桜良と僕の「仲良し」な関係


ともきちさんが、私の記事を紹介してくださいました!!!

https://note.com/lt0218xs/n/ncb0c26b908c1

セクシュアリティについてとーっても分かりやすくまとめてくださっていますので、是非みなさん読んでみてください。柔らかい感性をお持ちのともきちさんの書く記事には、いつもほっこりさせてもらっています。
そして自分とは異なる感覚を理解しようとしてくださる姿勢とお言葉にとても励まされました。この世界は素敵だなと思えました。ともきちさん、本当にありがとうございます!!

私のnoteを応援していただいたので、今日は私の恋愛指向について書きます。

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友達と恋愛、その感情の境界線があやふやなクォイロマンティック。そんな私の恋愛指向はつまりどういうことなのか、言葉にして説明するのは難しいなと考えていました。

そんな時、ふと思い出したのです。私の一番好きな小説を。タイトルで気付かれている方はきっとその小説もしくは映画をみたことのある方ですね。

「君の膵臓をたべたい」
その衝撃的なタイトルからグロテスクな内容かもしれないと一度は購入せず帰宅しましたが、やはりどうしても気になり、改めて書店に足を運んで購入した小説です。結果、最も好きで大切な小説となりました。

クラスで人気者の女の子:桜良と、いつも一人で本を読んでいる男の子:僕。一見正反対の場所にいるふたり。しかし、ある日僕が桜良のヒミツを知ってしまうところから2人の物語が動き出す。

私は、主人公である桜良の考え方と言葉選びがすごく好き。底抜けに明るく見える彼女は、心の内に悲しさを持っているからこそ周りを明るく照らす。

この小説の好きなところを話し出すと止まらなくなってしまうのですが、今日書きたかったのはふたりの関係性について。


ふたりの関係は、「仲良し」なのです。
周囲に、「あいつとどういう関係なの?」と聞かれると、桜良はこう答えます、「仲良しだよ」と。そしてやがて僕も、桜良と仲良しであることを認めます。

彼女の友人は、仲良しってどういう意味?と言って納得しません。友達なのか恋人なのかはっきりしてよ、と迫ります。みんな「カタチ」にこだわってしまうんですよね。友達や恋人など定義のある言葉に当てはめてやっと納得するのです。「友達だったら、手は繋がないでしょ?」「休日にふたりで出かけるのに、恋人じゃないの?」

この感覚、私の恋愛指向であるクォイロマンティックに近いかもしれないと思いました。周囲からは、「そんなに仲良くても付き合ってないの?」「本当に友達なの?」と言われても、いまいちピンとこない私。周りの人の言葉の影響を受けやすいので、「あれ?私この人に恋してるのかなぁ?」と思ったりもしますが、最終的にこの人とどうなりたいとは思わないのです。今のまま、そのままが心地いい

考え方を変えてみて、その人に彼女ができたらどうだろう?と想像すると、確かに寂しくなりそう、、だけど自分が彼女になりたいかと聞かれるとそれも違う気がする。ただ、仲良しで一緒にいて楽しい。ひとりの人間として自分にとって”大切”という感情があります。しかし、それ以降の感情の”区別”は上手く出来ないのです。

若しくは、深層心理には関係性を終わらせたくない。という気持ちがあるのかもしれません。恋人になると、その先この関係性を失う可能性があるから。だからはっきり分からないままでいる方が心地いいのかもしれません。臆病なだけかもしれませんね。

あやふやであいまいなふわふわした「仲良し」という関係性。
はっきりしない関係性は理解され難いです。「友達」なのか「恋愛」なのか。そのどちらかに当てはめないといけないような風潮にありますが、そういう関係性が小説の世界だけではなく現実世界にも存在することをまずは周囲の人に伝えていけたらなと思います。




じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^