短編小説 雪の結晶(2)~P2P7曲目 oneより~
「あ、雪だ…」
思わず私は呟いた。
私は関東の生まれで、雪なんてほとんど見たことが無いので、雪を見ると無条件にこう呟いてしまうのだ。
「雪だね…」
呼応するように透さんが呟く。
透さんにとっては珍しい雪ではないはずなのに、こうやって答えてくれる透さんが堪らなく愛おしかった。
その愛おしい気持ちが、私に勇気をくれた。
「あのね、もう単刀直入に言うね。私、透さんが好きです。自分から別れたいって言ったくせに、何なんだよって思うかもしれないけど透さんが好き」
透さんを見ると、透さんは何とも言えない顔をしていた。
「…壮一さんは?」
「うん。壮一はとても大切な人。それは一生変わらない。この『大切な人』って言う考え方が自分でもどう処理して良いかわからなくてグッチャグチャになってたんだけど、今、私が手を繋ぎたいのは透さんなの。
それがハッキリしたから、それを伝えにここまで来ちゃった」
私は言いたいことを、言わなければ伝えなければならないことを伝えて大きく息を吐いた。
心臓が頭よりも大きくなってるんじゃないか?そのくらいにバクバク言っていた。
「手、繋いでいい??」
透さんが優しい顔で手を差し出してきた。
私はそっと手を差し出し、透さんの指に絡める。
久しぶりに感じる透さんの体温。
でも、久しぶりじゃない。初めてかもしれない。
壮一というフィルターを外して、やっと1人の真琴として透さんと向き合っていた。
繋いだ手から、2人の気持ちが流れてきた。
指先から、気持ちが血管に入って、身体中を巡って心臓に届くようだった。
だからか、手を繋いだら、あれだけバクバク言っていた心臓が落ち着いていた。
気がつくと、私の体の震えは治っていた。
「ふう…」
「はあ…」
2人同時に息を吐いた。
顔を見合わせる。
同時に声を出したのが面白くて2人で笑い出した。
しばらく笑うと、透さんは私をギュッと抱きしめた。
「ありがとう。もうね、僕、ずっと片想いしていこうって覚悟決めてたんだ。
壮一さんには敵わない。だってこの世にいない人に立ち向かってもどうしようもないじゃない。でもね、だからこそ、あなたと共に、真琴さんを愛して行きます。そう沖縄の太陽に宣言したんだよ。そしたら真琴さんが来た…なにこれ、嬉しい」
透さんは力の限り私を抱きしめてくれた。
だけど、いろんな服を着させられて、しかもその上から布団を被ったままだったので、だんだん苦しくなってきてしまった。
「く、苦しい〜」
笑いながら私が言う。
「何だよー僕が思いの丈を話しているのにぃ」
透さんも笑いながら、私の布団やら服やらを剥がしていく。
「あ、MV観たよ。素敵だった」
「観てくれた?あのデニムも?」
「うん。もちろん」
「あのデニム、僕のなんだよ」
「そうなの?!」
「前にLINEで送ったでしょ?砂が落ちてきたよーって。あの時と同じデニム」
あのMVのデニムを見て透さんを思い出したのは比喩でも何でもなくて、LINEを見た時点で、デニムの思い出は、既に私の中に壮一ではなく、透さんの記憶として書き換えられていたんだ。
「え?待って私すごい単純」
単純な自分が何だか嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
大切なものを仕訳するときに『保留』に入れるものが多い私。
だけど纏ってものを一枚一枚剥ぎ取ってみると、残ったのは単純明快な答えだけだったなんて。
言葉通り着ていたものを一枚一枚剥ぎ取っていた私たちは、そのままお互いの体温を確かめ合った。
あの夏の沖縄で伝え合えなかった体温を、透さんの故郷で私たちは、やっと確かめることができた。
「そう言えば、震え、止まってるね。よかった」安心したように透さんが言った。
「うん。多分ね、生きてきて1番緊張してたんだと思う」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。だってほら、透さんと気持ち通じたら治ったもん」
「なんか、すごいなあ…酒田に真琴さんがいることもすごいけど」
「そうだ!田舎に帰るってどう言うこと?会社は?東京離れるってこと?」
私は本来の目的を思い出して、矢継ぎ早に透さんに質問する。
「そっか、何で酒田まで来たんだろうって思ってたけど、僕が会社も辞めて田舎に帰っちゃうって思ったのね。そんなことない。ないよ」
透さんはそう言ってケタケタ笑い出した。
