
見ている人が少ないからと気が緩み、「ここでなら普段のyoutube配信では言えないような発言をしても良いのではないか」と思って軽率になり勝ちだ。
だが人気ある彼らが配信をしている以上、その失言を切り抜いて広めようとする存在は多く確実に監視の目があり、そうはならないのが実情だ。

これがコラボの場合となると他の人の存在がキモになる。
自分以外の存在がその場の責任やリスクを分散させる。
そのようにライバー視点からは感じてしまう。
同時にその場の同業者が許容することで、視聴者の監視の目を無視した言動を取る事が増えていく。
それが「過激な事を言えばウケる場」であるならばいつもよりも許容される範囲が広くなるものと思い込む。
「前の人がこんな過激な事を言ったからじゃあ自分はもっと上を行こう。」
イキったDQN連中が集まり、その場の高揚感から犯罪自慢も武勇伝となるようなノリと言えば判りやすいか。

そんなチキンレース的な性質が汚物系vtuber達のコミュニティには蔓延している。

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まず過激なぶっちゃけトーク枠という場が危険だ。
身内のにじさんじ枠では言えない事も、外部の枠でならばぶっちゃけて良い。
「普段は言えない事もここでなら、この人になら言っても良いのかも。」
と思わせるようなノリが危険である。

相手のチャンネルだろうと過激な発言の切り抜きは拡散される。
見に来ているのは相手のリスナーばかりではない。
特に犬山たまきは数々のコラボ、外交によって数字を増やしたvtuber
そのリスナーの多くはにじさんじやホロライブを兼任している。

どう見ても隠れてこっそりと過激な事を言える場であるはずがない。

先に取り上げたさくらみこの「売名目的で外部と交流する事を運営に指示された」という旨の発言もタイミングがタイミングならばもっと騒がれただろう。
これもまたその場のぶっちゃけノリを許容させる空間に乗せられた形で飛び出た発言の一つ。

「犬山たまきがそのようなノリを扇動しているわけではなく、全てコラボ相手が自主的に発言しているだけ。」


本当にそうだろうか?
犬山たまきがコラボ相手にサムネで喋らせている台詞には"共通する特長"がある。

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桐生ココ「チャンネルBANしてもいいですか?」
犬山たまき「まずいですよ!許して下さい!」

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郡道美玲「収益化剥奪RTAする?」
犬山たまき「すみません!許して下さい!何でもしますから!」

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花畑チャイカ「私も入れてよ」
犬山たまき「チャンネルの命日かもしれない・・・」

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鈴鹿詩子「ここのチャンネルは好き勝手していいんですか?」
犬山たまき「あの・・・BANされない程度でお願いします!」


特に多様されるワードは「やべーやつ」「チャンネルBAN」「NGなし」。

"コラボ相手のやべー奴"が過激な事を言いながら、犬山たまき自身は終始それに引いているという構図を前もって作り上げる。

これらが彼女の企画の趣旨であることは誰からも一目瞭然であり、見ている側はそこに期待をする。
その期待感、自分が何が求められててその場に立っているのかをゲスト側が感じないわけがない。
一方で犬山たまき自身はハメを外さずに、常に被害者的な立ち位置に意図的に立っている。
という舞台設定が最初から構築されているという点で厄介なのだ。
コラボをセッティングして場をコントロールしているのは彼女自身。
司会、聞き役でありゲストの会話を引き出す側に立つ犬山たまきそのものが危険な言動をしているわけではないだけに、可視化さない"場のリスク"は咎められる事がない。

あるいは、にじさんじの身内の企画で同じノリをすれば批判されるだろう。
しかし先に取り上げた理由から外部は見過ごされる。
コラボ相手であるにじさんじの失言は批判されるが、犬山たまきが用意するその場自体は批判されない。

相手のゲストにだけリスクを架して自らは安全圏から「そんなぶっちゃけた事が言えるあなたは凄い凄い」と持て囃す。
「やべー奴」とおだてられて気を良くしたコラボ相手は更に一歩踏み越え始める。
外部から招いたゲスト達を同業者としての優しさで酔わせ、爆発しても良い空間で地雷原を走らせるロシアンルーレット。

これが彼女とその周辺で行われる"地獄配信"の概要。

外部という逃げ先での心地良さ。
厄介なにじさんじファンという箱の監視の目から逃れた(と思い込んでいる)緊張感や責任感の欠如が失言に繋がる。
ライバーは外部コラボをビジネスで見ていないから余計に欠いてしまう。
しかし現実には犬山たまきの枠だろうが、因幡はねるの枠だろうが失言すれば糾弾される。
ぶっちゃけて爆発しても良い空間などない。
それはにじさんじ側のルールではなく、ただ犬山たまきが自身の枠での爆発を許しているだけだ。

彼女自体はやらかさないがコラボ相手はやらかしてしまうという状況の中で
それを優しく許すのが犬山たまき。

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【お知らせ】
夢追さんの件について、いちから株式会社様からプレスリリースが出されました。
こちらが発表されるまで、夢追さん本人から「この件について犬山さんは触れないで欲しい」とお願いをされておりまして
説明を出すまでに時間を頂いてしまい、申し訳ありませんでした。
夢追さんと相談した結果、該当箇所のアーカイブカット等は行わないことになりました。
いずれ夢追さんが戻ってきたら、また楽しくコラボをしたいなと思っております!

「何て良い人なのだろうか。自分のせいでごめんなさい。」とにじさんじには弱みが蓄積され続ける。
これは何よりもにじさんじが弱い、優しさと負い目を利用した外交。

だが多くの失言系の炎上においては、「コラボ相手がその発言を気にしてるかどうかの感情や許す許さないか」などはどうでもいい。

問題の大きさは見ている人からの反響で決まる。
優しいお友達が許そうが失言は失言として残る。
その反響が大きく広がりやすいのがにじさんじという土壌。
にじさんじの基準と外部の基準がそもそも違う。
犬山たまき個人が許そうがにじさんじのゴシップを期待して失言待ちをしている人たちにとっては格好の標的になり続ける。

だからこそ、
「いずれ夢追さんが戻ってきたら、また楽しくコラボをしたいなと思っております!」

彼女のこれを優しさと受け取る事が出来ない。
「正直勘弁してくれと」と思うのは私だけだろうか。

これは決して夢追翔個人の罪を擁護するものではないが、彼のように普段から発言内容に気を使い、数多くの司会役で認められた実績あるライバーであっても、"犬山たまき的な汚物ノリ"の中ではその場の面白さの為に判断力を失いハメを外す。という作用が危険なのだ。

それでも。だとしても、

「本人が自制出来ないのが悪い。」

至極最な意見。
では、”夢追翔よりも自制心が働くライバー”はどれだけいるだろうか?

