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『ファナティック ハリウッドの狂愛者』ジョン・トラボルタへ愛をこめて

『ファナティック ハリウッドの狂愛者』でジョン・トラボルタは2019年のゴールデンラズベリー賞 最低主演男優賞を受賞したらしい。一体、アメリカ人はこの映画のトラボルタの何が気に入らなかったのか? 「こんなのトラボルタじゃない!」とか「こんな映画はファンを侮辱しているだけだ!」みたいな理由なんだろうか。ぜひ受賞理由を知りたい。

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僕の観た『ファナティック ハリウッドの狂愛者』は、とても狂気に満ちて、そしてなんともハートフルな気分になる不思議な映画だった。ジョン・トラボルタがラジー賞? とんでもない。少なくとも映画秘宝の年末のベスト10にはランクインしてしかるべき素晴らしさだった。

トラボルタ演じるムースはハリウッドで大道芸をしながら日銭を稼いでは、せっせとオタ活に励んでいるカースト最底辺に属する男だ。日々バカにされ、虐げられ、それでも純粋に「好き」をエンジョイしている。彼には悲壮感は無い。なぜなら彼は自分が楽しいこと、自分が好きなことの為に生きているから。彼はとても純粋なのだ。

だから彼にはリアというカメラマンの女性が親友として寄り添ってくれ、時に生活資金の援助までしてくれている。路上で虐められる彼を心配して守ってくれる警備員のおじさんがいる。プレミアグッズを半額以下の信用払いで売ってくれるショップ店員の友人もいる。

彼、ムースは純粋で善良で真面目な気のいいオタクおじさんだ。

そして純粋すぎるが故に暴走してしまう。

大好きな、敬愛して止まないハリウッド俳優ハンター・ダンバーが来るというパーティに親友リアの手引きで侵入し、サインを貰おうとするが「彼は今日は来ないわよ」と話しかけたセレブに言われ「なんでだ!来るって言ったのに!」とブチ切れる。そして追い出される。

ハンター・ダンバーが友人のショップでサイン会を開催するというから参加するも、目前でトラブルが発生してしまいサイン会が中止となる。それでも「僕はあなたの大ファンです。サインをください」と詰め寄ってダンバーに罵倒されてしょんぼり引き返す。

周りはそんなムースを慰め、無茶なことはするなよと諭す。ただ、彼は純粋にサインが欲しくて仕方ない。彼は自分の存在をダンバーに知って貰いたくて仕方ない。一見、日々好きなことの為に生きて楽しそうなムースだが、彼の潜在意識の底では自己肯定感が低く、それゆえ承認欲求が肥大化していく。

自分の生活する場所から離れていない、手の届く距離にハリウッドセレブは大豪邸を築いて生活している。同じ空気をムースとダンバーは吸っている。家に行けばダンバーは会ってくれるはずだ。ダンバーは僕の愛を受け止めてくれるはずだ。僕を認めてくれるはずなんだ。

途中、親友リアのモノローグで「境界線」という言葉が出てくる。踏み込んではいけないラインとしての「境界線」のことではあるが、この映画を観る上でも「境界線」がある。それは「何かを熱狂的にファンとして追いかけたことがあるかどうか」だ。

ハッキリ言ってムースが侵していく数多の所業に感心はしないし、感情移入して「いけ!いけ!」なんて気持ちにはならない。だが、不思議と無茶苦茶なことをしていくムースを軽蔑して気持ち悪いストーカー野郎だと短絡的に切り捨てる気持ちにもなれない。

ムースの所業は完全に犯罪だし、最低だし、最悪なことになっていく。だけど何時しかそんなムースの気持ちにどこかで小さな共感が芽生えてしまう。それは僕もムースと同じように「好きなこと、好きな存在」があり、時に熱狂的になる瞬間があるからなのかもしれない。

映画も終始、ムースの視点で物語が進む。凶悪なストーカー目線で進行していく。普通、そういう映画は陰湿で恐ろしい「悪」の目線になるものなのだが、監督たちもムースをただの凶悪なストーカーとして短絡的に切り捨てて追っていない。やはり彼らも終始ムースに寄り添って見守っている。

ムースが途中『SAW』の有名なラストシーンを真似て「ゲームオーバー!」と笑ってはしゃぐ。ジェイソンの覆面を被ってナイフを振り回す。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』を観ていないのかと怒る。

僕らはそんなムースが愛おしくて、だからこそ「無茶しないで」と親友リアと同じ気持ちでハラハラしながら見守るようになっていく。そしてハラハラしながらも、ムースが小さな目的を達成していく度に微笑ましく思ってしまう。

1個だけネタバレをします。どうしても堪らなく愛おしくて笑ってしまったシーンがある。

ダンバー宅に不法侵入し、ムースは疲れ果ててソファで深い眠りに落ちてしまっているダンバーの額にキスをしながら自撮りをする。ダンバーに毛布を掛けて満足そうに微笑むムース。普通ならそこで満足して帰る。だが、次のシーン。朝になって眠っているダンバーから右へカメラが移動すると、同じように気持ちよさそうにソファでムースが眠っている。

「バカ!なんで帰ってないんだよ!なんで一緒に寝ちゃってんだよ!」映画を観ていた全員がツッコんだはずだ。もう、コントである。

僕らは無意識にムースへ寄り添っている。そして、ムースを応援していく。世の中がコロナ禍でなければ、以前と同じように映画を観れる状況だったなら、僕は「ムース応援上映会」を開催して欲しかったと心から思う。

「ムース無茶するな!」「ムース危ない!」「ムースがんばれ!」「ムースお前は独りじゃない!」「ムース気を付けろ!」「ムース騙されるな!」「ムース!ムース!」そうペンライトを振りながら叫んで劇場のみんなとムースを応援してみたかった。

魂の救済をみなで祝福したかった。あと4DX上映でムースの挙動に合わせて前後左右に揺れながら観るなんて企画も夢みてた。

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パンフレットを読むとムースを怪演したジョン・トラボルタは、最初ハリウッドセレブ役で出演を打診されたが「ぜひムースをやりたい」と直訴してきたらしい。思えばトラボルタは時代ごとに僕の心に確かな存在を刻んできた。『サタデーナイトフィーバー』『パルプフィクション』『ヘアスプレー』などなど、毎回ジョン・トラボルタは驚きと共に最高のキャラクターを演じてきた。

『ファナティック ハリウッドの狂愛者』もまた、新しいジョン・トラボルタが僕の最高を更新した。このトラボルタのどこが最低主演男優なんだ。この映画のどこがラジー賞なんだ。こんなに純粋な愛に溢れたストーカー映画は前代未聞じゃないか。「ホラー映画にしては中途半端?」だってこれは「魂の救済映画でしょ」

そして僕にとってジョン・トラボルタは毎回が最高のトラボルタだ。


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