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”フランスの英雄”ナポレオンについて

こんばんは。先日イタリアのミラノとヴェネツィアに行った際、両都市の文化が”フランス”のナポレオンから強く影響を受けていることを知りました。

イタリアがフランスに戦争で攻められて支配下に置かれた際に、両都市(当時は両国家)に歴史建造物や美術館が建てられたことに起因するのですが、私自身世界史の登場人物の中でも特にナポレオンに関心があったため、ブログ記事を書いておきたいと思います。


1.ナポレオンの経歴

①プロフィール

氏名:ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)
出身地:フランス コルシカ島
生年月日:1769年8月15日
死亡年月日:1821年5月5日(享年51歳)


②生まれ~軍人時代

ナポレオンは1769年に12人兄弟の4番目の子供として生まれます。
出身地のコルシカ島は、元々ジェノヴァ共和国の支配下でしたが、ナポレオンが生まれる1年前にフランス領となります。

父のカルロ・ブオナパルテは判事として働いており、また家柄が貴族階級であったため、比較的裕福な幼少時代を過ごします。

ナポレオンは陸軍幼年学校に入学後、抜群の成績を収め、1784年にパリにある陸軍士官学校へ入学し、わずか1年後の1785年に卒業します。

卒業後は出世を重ね、国内軍の司令官に抜擢された1796年には、劣勢の状況からオーストリア軍を討伐し、フランス軍の中でも名称としての地位を築きます。

その後エジプト遠征(1798年)から帰還し、1799年に中産階級(ブルジョワジー)の支持を受けて軍事クーデターを起こし、統領政府を樹立します。


③第一統領時代

フランスの第一統領になったナポレオンは、1804年にフランス民法典(=ナポレオン法典)を作るなど、法律・経済といった軍事以外の改革も進めます。

外交面では、第二次対仏大同盟で包囲されたフランスの窮状を打破すべく、1800年のマレンゴの戦いでオーストリアに勝利、翌年には北イタリアをフランスの保護国にするなどの成果を上げていきます。(天敵であったイギリスとは1802年のアミアンの和約で講和を成立。)

第一統領時代のナポレオン 引用元


④フランス皇帝時代

事実上の独裁者となったナポレオンは、1804年5月にフランス皇帝の地位につきます。

そして、同時期から1815年まで、ヨーロッパ全土を巻き込んだ「ナポレオン戦争」と呼ばれる戦いを繰り広げ、イギリスを除く全ヨーロッパを支配していきます。(600万人以上もの死者を出してしまいます。)

しかし、1812年にナポレオンはロシア帝国に侵略戦争を仕掛け、大敗を喫する事になります。
この戦いの最大の敗因は「冬将軍」と呼ばれるロシアの厳しい冬の寒さでした。

ナポレオンの不敗神話が崩れたことで、フランス帝国は徐々に崩壊します。

皇帝に即位した際のナポレオン 引用元


⑤後退期

ロシアに敗北した後、ナポレオン率いるフランス軍は1813年に「ライプツィヒの戦い」と呼ばれるナポレオン戦争の中でも最大規模の戦いで、ドイツ東部のライプツィヒにて、プロイセン(ドイツ)、ロシア帝国、オーストリア帝国、スウェーデンの連合国軍に敗北します

そして1814年、イギリスやプロイセンなどの同盟軍がナポレオン軍を包囲し首都のパリを陥落させ、ナポレオンは退位&エルバ島に島流しにされてしまいます。

その後1815年に、ナポレオンはエルバ島を脱出して再び皇帝に即位しますが、ワーテルローの戦いでまたも連合軍に敗れます。
敗北後、ナポレオンは、より遠くのセントヘレナ島に再び島流しされてしまい、51歳で死去します。


2.後世に残るナポレオンの功績

長きにわたりヨーロッパ各国と戦い、勝利を収め続けたナポレオンの軍人としての才能は言うまでも無いですが、軍事面以外にもたくさんの功績があったといわれています。

①ナポレオン法典

ナポレオン法典は、ナポレオンが皇帝に即位する前に作ったもので、ナポレオン本人が「(数々の戦争での勝利よりも)ナポレオン法典こそが自分の最大の功績である」と自画自賛する通り、ヨーロッパ中の法律に影響を与える民法典と言われています。(日本やアメリカの民法にも影響を及ぼしています。)

また、この法典により、農奴制が廃止され、フランス革命以後も残っていた封建制が完全に崩壊します。


②支配下諸国への影響

戦争によりナポレオンに支配されたオーストリアやイタリアなどの国々は、フランスと同じく農奴制を打破し、フランス式の行政や司法制度を取り入れるなど、行政面や工業面で急激に進歩します。

また、政治思想史においても、フランス革命の自由・平等・博愛の理念がナポレオン戦争によって各国に「輸出」されたそうです。


3.ナポレオン3世

本記事の最後に、ナポレオンの甥であるナポレオン3世について少しだけ紹介します。
ナポレオンが死去した後、「ナポレオン3世(本名:ルイ・ナポレオン)」が登場し、19世紀後半に活躍します。

1848年の二月革命後に第二共和政の大統領に当選し、クーデターで独裁権力を握った後、1852年12月にナポレオン同様に皇帝に即位し、「ナポレオン3世」となります。

ナポレオン3世は、鉄道計画やパリ改造計画によるフランスのインフラ整備を進めたり、日本とも関連が深いパリ万博を開催するなど、フランスの産業復興に尽力します。

対外政策としても、クリミア戦争、インドシナ進出など、積極的に進めますが、ナポレオン1世と比較すると戦争の腕前は見劣りしてしまい、1871年の普仏戦争で”鉄血宰相”ビスマルク率いるプロセインに敗北します。
そして、皇帝としては屈辱的な事に敵軍の捕虜になってしまい、皇帝を退位する事になるのです。

ナポレオン三世 引用元


いかがでしたでしょうか?
個人的には、歴史や歴史に登場する偉人が好きなので、また機会があればブログ記事を書いていきたいと思います。

これからも宜しくお願い申し上げます。




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