他に共通して親しいライバーと言えば、「緑仙」なども同じく迂闊な発言で炎上しやすくこの手のぶっちゃけノリの企画で事実やらかした後だ。
彼のようにお咎めを受けたライバー達は小うるさいリスナーに対して多少なりとも反感を抱く。予想でき得るリスク、火種は常にあったがこれまでは無視をしていた。
リスナーを部外者と断じ、「自分たちの関係性を悪く言うな」と敵愾心を強める一方、近くで甘やかしてくれる同僚や同業者達を頼りに甘えだすのが彼らのテンプレ。
という点でライバー間でのコミュニティ感染力の強さを持っていた。

両者に近しい「郡道美玲」もまた雀魂からの継続的案件を抱える身でありながらも、緑仙や癒月ちょことの外部コラボで夢追翔と同じような内容の失言を取られて渦中の存在となってしまった一人だ。

このような最近のにじさんじの大小様々な失言タイプの炎上の原因には、「他が言い難い事も言ってしまえる自分たちすげー」なグループの肯定感や、彼らが作り出す場での気の緩みが絡んでいるように思えてならない。

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夢追翔にしてもこの周辺との付き合いが増えるに従って最近は自身の”サイコパスキャラ”としての一面が色濃くなっていったように思う。

この流れからすれば今後予測出来る危険性は「星川サラ」あたりだろうか。

「甲斐田ハル」の謹慎にも繋がった軽率な配信中での逆凸への誘い。
差別発言が飛び出たその場のノリも夢追翔と近しい事例ではなかろうか。
あの場で星川サラ自身は失言しておらず、本人はただのプロレスで出てしまっただけの発言など全く気にしていないだろう。
ただそういった軽々しく炎上をからかうノリ、爆弾発言、ぶっちゃけが面白いというスタンスを自分が好きな先輩vtuber達(犬山たまき、神楽めあ、緑仙、郡道美玲、夏色まつり)から学び取ってしまっている。
活動に思い悩み、彼らに相談すればする程にそちら側にしか向かわない。
コラボで生きるしかないタイプのライバーやVtuber達程、自分とコラボをして貰わないと困るのだ。
過激な発言をして貰って話題作りに貢献して貰わないと困ってしまう彼らの恣意的でビジネス的な意図がある限り、まともな相談役になっているとは到底想像出来ない。
元々トーク力が必要とされるVtuberや配信者という職業に身を置く者。
当然ながら話が上手い。
何万人ものファンを魅了するには一定のカリスマ性を伴う。
説得力がある。
そんな彼らが決して叱る事はなく、ただ現在の在り方を肯定して自分の利益と合致する居心地の良い方へと誘導するそれは洗脳じみている。

これらのグループはお互いがお互いのノリを許し合うが為に同じ事を繰り返し、そういった場に身を置くライバーが増える事で周囲には失言の波を感染させる。

先日行われた星川サラの2.0お披露目配信でも興味深い発言があった。
要約すれば曰く、
「自分はにじさんじの箱推しから嫌われていると思って活動して来た。」
「だから夏色まつりや犬山たまき、郡道美玲、赤井はあとなどとコラボをしている」
「この人達とのコラボは気を使わずに出来るから楽」
「最近になって本間ひまわり、笹木咲と交流が増えて認めて貰えている気がして来た」

これらは先に述べた外部コラボを行う理由の一つ「にじさんじリスナーからの逃避」に判りやすく該当するものだ。
しかし赤井はあとはともかくとして、この手の交流範囲こそが最もにじさんじの箱推しからの好感度を悪戯に損ねていた原因ではなかろうか。
vtuber、特ににじさんじのファンは"周囲の関係性でライバーを見る習性"が強く、不良と仲良くすれば不良に見られて危険視される。
危険視されるからこそ発言を一言一句監視されて「こいつは燃やし易い」とやり玉に挙げられ易くなる。
「気を使わずに発言出来るから楽だ」というのも結局の所、失言へと繋がる動機になる為、これらのグループに身を置く限り謂れのない謗りも免れないのだ。

対して彼女の他の交流相手であるエクス・アルビオ、叶や話題に挙げられた本間ひまわり、笹木咲などは判りやすくにじさんじファンからの好感度が高かったり関係性にも強いライバー達である。
今認めて貰えていると感じられるようになったのはつまりはそういう事だ。

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同じ「ぶっちゃけ」というタイトルを冠した企画であってもこちらの「ぶっちゃけ女子会」という企画でのノリは汚物系コミュニティで行うものとは明確に雰囲気が異なっていた。

この差はコラボ相手によって作られるによるものだ。
本間ひまわりや笹木咲のようなキャラクターが居る場では星川サラも言ってはいけない事があると自制が出来る。
周囲のコラボ相手と場の性質が彼女の失言を抑制した事で、汚物系のノリというよりは、にじさんじライバーには珍しい社交的で陽キャよりのキャラクター性が強調され、他の参加者との対比も丁度良いバランスとなり危なげなく企画が成り立ってた。

星川サラはまだ上を目指せる一人だろう。
あの時期に入ったライバーの中では珍しく目に見えて向上心があり努力家だ。しっかりとした目標意識も備わっている。
にじさんじらしからぬ外交能力の高さもまたその一旦。
彼女のTwitterのフォロワー数などを見れば、確実に外部から流れてきている層が居るのは判る。
だが今バンダイナムコからの大型案件を貰っている身であれば、リスクを考えて付き合うべき相手ではないし乗っかるノリではないものがある。
認知を広げるための外交の時期から、リスクを見極める段階に来ている。

にじさんじがホロライブのように生放送界隈での覇権、youtubeでの成功のみを目指しているならば存分に生主ノリの過激売りでチキンレースをしていけば良い。
しかし今の案件主体となってクリーンさを求められる方向性とは反発するものがある。
被害を被るのは自分一人だけではない。個人での休止だけでは済まず、企画そのものを揺るがす失態になるだろう。
加えて界隈メディアに強いコネがあるわけでもなく、まとめサイトが露骨に味方に付いているわけでもない。
内ゲバな環境下での問題はスルーされず、ちょっとした発言ですぐに炎上してしまう為、このようなノリは今後のキャリアアップの妨げとなってしまう可能性が高い。
声優やメジャーデビューなどの輝かしい夢や目標を持って活動を続けたいライバーには相応のリスク管理が求められる。

これら汚物ノリに今後のライバー人生を棒に振るほどの価値があるようには到底思えない。

汚物 (1)


現在、緑仙はこれまでは自身が向き合わずに無視してきた「自分が周囲を巻き込む事のリスク」を知った。
世論を無視して強引に今までのような活動スタイルや企画を貫く事はにじさんじという箱の中では厳しくなってしまった。

何故犬山たまきを取り上げたのかと言えば、にじさんじ側でのぶっちゃけノリの中心に居た緑仙がその活動スタイルを変えた事で、より一層外部の犬山たまきにこの場と役割が集中する事が想像に難くないからだ。
外部の犬山たまきのNGの許容範囲と、にじさんじ側の許容範囲は異なる。という点で見ても、身内で行われていた緑仙達のノリよりも更にワンランク進んだノリに傾倒し易い。

