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カルチャーショックってやつ

卒業旅行に行った。

4年間いった大学は、そのうち2年がコロナで授業もろくに受けられなかった。1回生のときに運よく大学のプログラムでオランダに行く機会があったけれど、それ以外はひたすら国内の山とか流氷とか屋久島とか思いつく限り遠くに行ってきた。海外にたくさん行きたいと思って大学に入ったがその願いはほとんどかなわなかった。

ところが1月の中旬、卒業設計に追われている中
高校からの友人に卒業旅行に行かないかと言われ二つ返事で承諾した。シンガポールに行くと聞いて心が躍った。久々の海外。

卒業論文も卒業設計もそれだけのために頑張れた。
海外ってすごい。

大学に行って都市計画の勉強をしていたから、シンガポールへ行くのは楽しみだったしいろんな刺激が受けられそうだなと思っていた。
けれども実際にはもっとほかのことでカルチャーショックを受けた。

あの時の感情が消えかかりそうだったから簡単にでも写真と一緒に言葉を記録しておこうと思う。


あさごはん
姉からもらったキーホルダー
安全講習も独特のベトナム航空
撮りたくなるよね
空港の運転手さえもクールに見える
おいしいフォー
ゆるゆる勤務?それとも仕事?
雑多な町並み

以下シンガポールにて

さすがハブの国シンガポール
パリピが多いユニバ
構造が斬新かつ美しい、恐竜みたい
都市計画博物館がほんとによかった

トランジットで6時間ベトナムに滞在したため、街に出てみる

ホーチミン

シンガポールは確かにすごかった。特に都市計画博物館はシンガポールの都市計画のあらゆる思想を、見えるカタチにアウトプットしており見に行って良かったとも思った。先進的な都市計画の一つの形を見た気がした。

都市計画やスマートシティの分野では日本のはるか先を行くし、建築単体も技術と資本主義の最先端を行くようなきらびやかな建築であふれかえっていた。けれども、ホーカーズもインド街もどれもこれもフェイクのようなディズニーランドのような感が否めなかった。計画しつくした先にはこんな街になるのかもしれないという少しがっかりすら感じてしまったのが正直なところだ(それでもやり切っていて一つの都市としての地位を確立している様は尊敬に値する。)

けれどもベトナムで感じた感情はシンガポールでの感動を優に上回った。

都市計画だのまちづくりがなんだとか頭の中でごちゃごちゃ考えるよりも、街が生きてるってこういう感じなんだって肌に流れ込んでくる感覚。

肌で感じるってこういうことなんだと思った。

これがカルチャーショックってやつなのか。

路上駐車はし放題、原付の統制なんてあったもんじゃない。野良犬はそこら中にいる。広場には流血した後があり、街の真ん中には一国の指導者の巨大な墓がある。

今の清潔な日本に慣れ切った友人はおびえ切っていた。
早く帰ろうとしきりに言っていた。

けれども自分はそうは思わなかったし、むしろほんの数十年前の日本はきっとこの光景と同様に街に生きる人の営みがそこら中に表出していたんだろうなということを肌で感じた。

まだまだ発展していく可能性のある国(社会主義国がどのように発展していくかはわからないけれど)で、生きている人の熱気や生そのものが統制されずにあふれ出したとき街のあらゆるところに溢れ出る人間らしさが都市の本質を自分に経験で伝えてくれた気がした。

自分の生まれたまちをこんな風に人間味あふれる場所にできたらなと思う。
勿論それがすべての人にとって正解な街ではないということは忘れてはいけないけれど、自分が考えているまちの理想像の一つの形を肌で感じることが出来た。それだけでこの度の経験値はもらいつくしたと思う。

やっぱり旅っていいなあ。