春のはじまりの記憶
「あ、春だ。」
そう感じる瞬間が、私には毎年あって。
嬉しくって、「春がきましたね!」と興奮気味に伝えると、どういうこと?と笑われちゃったことも、過去にはあって。
気温が上がったから?
桜が咲いたから?
え、花粉症なの?
ううん。そういうことでは、ないんです。
なんかこう、なんて言うか。
言葉で伝えるのは難しいけれど。
肌に感じる温度ではなくて、目に見える変化ではなくて、身体に表れる症状ではなくて。
もっとこう、感覚的なもの。
そわそわするような。
嬉しいけど、ちょっぴり、切ない感じ。
でも、秋の終わりの切なさとは違う。
何だったかな、これ。
この気持ち、いつ、どこで、経験したんだったかな。
ずっと、見つけられなくて。
ずっと、探してて。
やっと、繋がった。
卒業式の朝の気持ちだ。
最後の朝、制服に腕を通す時。
その制服姿で玄関を出て、青空を仰いだ時。
最後の朝、少し緊張感の混ざった教室の空気。
みんなで過ごす、最後の朝。
いつも通りの「おはよう」が、最後の「おはよう」だと、やっと気付いて。
「また明日」が、当たり前ではないことを、思い知る。
そんな朝に、感じた気持ち。
誰かの机の周りに、数人で集まって話す姿。
そんな光景、毎日目にしてきたはずなのに。
最後だと思うと、それさえも尊く愛しいものに思えて。
本当は、ずっと前から、いつだって、尊いものだったのに。
私がそれに、気付けていなかっただけで。
終わりを意識して初めて、その事実に気付く。
こんなにも、毎日に慣れてしまっていたことに、気付かされる。
「もう少しだけ」
まだここに、留まっていたい。
そう願わずには、いられなくて。
都合のいい自分に、呆れてくる。
私たちは、進むことを、やめられない。
どうしたって、時間は進む。
時間はいつだって進んでいるのに、卒業の日の朝、それがこんなにも進んでいたことを、ようやく実感する。
まるで一気に時間が通り過ぎたように感じて、まだ私の気持ちは追いつけなくて。
けれど、立ち止まっては、いられなくて。
さよならの季節は、必ず、訪れる。
私の心は、そんな気持ちを、「春のはじまり」と、記憶した。
あの日、あの朝、道の上で感じた風が、私にとって、春のはじまりを告げる風になった。
春に、きっと何かが始まる予感がして、わくわくする。
春が来るのは嬉しいけど、冬が終わるのも、寂しいような。
でも、そうやって、冬のせいにしてきただけで、きっと本当は、まだ私自身が、そこに留まっていたいだけで。
期待を膨らませても、不安はやっぱり、そこに居て。
″あたらしい″への勇気が必要なだけで。
春になったら、明日になったら、準備が出来たら、そうすれば、きっと。
そんな風に思っていることは、山程あって。
春の風は、まだそこに留まっていたい私を、「ほら。」って、一歩先へと、連れて行きたがる。
だから私は、春のはじまりに、そわそわする。
心が、あの日の朝の記憶に触れて、ちょっぴり、切なくもなる。緊張感も、蘇る。
終わりと始まりの間、ありがとうを伝えて、あたらしいの入口に立つ。
風が吹いたら、ほら、はじめよう。
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