「にじさんじでは言えない事もここ(外部)でなら言えますよ。」

にじさんじで制限が増える度に、外部はそれを売りに出来るようになる。


今後もその優しさを武器に積極的に同業者を繋ぎ合わせ、界隈の融和を図り外部コラボを推奨する路線に向かわせ、にじさんじがただ界隈の養分になるだけの優しい世界に向かわせるだろう。
どれだけコラボ相手が自分の枠でやらかし続けても「またコラボしよう」と誘われ続ける。
失言の場を提供しながら、爆発した相手を許してコラボし続ける。
下がるのは相手の風評。上がるのは自分の株と数字。

ならば箱同士の不和や対立、そこからの鎖国状態は彼女にとっては避けたい状況。

アイドル部崩壊に繋がるばあちゃるの失言のきっかけとなったコラボ相手の一人が犬山たまき。
引退した織田信姫もまた犬山たまきとのコラボを運営が阻んだからと運営不信を暴露していた。
面白い事に界隈の休止、引退、箱崩壊にはこのvtuberとの付き合い方が頻繁に絡んで来る。

これらが炎上したおかげでむしろ犬山たまきは「自分とのコラボを批判する側がおかしい」という大義名分を得た形である。

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批判する意見があればそれを厄介リスナーとして晒し上げる事で、コラボ相手から「自分との交流に文句を言うな」と言質を取り交流を肯定させるように導く賢さを持っている。

もちろんにじさんじの方針的にも外部との個人的な交流にストップをかければ確実に不信を招きもっと大きな炎上に繋がる。
この表面化しないリスクは「鳴神裁」と違って、運営方針として納得させられるだけの説得力が伴わない。
物申す系のような明確な敵ではなく、ただビジネス的に上手く利用してくる同業者というだけでライバーからは強い人望を得ている対象だけに難しい。
ただただにじさんじにメリットの薄い、リスクある場を提供して得をするの同業者という存在。
誘われる限りライバー達は気を良くして付いていくしか能がなく、リスクを避けるには本人達が意識して距離を置く以外に対処方が無い。

Vtuberが好きで、犬山たまきが好きな彼らライバーが自主的に改める事はなく、その気付きのきっかけはファンの声以外に無い。



ここからは私自身のぶっちゃけノリ。
半信半疑で見るか次の目次まで飛ばしてもらっても構わない。




※9月26日、上記文章の一部を改めて見直した所、根拠に欠けた部分があり、誹謗中傷に該当する部分もあると独自に判断した為削除しました。
 
※同業者同士のコミュニティに潜むリスクの一つ。
この周辺での配慮に欠いた失言をするライバーの多さ、同業者が頻繁に相談しているという供述、有力な企業勢と個人勢が入り乱れて頻繁に出入りする場にはどこから誰ともなく内部情報が漏れ出すリスクがある。という話。
これも書いてあるが犬山たまき個人はにじさんじやホロライブに潰れてもらっては困る立場。自分からそのような事はしないと推察できる。
この項で重要なのは積極的に誘いを掛けてくるような同業者とのリスクあるコラボの場に身を置く事に対して、ライバー側はきちんと自制が出来るのかという事。にじさんじ側がしっかりしていれば問題がない。
そこに信頼が置けない。
夢追翔のように踏み外す例を見れば信頼出来ず、リスク管理が出来ないライバーには荷が重い。
個人的な"嫌い"という感情を優先して綴った部分に関しては、それでもライバーにとっては関係がないという次の項の話へ。

※8月1日追記

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にじさんじの"やべー奴"「文野環」が犬山たまき→因幡はねるへのルートを経て外部コラボを増やし、コラボ中の発言や立ち振舞に対しての謝罪をしていた事も完全に予想出来た流れだろう。
やべー奴を期待される空間に放り込まれて周囲からやべー奴を期待され、羽目を外す。

外部がにじさんじライバーを発掘してくれるだとか、アピールして売り出してくれるならともかくだ。
彼らは基本的ににじさんじ内で既に目覚ましい活躍をして広く認知されているライバー達を話題性目当てに扱う。
即ち誇張された属性が取り扱われる。
"やべー奴としての文野環"しか期待されていないような企画。

このコラボで文野環に対して「外部コラボなのだから相手のファンにも配慮するべきだった」と批判されているようだが、私はコラボ相手の外部も同様ではないかと思う。
文野環はやべー奴なだけのキャラクターではない。
彼女が何故やべー奴として認知されたのか、文野環のキャラクターとしての魅力や箱の文化にファンの性質も把握せず、ただVtuber界隈で大手の箱の人気者だから許容されるであろう目算を前提にして動かす。
文野環のやべー奴という属性にしても"にじさんじのやべー奴"という認知でしかなく、にじさんじという集団から外れた場所で身内のそれと同じようにやべー奴のノリをしてしまえば当然反響は変わってくる。

コラボ相手の集客力を利用する上で当然あるべき、通常より遥かに多い人数に見られるという事のリスクに無頓着。
大手のにじさんじだからこその叩かれ易さや、直ぐにやり玉に挙げられる環境をこの手の企画では考慮してはくれないのだ。
コラボをしても直接その厄介なファンや箱の文化に触れていない。という点で外部の連中は無責任である。

あるいは百戦錬磨の自分が成り上がる為には多少の批判には耐えられるからという心持ちだろうか。
だがにじさんじライバー側は必ずしもそうではない。
外部コラボでやらかして批判されることで風評被害を食らい今後の活動に影響を及ぼしたり自粛するような事態になる。
外部コラボでやらかす。という負い目と追求は大手の箱としての認知度やリスクが違う為に企画者側が想像するよりも重く伸し掛かる。



~仲間意識に沈む泥舟~


犬山たまきや因幡はねる然り、にじホロ大手周辺のvtuber達は自身が生き抜く為にこの界隈にあるvtuber=仲間という意識を上手く利用する。


かつての「PUBG最協決定戦」という大会にて、"チームかがちゃむ"の「青猫えいむ」というvtuberが優勝して多少荒れたことがあった。
大会のレギュレーション違反ではないかと思われるくらいに圧倒的な戦績を誇る事とそのデビュー時期が大会直前だったからである。
後日、彼は所属するVGamingの運営から八百長を依頼されたと暴露された。※本人はこの八百長を断りVを引退している。

VGaming運営はこの大会で所属Vを活躍させて泊を付けることで成り上がろうと画策したのだろう。
にじさんじが目玉となるイベント事でこれを引き立て役に目立とうとする外部というプランニングは珍しいものではない。

