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日本人が解釈する「真面目」と国際社会で必要な「意思力」

日本人の真面目


日本人はよく外国人との比較で、真面目な人種だと思っている趣旨をよく聞くが、少し履き違えてる感がある。

レストランやイベントで順番待ちをする姿は日本ならではの光景で外国だと割り込みなど当たり前だったりする。

2011年の震災の時も同様に、食糧支給・炊き出しなんかで整列している姿もいい例だ。街中にゴミが少なかったり、国際試合で日本人がゴミ拾いするなんてことも一つの所以なのかもしれない。

そのほかにも、家庭では両親を、学校では先生を、会社では目上の人を敬い、言うことを聞いて生きるという儒教的な考えも入っており、比較的中央集権的な社会の作法や振る舞いを人生の早い段階で叩き込まれる。

社会に出ると、日本ではビジネスマナーとかいうのを社会人になったら教えられ、社会人として「あるべき姿」という新しい概念をトレーニングされる。

これが、日本人がよく解釈する「真面目」なのかもしれない。


意志のなさが真面目の根源?

一方、公共交通機関乗車中には妊婦の人や老人、体が不自由な人にはあまり譲る光景を見たことがない。これはどう解釈するか人それぞれであるが、一つは周囲に目を向けられたくない内向的な理由があるともうが、日本人の「意志のなさ」がモロに出るシチュエーションじゃないかと思う。欧米圏とかだと都市によって安全でない交通機関も多く存在するが、困っている人には声をかけて譲ってあげたりはよくある光景。

そのほか、公共交通機関やお店の出入り口の狭いスペースで退いて欲しい時は、日本だと相手を押したり当たりそうになっても知らないふりの人は多いが、欧米だと声を掛け合うのでそういう事は起きない。あら不思議。

ビジネスマナーもそうで、メール冒頭に入れる拝啓や敬具、季節の挨拶なんかの定型文は相手の気持ちを考えていると言うより、ただ単に相手の興味がなく思考停止しているだけのように感じる。本当に相手に興味があるなら、すぐにその人が夢中なことの会話をしたいはず。

要するに、日本人の真面目は「自分の意志」で判断して善意で行動すると言うよりは、何も考えずに周りに流されているだけってことになる。

言われたことを言われた通りにやる。規則遵守による自身の行動の正当化。周囲の顔色を伺って同調する。こういうのは本来の真面目とは程遠いと感じる。

本質的な真面目とは?


真面目に対応する英単語を教育現場ではよく「honest」と翻訳するが取り違えになる。
Cambridge dictionaryには、「telling the truth or able to be trusted and not likely to steal, cheat, or lie:」とある。
つまり、人を騙したり出し抜いたりしたりすることなく、相手に信用されるために真実ををそのまま伝えるとある。知らないふりや無関心は論外。

つまり本来の解釈を整理すると、日本人の真面目は 「honest」ではなく、「obedient(順従)」が適切な言葉となる。

ここで詳しくは触れないが、「自分での意思」で善悪を判断し真の真面目な人が社会に増えてくれれば嬉しい気がする。

少子高齢化・労働人口減少の今、こういう価値観を持てば社会全体の生産性も上がり、国際社会で日本が再起するチャンスはあると思う。

Bye

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