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難病・障害と共に生きる

初めまして。
ぽつぽと申します。
私の障害や難病、職歴、資格取得遍歴を書きました。
同じように病気や障害の人たちの参考になれば幸いです。よろしくお願いします。


私の難病、障害


難病、神経線維腫1型のStage5、それに伴う身体障害

神経線維腫症は聞いたことがない方が多いと思いますが、この機会に知っていただけますと幸いに存じます。非常に恐ろしい病でございます。先天性の染色体異常で発症します。そして私はこの難病のStage5です。Stage5とは「最も病状が進行し、日常生活に大きく支障がある状態」のことです。

小学校3年生の時に手術をしてから、何度も手術をしました。術後は傷口が痛くしばらくは動けないので、ベッド上で過ごすことになります。特に小学生の時は痛みで眠れなくなり、とにかく辛かったです。

私の場合は骨が変形してまい、身体障害もあります。骨が変形することで足腰に痛みがあります。

また身体中に腫瘍が出来きてしまい、全身に痛みがあります。腸や骨盤内に腫瘍が出来てしまい、その影響で血便や下血の症状があり、貧血や目眩、疲労感があります。また腫瘍が悪性化してしまうこともあります。従って定期的に通院し、精密な検査を行う必要があります。

身体の表面に出来た腫瘍は、見た目問題を引き起こします。それにより他者から心無い言葉を言われたり、差別的内容の書き込みをネット等で見たりして、自分の容姿の特異性を認識し、自信を喪失しました。そして恋愛が出来なくなりました。

鏡で自分の姿を見る、腫瘍に手が触れる、そう言ったことでも、酷く憂鬱になります。気が狂いそうな程の憂鬱さが襲ってきます。

また発達障害等の原因にもなります。

以上のように、神経繊維腫瘍症は心身に深刻な影響を及ぼす、非常に恐ろしい難病です。


神経発達症(ASD、ADHD)併発

発達障害です。私の場合少し珍しいと思うのですが、ASDとADHDの特性がちょうど半分ずつ、と言われました。

症状は、子供の頃は、場面緘黙症チック症に悩みました。学校のイベントでは突然固まって何もできなくなりましたが、誰からも理解されず苦しかったです。

また合唱コンクール(中学と高校でありました)や音楽の授業についてですが、中学1年生の時に「歌が下手」という幻聴や笑い声が聞こえてきてました。それ以来歌うのが怖くなりました。無理矢理歌っても、ものすごいストレスでした。というか最終的には歌うことは無理でした。更には楽器の演奏も私は恐ろしく下手くそと思い込み、楽器の演奏も出来なくなりました。非常に辛かったです。

また遅刻する、忘れ物をする、板書が出来ない、何故か怒られる、なども困りました。

統合失調症

監視されているのではないかという緊張感や誰かに追われる、馬鹿にする声が聞こえるなどが症状です。逃げ回って全く知らない駅にたどりついてしまったこともあります。

精神疾患の診断は色々言われました。統合失調症感情障害や双極性障害2型といわれ、炭酸リチウムとオランザピンを服薬したり、うつ病と言われす、デュロキセチンやアリピプラゾールを服薬したりしました。薬を変えると、離脱症状が出たり、飲み始めは口が乾いたり、酷い便秘になったりして毎回辛いです。

気管支喘息

寝る前や寝起きなどに咳が止まらなくなってしまいます。

その他の病気

その他、突発性難聴や顔面神経麻痺などになってしまいました。身体が弱くて悲しいです。

私の職歴や就労移行支援事業所でのこと

現在の職業
障害者雇用(4年目)

以前の職業
介護職(11年)
スーパー(1年)
寿司職人(1年)
コンビニバイト(1年)
ゴルフ場バイト(2か月)

職歴の詳細や就労移行支援事業所でのこと

約11年介護職をやりましたが、統合失調症を発症し、精神科の閉鎖病棟に入院し退職。

退院後、就労移行支援事業所に1年3ヶ月通所し、障害者雇用に就きました。私の通っていた就労移行支援事業所では、プログラムが細かく決められていました。パソコン訓練、軽作業訓練、ビジネスマナー訓練、オフィスワーク訓練、グループワークなどを行いました。

就労移行支援事業所での就職活動
①2社書類選考で落ちた
②2社集団面接で落ちた
③5社目で採用された
就活期間は6カ月ほどです。

障害者雇用の前は面接で落ちたことがなかったので辛かったです。

私は料理人になりたかった。
介護職の前は都内のホテル内にある寿司屋で働いていました。その時は難病が悪化し退職。その後、手術を受けました。

退院後はイタリア料理店で働きましたが、再度難病が悪化し手術。これらの経験から調理師を断念しました。

退院後は、スーパーでアルバイトをしました。そして再び難病が悪化してしまい、手術。その後に介護職に就きました。

現在は手術をしすぎたので(小学生の頃から手術をしています)、皮膚の回復力が悪くなっているとのことで手術は見合わせています。

その他は学生時代に打ちっぱなしのゴルフ場の球拾いとコンビニバイトを経験しました。

かなり、かなり辛い人生。

これまで述べてきたように困難が多くありました。

また私の難病は片親が当事者の場合、子供に50%の確率で遺伝します。
私の価値観では、子供も諦めざるを得ません。

早い段階でこのことを知り、大変絶望しました。私は子供が大好きでしたのでショックは計り知れませんでした。一時は毎日泣きました。生きている意味を見失い、何もかもやる気が出なくなりました。勉強も人間関係もどうでもよくなり、無気力になり大変つらかったです。

精神的にも肉体的にも辛すぎます。

苦しくても楽しいこともある

辛くても苦しくても、働いて、その賃金で趣味を楽しんだり、友達や家族と素晴らしい時間を過ごすことも出来ています。

また最近は、様々な寄付活動をしています。募金箱があったら寄付をするようにしています。障害や難病があっても誰かの役に立つことができます。

今はクラシックのコンサート、テニス、読書、音楽鑑賞、美術鑑賞、映画、料理、ピアノ、ワイン、コーヒー、カラオケ、友達と話す、飼い猫と遊ぶ、など、楽しいことが沢山あります。

私の資格取得遍歴です。

最後に私は最近、資格の勉強を頑張っています。少しずつ成長したいと思います。