今年もAPEXにその舞台を変えて最協決定戦が開催される。

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出場参加者一覧を見れば当然ながらにじさんじ率の高さに注目が集まる。
もはや最近のにじさんじ内の大会よりも豪華なのでは?と思えるくらいには人気の高い面子が揃っている。
対称的なのがホロライブ。
今やにじさんじを超えたと言わしめるこの箱からは、APEXの上手い湊あくあや常闇トワ、勢いのある3期生4期生などの人気のあるメンバーは出さず「夏色まつり」「ロボ子」「百鬼あやめ」のみという布陣。

こうしたホロライブ女性陣が低コストで済ます一方、
所属メンバー11人中7人が参加しているホロスターズ率の高さは露骨だ。
界隈のお祭り事に際してはにじさんじに盛り上げ役を任せて、ホロスタが活躍すれば良し。
だが自分達の客(ホロライブの主力の数字)は絶対に外部に渡すまいとするホロ陣営の巧みな戦略が伺える。

別にこのイベントにケチを付けたいわけではない。
にじさんじ視点で見れば間違いなく面白く、盛り上がるだろう。

ただ同じく成り上がろうとする周辺のvtuberの腹積もりは大差がない。
今大会の直前にタイミング良くデビューしたe-Sports系に特化したvtuberグループがあった。

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出場選手の中でも最高戦績である平均キルレート1000といわれる香月ネロが所属するvtuberグループ。
これら紹介文に燦然と輝く「前世がプレデター」という宣伝文句にはもはやvtuberに対しての本気度は何も伝わってこない。
大会直前になってプロレベルがVのガワを付けて殴り込み、活動実績も浅いのに堂々とvtuber代表面で勝利を掻っ攫っていくプランは前大会での「青猫えいむ」を思い出させる。

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「ガワを付ければ"Vの中で一番"という称号が簡単に手に入るから。」
「大手に売名出来るから。」
ただvtuber界隈にあるFPSブームの需要をムシャムシャ食べたいだけに見えてしまう。

このような「ただV化して見ただけの存在」にはもはや期待出来ない。
以前にバーチャル化して話題になった「馬犬」などもその場のノリでV化して見たは良いものの、彼らは根本的には本気ではなく前世の杵柄を見せびらかすのみだ。
表現者としてこの界隈に骨を埋めるつもりはないのが見え透いている。
「Vのファンでもあるからちょっと顔を出してチヤホヤされて見るかな」程度の心積もりだろう。

これらの交流がないvtuber達までわざわざ"敵"と誇張するつもりもないが、
バーチャルを名乗れば仲間という界隈の身内意識は付け入りやすい性質を持つ。

実際にじさんじ側に友好的且つメリットにもなるような関係や打算の見えない関係性は限られているように思う。

例えば「周防パトラ」などはにじさんじと付き合いのあるvtuberでは珍しく界隈視点の発展を願っている一人だろう。外部の企業に所属しながらも、時には無償で外部の為にその才能を振るう事もあった。
にじさんじが声優として参加する事が発表された電音部というコンテンツでも一歩引いて目立たないクリエイター側の立ち位置で参加している。
コラボをしても別の箱の文化にズケズケと立ち入るほどの厚顔無恥な姿勢は見えず同業者としての弁えた付き合い方に留まっている。

他には勇気ちひろと親交が深く、彼女の耐久企画に付き合ってメンタルを支え続けた「杏戸ゆげ」のようなパターンもまたAPEX以外の領域にぶしつけに踏み込んで来ないという点で外交への奥ゆかしさを感じさせる。
楠栞桜などはあちら側も利用するし、こちらも利用出来たパターンか。
20万を超えても奈羅花等とコラボしてくれるかどうかは判らないが。

vtuber甲子園の決勝戦の配信枠を直前まで案件である事を伏してREALITYに売り渡し、外部との抱合せ案件コラボを行う天開司の事などはどうなのだろうか。MonsterZ MATEなどあの周辺には特有のハイエナ的意識が十分に感じられる。



気軽に始められるのがvtuber。気軽に仲間に馴れるのがvtuber。

興味がないvtuberで溢れたこの界隈に対して、それでもみんな仲間だ。と言い張り距離の近い文化性を維持し続けるのには相応の不快感や衝突が予期される。

そもそも論だが「Vtuber」というだけでこれほどまでに距離を近付ける事に疑問を持つ。

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度々”Vtuber同士のリプにその他が割り込む事の是非”が問題にされているのを見かける。
会話をしている当事者、知り合い以外の部外者が割り込みリプをする事を指して、ツイッター利用者としての当たり前のモラルの問題を批判されるというだけなら納得だ。

しかし”vtuberと名乗れば割り込んでも良い”という謎の特別措置がどうにも解せない。

Vの者とは一体何なのか。

ただの視聴者だろうが「vtuber準備中」とでも騙ってyoutubeチャンネルを開設しておけばその時点で”界隈のお仲間”というガバ認定。

クリエイターがガワを被ればvtuberとしての実績が浅くても厚遇される。
挙げ句界隈の仲間として遊びたいが為にvtuberを名乗る者が出始める。
頭に「バーチャル」を付けただけの存在を誰彼構わず安易に特別扱いして仲間だと認める文化は配慮を損なう。
V同士の関係性は必ず肯定されるべきという身内意識は閉じコンに繋がる。

いやvtuberだからって割り込みリプされたらうざいだろう。
良くわからないvtuberが突然仲間面して来られても邪魔。
急にセクハラしてきたらそのvtuberを知らない見てる側は不快でしかない。
裏方スキルがあろうが演者としての能力に乏しい人がバーチャル名乗ってコラボに出てこられてもつまらないだけ。

と思ってしまう。

ただvtuberを名乗ればみんなが仲間という当人同士のルールに甘えて本来あるべき一線、その垣根を超えて入り込んでくる同業者達。
宇宙船vtuber号は資源の奪い合いだ。
仲間面をしながら本当に仲間としか思っていないのがにじさんじ。
仲間面をしながら相手の仲間意識を利用する者が得をする。

これはただのにじさんじ原理主義者としての意見になるだろうか。
「もっと視野を広げて他のvtuberを見よう」と言われそうだ。

見た結論がこれだ。

視野を広げればvtuber、この界隈にはろくでもない事が多すぎると知った。

vtuberが好きだったからいろいろなものを見過ぎた結果、そのすべてを好きになんてなれないと思った。

黎明期のように新しく誕生するvtuber全てを認知しながらも、その熱に浮かされて全てを好きで居られるような状況が珍しかっただけなのだろう。
優しい界隈の中で全てのvtuberが手を取り合い、運命共同体的的に界隈の発展を願う宇宙船vtuber号は幻想だ。
「自分だけは、」と出し抜く者が得をするのが本来の界隈の姿。


あの時期はただvtuberを知りながら、嫌いになるような事を知らなかっただけという事。
"最終的には好き嫌いの問題になる"というのは何て事はない当たり前の話だろう。

しかしそうなってもこの界隈は、
”好き嫌いがあるという当たり前を無視する”