「だって、短い一文だったし、なんだか『実家に帰らせて頂きます』みたいな覚悟のようなもの感じたんだもん。なんだ、違うんだ。よかった」
ケタケタ笑っていた透さんは、ベッドから出て、窓のカーテンを開ける。窓の外はまだ雪が降っていた。
「雪、本降りになりそうだな……」
そう呟いて私の方に振り返った。先程とは、違う顔をしていた。
「あのね、父親が亡くなったって連絡がきて、それで帰ってきたんだ」
「え?お父さん?」
「うん、父親。って言っても、僕が小さい頃に離婚して、その後全く会ってなかったから30年位会ってなかったんだよ。父親、身寄りがないみたいでさ、市役所が僕を探し当てて連絡来たんだよ。お父さんが亡くなりましたって」
「そうなんだ…」
「それでね、亡くなった後の手続きなどをして欲しいって市役所の人が。そうしないと無縁仏になってしまうからって。
こう言う時ってさ、もう何年も会ってなくて、父親としての記憶も殆どないのに、容赦なく責任だけがやってくるんだね。血が繋がってるってだけで」
「そっか………それで来たんだね。酒田に」
「うん…でもね、その手続きをするべきかどうか、悩んでる。僕にとって父親ってのはいないに等しいし、母親から聞いていた父親の姿っていうのは、まあ、離婚したんだし、一方的なものだからしょうがないんだけど、酷いものだったんだよ。でも、だから僕の中の父親っていうのはいい人ではない。そんな人に対して何かをするまでの責任があるんだろうかって。
母親ももう亡くなっているし、相談できる人もいなくてね」
私は、そう言って困ったように笑う窓辺に立っている透さんを手招きしてベッドに座らせ、布団を透さんの肩に被せた。
「私はさ、当事者でも何でもないから、何も言えないけど、こうやって布団や毛布をかけて透さんを温めることはできる。できるよ」
そう言って透さんを布団の上から抱きしめた。
「僕、酒田にいい思い出があまりなくて、昔住んでた家も、もう他人が住んでるし、近しい人もいない。だから、故郷なのにホテルに泊まってるんだけど、ホテルに着いた途端寂しくて寂しくて、真琴さんに会いたかった。すごく会いたかった。ありがとう、来てくれて。本当にありがとう」
私は何も言わずに透さんを抱きしめ続けた。
何もできないけど、せめて、温めることができる存在でいたい。そうなりたいと思って抱きしめた。
「ねえ、こんな夜中だけど、外に行かない?私ほら、泊まることなんて何にも考えてなかったから、お買い物もしたいし。気分転換しよ」
そう言って私達は外に出た。
夜中の雪は大きな粒になっていて、私たちに降り注いでいた。
「雪ってこんなに大きな粒なんだね。初めてしっかり見た」
「粒だと思うでしょ?」
「違うの?」
「袖に降ってきた雪、見てみて」
透さんにそう言われて、私は袖についた雪を見る。
よく見ると、雪の結晶がハッキリ見えた。
花のような綺麗な形をした雪。
一つ一つ、こんな美しい形をしていたなんて。
「綺麗…」
そう言って雪に触れると、雪は溶けて水の粒になってしまった。
何と美しく、儚いのか。
「あのさ、手続き、ちゃんとやろう」
私は思いついたように透さんに言った。
「え?手続き?父親の?」
「うん、そう。どんなお父さんなのかは私には分からない。分からないけど、無縁仏になるってことは、何だか、今までの人生誰とも接点がない人って事になるような気がする。
そうじゃない。そうじゃないよね。お父さんにも人生があって、それで透さんが生まれて…ただ、亡くなる時に1人だっただけだもん。雪だって、こんなにたくさん粒があるのに、一つ一つ形がある。
それと一緒で、お父さんの人生も絶対あるはず。それをないものにしちゃいけないと思う」
私は空から降ってくる雪をなるべく受け止めたくて両手を広げて空を見る。
無数の雪が私に向かって降ってきた。
そして溶ける前の雪は、やっぱり綺麗で美しかった。
透さんが私の上に覆い被さるように腕を重ねてきた。
「本当だね、雪、一つ一つちゃんと結晶がある。自分で説明しといて、よく分かってなかった。うん、そうだね。僕、きっと背中を押してもらいたかったんだ。明日、市役所行くよ。手続きちゃんとやる。父親を見送るよ」
「私も一緒に行っていい?」
「うん。嬉しい」
2人で力一杯、降ってくる雪を雪の結晶を受け止める。
そして手を繋ぎ、離れないようにしっかりと指を絡めた。
白い雪が暖かく感じるくらい、2人の体温は繋がっていた。
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