どれだけvtuberが増えて視聴者側が認知出来ない状況になっても界隈の仲間だからと、その全てが好きであるような状況を理想として押し付けている。
界隈の仲間意識に拘りすぎた者達による「こいつらは仲間だから全てを受け入れろ」と迫る文化。

ファンが知らない者でも仲間扱いして、
嫌いというファンが知った感情は無視する。
vtuberに対しての無償の信頼と仲間意識は見る側の視線や感情を置き去りにしている。

「友達付き合いに文句言わないで!私の好きな仲間に悪口言わないで!」

だが仲間であるvtuberを名乗る者たちは増えていく。
これらを同じ界隈の仲間だからと警戒せずに家に上げる。

「いや君の仲間と友達の数多すぎない?」
「こちらが許容しないといけない相手が多すぎない?」


バーチャルを名乗れば楽に仲間扱いされるものだから配慮を欠いて好き放題に暴れる者達が出始める。
その度に思う。

「邪魔だなぁ。」


つまり、
どこまで自分の嫌いが増える事に耐えられるかのコンテンツ。
同じ界隈だからと言うだけでその全てを好きになれる者であらねばならない。
耐えきれなくなった者から脱落していく。

だが"嫌い"は人それぞれだ。

先にじさんじを知っていなければホロライブのやり方に対しても不信感を覚える事は無く全肯定出来たかもしれない。
逆にホロライブから先に見る立場なら、にじさんじが悪いと思う事も多いはずだ。
私が犬山たまきから見始めたファンならば外部を集めて地雷原を走らすコンテンツを見ても何もリスクには感じない。
いろんなvtuberを企画に呼んで、共に界隈の発展を願う優しい同業者に思えただろう。
今になってvtuberを見始めた人なら四天王への神聖視やリスペクト精神は薄く、生配信メインになった界隈を嘆くという視点も持ち難いはずだ。

自分が好きなvtuberや、ファンとしての立場によって印象や受け取り方は変わる。

私はVtuberからにじさんじに入り広く見た結果、その全てを好意的には受け容れられないと思った側だが、逆に今はVtuberを知らずににじさんじから入ったという層が確実に増えている。ホロライブなども同様だ。

「その箱のそのライバーが好きなだけでVtuber?界隈なんてものははどうでもいい」と最初から仲間意識などは別に持っていないファンが増えている。

ライバー達がいつデビューしようが同じ界隈の仲間である、と思い込むのとは対象的に、ファン側は見始める時期や対象によって全く異なる推し意識を持つのである。
これでは衝突して当然だ。


ホロライブが任天堂の許諾の件でヘイトを買ったのは、にじさんじの隣に来て大手を振るって黙認ベースを見せびらかすような真似をしていたからというのが一因だろう。
この距離の近さが「それに比べていちからは許可取りが遅くて無能だ」と比較を生んだ。「何で同じゲームばかりしているんだ」と言われた。

先に述べたようにこのような界隈での対立軸によって得をするのは基本的にライバル認定からのマウントを基本戦略に出来る外部であり、いつまでも仲間意識で見ているだけのにじさんじにはデメリットが大きい。
だからと言って、のほほんと仲良しムーブをするのもまた第二のホロライブが出現してハイエナに利用されるだけの関係性が量産されるだけだ。

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ならば近すぎる距離を離せば良い。
vtuber同士でも界隈の仲間だからと甘えずにしっかりと節度を守り、距離感を保つ事で衝突を緩和する事は可能だ。
この典型例とも云えるのがアイドル需要の確保の為に男性絡みをシャットアウトする者達である。
自分を好きであるファンが、嫌いそうな相手を避けるという自衛措置。
登録者や同接格差によってコラボする相手を選ぶ事もその一つ。

土足で踏み込んで来なければ、踏み込ませなければ嫌いになる事は少ない。

適切な距離を保っている声優、歌い手、YouTuberとの間にはここまでの衝突や比較議論は起こらない。
同じようなグループ活動をしていても誰もお隣さんという感覚を持っていない「浦島坂田船」や「すとぷり」とはファン同士で対立する事がない。



「にじさんじとホロライブには対立して欲しくない」
「コミュニティでのファン同士の対立が邪魔臭い」

ならば両者がその距離を離す事で問題はある程度は解決出来る。

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どっちが強くて、どちらが正解なのか。という衝突やファン同士の対立。
あるいは隣の箱のようにここをこうすれば良いのに、という不満や提案。

それもこれも登録者数や生配信の最大視聴者数という判りやすいyoutube上のデータでは隣のホロライブが勝っている事が増えたからだろう。
ただ箱としての力はそれだけで測れるわけではない為、どちらがどうとは本来言えないのが真実だ。

恐らく今のにじさんじはその運営方針からしてもライバーのスタンスにしてもだが、ホロライブ程にはYouTubeや生配信に特化する道を選んでいないと思われる。
上位ライバー達も別方向での仕事が増える事で当然生配信に割けるリソースが減ってしまった。
ホロライブと違って専業の割合や、その人生の全てを配信業1本に捧げようとするタイプは少なく最初からそういった人間を多く採用して来た。

だが両者を比較する人の多くがそんな事を加味しない。
家は内、他所は外ではなく、お隣さんだからと同じ基準で比較される。

例えば3Dにしても配信頻度にしてもホロライブが高いだけで、にじさんじは低いわけではない。
けれど基準の一つにホロライブがある為に劣っている点が浮き彫りになる。
元々にじさんじ側こそが今のホロライブのように生配信による強さやその話題の多さで他の案件主体の企業勢や動画勢の上を行き、最も勢いのあるvtuberとして見られていたのだからこう見られる事は仕方がない。

私も当然過去の記事で加味せずに比較した。
YouTubeの数字や生配信という舞台だけで比較されてvtuberとしても箱としても勝ち負けの優劣は付けられる。
それが今の界隈だ。
にじさんじがそのような界隈に変えた。
尚且ライバルのホロライブと近付きながら交流をはかって塩を送り、比較によって蔑まれ易い不利な状況に自らを追い込んだ。という点はにじさんじの失態だ。

だからこそ比較と衝突を嫌がるファンやライバーが居るならばこの距離を離すべきだろう。
生配信に特化して絶対に主導権を渡すまいとするホロライブに対し迎え撃って、何が何でもYoutubeの配信で勝つ、という戦略を今のにじさんじは取らない。
ならば確実に負け続ける。

ホロライブはにじさんじに勝つ為に活動しているから勝つ。
にじさんじは勝負していないから勝とうとせずに負けて握手をする。

にじさんじとホロライブどっちが勝つの?とだけ言われたら私はこう答える。

そもそものライバー側にはその気がなく、運営に「やれ」と言われたら引退するか不満を爆発させて炎上するだけだろう。
こういった方向性の違う箱が比較されてしまうのもまたこの界隈の距離の近さ故だが、それによって生まれた対立軸に対してもライバー個人は実感を持てずに感知出来ていない。

本間ひまわりの切り抜きで、
「Youtubeでは最近ホロライブ8割で見ている」
「好きな配信を見れば良い(最近ホロライブに浮気しているというスパチャへ)」

という発言をした際に荒れていたのはこの辺のズレが原因だろう。
本間ひまわりとホロライブはあまりコラボや直接的な交流をしておらず、それこそ一定の距離感を保っている部類の関係性だ。
恐らく彼女はホロライブとヒカキンを同じような扱いで見てこの発言を行ったのだろう。
「きまぐれクックを見ている」と言った所で荒れる事はなかった。
この発言もそのノリでしかない。

しかし他のにじさんじのライバー達と積極的な交流を行う事で、箱としての彼我の距離は本人も知らず知らずの内に詰められ、狭い界隈の認識から対立軸が形成されていた。
怒っている人は「この状況でライバルを見ているなんて裏切り者!」とでも思ったのだろう。あるいは野次馬にこの対立感情を利用された。


にじさんじに仲間アピールして養分に出来る界隈は楽だ。
にじさんじをライバルにしておけばその対立感情は利用出来る。
という環境が変わらない限り、ライバーを取り巻く状況はストレスに満ち溢れたものになっていくだろう。
界隈の同業者を仲間扱いして、優しくしてるにも関わらず不利を押し付けられる形になる。

様々な勢力とのお付き合いが避けられない以上、にじさんじは負の感情の矛先であり続けライバーもリスナーやそのコミュニティもまた界隈での立場に囚われ続けて摩耗していく。


なら外の方がマシという提案。適切な距離を測る事と鎖国は違う。
距離感を保ったままのコラボとして界隈の外という選択肢がある。

界隈の外の活動者達やそのファン達からすれば、にじさんじの知名度は界隈の中ほどに高くない。

"にじさんじへの評価が外部では通用しない"
これは何も悪いことばかりではなく、その習性もまた知られていないという点で弱みを回避出来る。
界隈が違えばまだライバルだとは思われず、甘っちょろいお花畑集団だと見破られて舐められる事もない。
互いに知らないからこそ「vtuber同士(身内の仲間)のコラボだから多めに見てね」という界隈に依存した甘えは許されずにその関係性には節度を持った対等な付き合い方が求められる。
気を引き締めてコラボに取り組む事は、案件的なビジネス意識も持ちやすく単純な馴れ合いにも落ちにくい。

また、界隈の外の存在には意識的にアプローチをしなければ届かないという点で、にじさんじ側にも一定の自発性が求められる。
叶などが度々プロゲーマーを呼んでコラボをすると、通常よりも多くの人が集まるのは、別界隈のプロフェッショナルに対しての期待値があるからだ。
仲間意識に沈んだvtuber達との間では見られない”ガチ感”が新鮮に映る。

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「叶」や「不破湊」などがコラボをした人気歌い手の「そらる」「まふまふ」「天月」などはフォロワー数100万クラスの格上だ。
彼らにもにじさんじへのハイエナ的意識はあろうとも、はっきり言ってこの狭いVtuber界隈でただ養分となるだけのコラボとはレベルが違う。
こうした出会いの場が外の世界には広がっているのに、Vtuberというだけの関係性に縛られるのは勿体なさを感じてしまう。

プロフェッショナルと言えばそれこそ社築とKONAMI専属のプロゲーマーDOLCE.氏とのコラボなどは今後にも繋がる実りある関係性ではないだろうか。
「界隈の仲間だからコラボしましょう。」ではなく、vtuber社築の得意とするコンテンツが別の界隈にまで届いたという証明だ。

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こういった界隈外での自発的なコラボであるならば、界隈の内のみで行われるただの誘われ待ちで寄生されるだけのコラボとはまた違った展開も期待できる。

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自己のコンテンツにプライド持っている界隈の外の表現者達は、Vとしての同族意識に飲まれたコラボをしない。
その場で「今度APEXで遊ぼうよー」などと見え透いた外交トークは必要とされず、vtuberに囚われた人々との交流では得られない専門性の高い体験やコネが今後に繋がる可能性は十分にある。


~まとめ~

今のにじさんじの仲間意識を起点にした問題というのはぐるぐると巡り巡って箱のシステムに欠陥を生じさせているように思える。

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元々にじさんじが敵視され易かった界隈。
だがここまでにじさんじが強いとなると周囲のvtuberはその人気を利用する側に立つしか無かった。
そういった明確ににじさんじをターゲットにし成り上がる事を目論む外部に対しても、にじさんじはライバルと思わずに仲間という認識のままで付き合い続けた。

ライバル意識の欠如は外交下手と同義。
受け身の外部コラボによって客は流れ、外部の推しを作り時間を費やす事でファンの視聴時間は圧迫される。
にじさんじに費やせる時間の低下は余計に新人や下位ライバー達も伸び難い環境を促進させた。
兼任ファンの多さ。外部を含めて他に見る対象が増えた今、何かやらかせばすぐさま見限られる。
外部を知ることで比較され易くなり、めんどうな家の子よりも美化されて見える他所の子に目移りする。
こうしたより良いものを選び取るという取捨選択が進む流れは、上位ライバーと下位ライバーの格差を更に広げる。
今のにじさんじは「同じ箱だから」というだけで見てくれるような共有ファンの割合は少ない。
「同じ箱だから全員が仲間」ではなく、もはやファンは上位のユニットや狭い範囲のグループでしか見ていない者が大半だ。
だからこそ、新人や知らないライバーが当人同士の仲間意識に甘えて無礼を働く事を許せない人も増えた。

このような内ゲバの加速からにじさんじ内でのローカルルールや制限は日に日に増えていく事となり、余計に格差があるライバー同士のコラボが滞るという負の連鎖が生じている。
しかし外部はそういったにじさんじの不文律を超えて来る事が可能なままだ。
にじさんじ内でのコラボが煩わしいならば外部という逃げの選択肢にたどり着き易くなる。
消極的な逃げのコラボは外部からすれば格好の餌。
界隈の仲間意識を餌にしたハイエナが周囲に増え、自発性に欠けるにじさんじライバー達は集客要因や引き立て役に落ち続ける。
その関係性を良しとしている限り、にじさんじが外部を利用する側に立つ事は難しい。

やはりにじさんじの人気はにじさんじから作らなくてはならないだろう。
その根底にあるのコラボや関係性を得意とする箱のシステムに欠陥を生じさせてしまっているのが今。

箱感の喪失-ページ4 (2)


書いていて改めて思ったのはにじさんじライバーは受け身でクレバーさが足り無いなって事とこの界隈はにじさんじが消えたらどうなんだろっていう。
こういったおおらかな活動スタイルが良い所でもあるんだろうけど、外交に対して弱すぎるのが杞憂案件。
何よりライバーが優しくて良い奴でも、ファン同士のギスギスや対立が酷いという問題。

次回は統合後の変化を中心に、何故EXゲマズなどがグループとしての価値をここまで保てているのか?という所から統合後が失った判りやすい独自色。グループ推しという概念について。
今のにじさんじの閉塞的な環境と所属コミュニティによる優劣の話。


▼私が過去に投稿したにじさんじ文化論へのリンク▼

にじさんじ文化論「馴れ合いの増加、低め合う関係性」
にじさんじ文化論「ライバーとしての自覚の無さ、優しさという武器」
にじさんじ文化論「男性ライバーの活躍と女性ライバーの弱体化」
にじさんじ文化論「新人は男性3人組。アイドル売りの難しさ」
にじさんじ文化論「ホロライブは最強で最悪のライバル?」
にじさんじ文化論「イベントや案件中心の是非。ゲーマーズ人気の環境」
にじさんじ文化論「炎上の予兆。好感度の大切さ」



▼コメントへの補足▼

犬山たまきについて


(続き)以下は犬山たまきとコラボしたにじさんじライバーの
「普段のソロ配信の同接中央値(今月)→犬山たまきとにじさんじライバーのコラボの同接」です。
6月3日 戌亥とこ 8379→17396
6月5日 竜胆尊 4284→11304
6月21日 笹木咲 13312→19278 
7月4日 椎名唯華 6806→14827 
7月10日 樋口楓 2943→14460
7月17日 竜胆尊(二回目)4284→10315

いずれの配信でも、普段のそのライバーのソロ配信よりも大幅に同接が出ていることが分かります。
サムネイルもそうですが、犬山たまきのコラボ配信は初見に向けてそのライバーの魅力を分かりやすく紹介するような構成になっており、彼とのコラボ配信はにじさんじのライバーにとって「新たに普段配信を見ていない人に魅力を知ってもらえるメリットがある」と考える方が妥当でしょう。


犬山たまき側のチャンネルへにじさんじ側のリスナーを引き連れて来ているのだから当然ではなかろうか。
それこそ彼女の企画である「やべー奴がNG無しでチャンネルBAN?」という舞台には高い話題性や集客効果がある事は強く認めている。

これを見ると一番普段の同接からの上がり幅が大きいのは「樋口楓」
半ば番長キャラ的である樋口楓が接点の少ない相手とタイマンでコラボ。どうなってしまうんだ!という期待感は、果たして彼女を未だ知らない初見からのものなのか。それともにじさんじ側に既にあるものだったのか。
樋口楓の登録者はこのコラボによってどれだけ増加したか。

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一定であり変化は見られない。

このコラボのラインナップ自体が既に界隈で広く周知されている、にじさんじからも認知度の高いライバー達。
今更犬山たまきを経由して新規が増えるという効果はさほど多いようには見えない。
どちらかといえばこのデータではにじさんじリスナーは素直に外部を見る為、にじさんじとのコラボは相手に対してのメリットが大きいという事の証明になっているのではなかろうか。
数字的なメリットを語るならば、にじさんじライバー側のチャンネルで犬山たまきを呼んでコラボした時の同接、このコラボの後に各ライバーの同接がどうなったかという方が重要視するべきだと思われる。


そしてこの記事で散々書いてある事だが、にじさんじライバーにとって仮に犬山たまきやホロライブとの相手枠でのコラボがチャンスの意味を持とうとも、それを満足に活かせていないというのが趣旨の一つ。


樋口楓、そして竜胆尊などはこの前後ほぼソロ配信を行えていないのが現実。
だからこそ"実質的なメリット"は薄い。
「それは配信しなかったにじさんじのライバーが悪いだけ!」
だからそう言っているのだ。
にじさんじは同業者との外部コラボを自身の活動に活かす視点を持たない。という点で相手にメリットが大きくそのリスクだけが偏在化し易い。

コラボ時の数字だけで明暗定かになるものではない。
その後のにじさんじライバーの動きにこそ注目するべきではなかろうか。
犬山たまきとコラボをした事で、じゃあ次はのりプロの新人達にとコラボを仲介されて行くにじさんじやホロライブという流れが今当然のようにある。
犬山たまきを語るべき視点は既に個人ではなく箱を含むものになっている。
それも含めてのりプロ側に圧倒的に利が大きい。

何よりもこのコラボが多くの人に見られる場であればあるほどに、踏み外すリスクを最も強く指摘した。
「犬山たまきとコラボすれば売名になる。メリットになるからコラボはあり!」
だけで考えず、周辺でのぶっちゃけノリ空間での失言が頻発し、夢追翔という実例が出てしまうにじさんじライバー側の失態や自制心の無さも鑑みて欲しい。
まとめると、本来あるべきメリットは実際的なものとして反映されていない。であるならばそこにはリスクが残る。


予想が外れた件について

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まずホロライブ無敵論は相変わらず崩れないように思える。というかむしろ論を補強した形ではないだろうか。
どれだけ不祥事を重ねようともこの箱の数字は伸び続けている。という点で他のVtuber達の炎上とは状況が異なるだろう。
海外勢という言語やコミュニティ的な問題から不祥事にネガティブな影響を受けないファン層を抱え、最も印象的に悪いと思われる他社企業に対しての攻撃的な企業戦略が取り沙汰される事がないという点で、相変わらず致命傷を負っていない。
それこそYouTuberでもVALU詐欺疑惑の「ヒカル」などが未だ人気であるようにアナーキーな路線を取りながらも、コンテンツに一定の魅力が伴うならばそれを指示するファンというのは付いてくる。

ただ数字的に突っつく事があるとすれば箱の最大同時視聴者数のトップを飾る事になるのが新人の初配信というのは不味いのではないかと思った。
これは配信の内容に関係なく出てしまう数字の筆頭だ。
今のホロライブの既存ライバー達や、彼らが作りあげたコンテンツの魅力が、まだファンも少ない未知でしかない新人の話題性如きに負けているという事になってしまう。
面白さ等の内容と集客力が噛み合わなくなって来ている。

また強みである海外勢優先のスタイルは日本人視聴者を蔑ろにして溝を深めていく可能性はある。
5期生の収益化が通った直後に演者側の意向を無視して、運営が深夜帯(海外勢の時間)での収益化記念の歌枠を行わせようとした動きなどを見るに、何れは爆発する材料かもしれない。

この後無敵のホロライブが崩れるのかはどれだけまともで健常さを保った演者が居るのかに左右されるだろう。
この状況で情報漏洩をしたライバーに対して2週間の謹慎で済ますのがホロライブの体質。
クビや長期の謹慎で新人全体の勢いを削ぎたくない。
目先の人気や利益が優先。
演者側もこのスタンスを良しとして、あるいはホロライブの体質に染まって活動をする人ばかりならば無敵は続く。
炎上に耐えられるだけの一定の人気を盾に出来るのだから、その姿勢を改める事なくゴリ推しを続けるだろうこの箱とは現状深く関わるべきではない。

単純にホロライブが悪人というわけではない。
こういった清濁併せ持つグレーゾーンを利用出来る強かさというものは、YouTuber的業界ではある種の正攻法であり、この道で満足に勝負出来ないにじさんじには荷が重い相手だからだ。

そしてタイムリーに最近のVtuber界隈の炎上案件の多くが、同業者との付き合い方のリスクを浮き彫りにしている。
ここまで立て続けに起こるとホロライブだけではなく、外部の同業者との関係性についてもにじさんじ側は考え直した方が良いと思い始める人が増えるのではないだろうか。


最後に、
にじさんじ甲子園や3D配信での同時接続者数の増加。
素晴らしいコンテンツとそれに見合った集客力。
ARKの戦争然り、にじさんじが全力でファンを楽しませるために動いた時は強い。私がにじさんじを見続ける理由でもある。
だからこそ、全力を出さない部分での活動に落差を覚えて歯がゆさを感じるのだとも思う。

これは掘り下げて記事にするべきだと考えているが、私が掲げたにじさんじの問題点と最近のにじさんじの成功はそこまで矛盾するものでもない。
その点で注目するべきはにじさんじ甲子園が開催中の他ライバー達の方にあった。
にじさんじ甲子園で名前を使われているだけの配信と、本人がやっている配信が同時刻にあった場合にリスナーはどっちを優先してるの?という疑問。
お祭りやイベント毎があれば10万人超が殺到してくるのに、じゃあその人達は普段は他の配信を見ているのか。と
たしかににじさんじの気合を入れたコンテンツは面白いのだが、ハードルが高くなりすぎて、個人の配信が普段にじさんじのファンを満足させるものになっているのかどうか。
にじさんじはイベントを見る箱、にじさんじというコンテンツを見る箱になっていて、ライバー個人のファンにそれが上手く還元出来ているのだろうか。という懸念。
結局の所、今のにじさんじを支えるのは上位ライバー達であり、下位勢の上がり芽が見えて来ないという問題。

ただ目に見えて膨れ上がるにじさんじ全体の人気を前に、事実と反して意固地に「衰退論」とタイトル釣りに近い形を続ける事で、要らないフィルターがかかって見えてしまうのではとも思う。
今後は「にじさんじ文化論」とでもした方が良いのかもしれない。

衰退論は今衰退しているという事ではなく、衰退に繋がる問題がこれではないかという杞憂である為、「予想が外れて衰退しないから悔しい!」などと思う事はなくむしろ喜ばしい事だ。

月下カオルの件も同上である。
不安が解消されるならばそれに越したことはない。
あれだけツイッターを活用して、界隈の同業者への売名に勤しんだ過程をまるで無かったことかのように即日削除して消えてしまったのは何故だろうか。
引退ではなく、契約解除という不穏な幕切れ。
彼が同業者として気軽に受け入れるべきではないリスクを孕んだ存在であったという点では、あのタイミングで取り上げた事はあながち間違っていなかったのではないかと思う。



にじさんじが嫌われたのは、他の事務所に比べてキャラクターを「演じて」「育てる」という意識が足りなかったから、しかもそういう指摘に、つまり生主がガワを変えただけじゃないかという批判に対して何の対策もしなかったからではないかと思います。

そもそも今冷静に考えるならば当時のそれらは「生主」すら知らない人が「それまでのVtuberの規範」と違う路線に対して便利上「こう言えば風評を落とせるだろう」と「生主」と呼んでいたに過ぎない。

「月ノ美兎」、「樋口楓」の活動初期を振り返ってみても彼女たちはそれこそキャラクターを演じて育てるの典型例だ。
質問者は恐らく知らないと思われるが樋口楓は初期から「部活に励む女子高生」然として強固すぎるほどのRPを行っていた。
月ノ美兎もまた演じる事なくただリアルを垂れ流しにしているわけがない。
友達の話をすればそれが=リアルだ!生主だ!と言われたが、何故Vtuberには友達がいない事になっているのか不思議でしょうがない。

バーチャルな空間にはそのVtuberが一人でポツンと佇んでおり、周りにはスタッフくらいしかおらず、動画で見える範囲以外での生活臭が存在しない。
と言ったそれまでの「バーチャルのイメージに則していない」というだけであって、月ノ美兎や樋口楓というキャラクターは演じられている。

女子高生のギャップ売りであったり、サブカルトークにしてもファンの興味を引くものだけを厳選して発信する。
配信する時は嗜好を凝らして仕込みを考えてくる。
そういった「月ノ美兎はエンターテイナー」というキャラクターを作り上げたと言える。
それこそ宝鐘マリンが好きならば判るだろう。
今の人気ライバーには定番の「コメントプロレス」「ニコニコ老人会」「年齢ギャップ」をVtuber界隈でいち早く配信に取り入れて人気を博したのがこのライバーだ。

設定以外の付加価値、自分で新しいキャラクター性を付け加えて随時更新して行く事こそ魂ありきのVtuberが演じるという事であり、成長過程を見せるコンテンツの本領ですらある。

特筆するべきは彼女がにじさんじという注目を受けた箱のトップとして長年監視された状態にありながら今まで目立った失言、やらかしをしていない事
それこそ質問者のようにホロライブをメインに見ているのであれば、今のホロライブに対しての厳しい視線は煩わしく思うだろう。
これに近いものに晒され続け、それでも致命的な不祥事のきっかけを掴ませなかったのがにじさんじをブーム化させた象徴的ライバーの在り方だ。
鳴神裁のデマに対してのカウンターが見事に成立したのは、彼女が月ノ美兎を演じてこれまで育てて来た信頼の証に他ならない。

またIPを育てるという意味ではこれほど今のにじさんじらしい成果はない。
任天堂の包括契約、タレントを守るための誹謗中傷対策への施策。
質問者が意図するような悪い意味での「生主」として成長して来なかったのならばグレーゾーンを渡って話題性と人気取りをすれば良かったのだ。

しかし現実は他のVtuber事務所よりもにじさんじが先を行った。
ゲーム部、キズナアイなどは「ファンは演者側に付いている」事を軽視した。裏方の意向をVtuberに喋らせて反感を買った。
生主で終わらせない為の整備作りに励んでいたのはにじさんじであり、ホロライブなどはそこを怠った。
最初から完成形。最初から強い配信能力を持った人材をメインに登用する一方で、数字とお金の為になりふり構わないという生主気質を上手くコントロールする事が出来なくなった。


ですがにじさんじは配信者各々があまりにも個性的であるせいで、箱としての統一性が全くなく、「箱の世界」を構築するのに失敗してしまった、

箱の世界の構築に失敗していたら、にじさんじ甲子園という箱の名前を冠した企画に19万人もの人が集まらない。
にじさんじの箱としての世界は、男女混合であったり活動スタイルがバラバラな方に向いている事が噛み合う事による相乗効果にあると言える。

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