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One of my priceless memories.



「一緒に過ごした時間:priceless」


そんな感じのフレーズが、テレビから度々聞こえていたことを、覚えている。pricelessの前にくる言葉までは詳しく覚えていないけれど、自分にとって価値のあるもの、お金に換えられないもの、そういうものに対して「priceless」という単語を使うということだけは、いくつもの素敵なCMのおかげで、印象に残っていた。


2つ入りのプリン:$3.5-
当時の日本円で、300円弱くらい。


スーパーマーケットに売られていたプリン。
私にとって、「pricelessな思い出」を作ってくれたプリン。


これは、メルボルンに住んでいた頃のお話。

*ーーーーー*


オーストラリアに住んでみて、日本のコンビニの素晴らしさ、その充実度を思い知った。おにぎり、お弁当、ホットフード、本格的なカフェドリンク。そして、スイーツ。

それが24時間、いつでも欲しい時に手に入るなんて、本当にありがたい環境だと思った。

仕事終わり、これから会う友人の家に、食後のデザートを買ってきたいな。と思っても、メルボルンのケーキ屋さんは早くに閉まっているところが殆どだ。コンビニスイーツ、なんてものもない。それならば、お菓子でも。と思ってスーパーマーケットに行くと、先程のプリンを見つけた。

チョコやクッキーなどのお菓子はひとりで食べても、2つ入りのプリンをひとりで買って食べたことはなくて。初めてその2つ入りのプリンに手を伸ばした。

夕ご飯は、遊びに行く度にいつも作ってくれる。私も何かするー!と言っても、「座ってYouTubeでも見てて〜」と甘やかされる。従って、いつも甘えている。

こんなにも、一緒にいる時に気兼ねなく「自分が何もしない」誰かとの時間は、人生で初めてだった。

今まで私は「相手に何かをしたい」人間なんだと思っていたけれど、その大半は「相手より自分が何かをしていなければ落ち着けない」という気持ちだっただけなのかもしれない。そんなことにも気付かされた。

オーストラリア人の彼女は、様々な国の料理を作ってくれる。先週は、タイカレーだった。そして今日は、メキシカンスープを作ってくれているらしい。日本人の私にはあまり馴染みのない香りが、ソファに座る私のところまでやって来た。

どんどん香りが強まるので、そろそろ出来上がりかなと思い、スプーンやナプキンを準備しようとキッチンに行く。お豆とお野菜がたっぷり入ったトマトベースのスープからは、もくもくと湯気が出ていた。″メキシコの香りだ。″と、メキシコについての知識も乏しい癖に、そんな風に思う。


「いただきます」の習慣は、彼女にはない。だけど私にはあるので、作ってもらったことへのお礼の気持ちを込めて、おかまいなしに日本語で、いただきます!と手を合わせる。語尾の″ます!″に合わせて、彼女は口角をあげて頷く。

初めての味だったけれど、ちょっぴりスパイシーで、美味しかった。ゆっくりと食べて、「ごちそうさまでした」をする。例によって、彼女は先程より更に口角をあげて、頷く。

食後には決まって、「紅茶飲む?」と聞いてくれる。彼女は、コーヒーではなく紅茶派である。「YES,プリーズ!」と答えて、紅茶と共にプリンも食べようと冷蔵庫からそれを取り出す。

紅茶の入ったマグカップが運ばれてきた。食事の時と同様に、いただきますをして、スーパーマーケットで買ってきたプリンを、ひと口。


プリンは、予想以上においしかった。日本のコンビニで買うことの出来るあのプリンに少し似ているな。と思いながら食べていると、私はふと2つの幸せに気付く。

こんな感じの日常を、日本で家族と過ごしていたこと。

そして、そんな感じの日常を、今この町で過ごしていること。


父は、時々コンビニスイーツを買ってきてくれた。自分のビールを買おうと寄ったコンビニで、レジに向かう途中に目についたスイーツを、ひとり帰りの車内で食べるのではなく、食後に家族と食べよう。と買って帰ってきていたのかなと、父の思考を予想してみる。

ジャンケンで買った人から食べたいものを取っていくスタイル。真剣勝負。私が話さなければ、聞こえるのはテレビの声ばかり。それでも、1日の終わりに、食後に、一緒に、デザートを。

あれはきっと、家族の時間 だったんだと思う。それが日常と化してしまえていたことが、どれほど幸せなことだったのか。そんな風に思った。



そして、そんな日常を、知り合いすら1人も居なかったこの町で、今、過ごしている。

非日常的な体験を求めてここにやって来たはずの私が、新たな日常を、ここに刻んでいる。



そんな日常を与えてくれる誰かが、隣にいる。

プリンを食べながら、急にこの時間への愛しさが込み上げてきた。私は彼女にくっつく。ありがとうの気持ちが、身体から伝わればいいなと思った。

帰り道は、毎回近くの駅まで送ってくれる。私が電車に乗り込むまで、見届けてくれる。
またねのハグでバイバイをして、私は楽しかった今日の時間を、電車に揺られながら反芻する。

最寄駅からシェアハウスまでの帰り道、夜風に吹かれ、とぼとぼ歩いていると、今度は急に寂しくなった。

今ここにある日常を、私はあと数週間後に手放す。あと何回、彼女の料理を食べられるだろう?一緒に食後のデザートを楽しめるだろう?

あとどれくらいの時間を、一緒に過ごせるのだろう?さよならのハグをするまでに。

そんなことを考え始めると、視界がぼやけてきた。

「帰りたくないな。」

そう思った。日本に戻れば、今ここにある日常が、あっさりと過去になってしまう。まるで、非日常の時間だったかのように、きっと私は想いを馳せるのだろう。

ちゃんと、今ここに、確かに在る、日常なのに。


1つ300円のプリンは、勿論おいしいだろう。

でも、あの日のプリンには、いくら高級なプリンも、極めて珍しいプリンも、きっと敵わない。

あの日、彼女と一緒に私が食べた、スーパーマーケットに売られていたプリンは、間違いなく「しあわせの味」がした。

それは、私にとって、至福のスイーツだった。

2人でプリンを食べる時間は、失いたくないと駄々をこねてしまう程に、尊いものだった。


2つ入りのプリン:$3.5-

2人でプリンを食べた時間:priceless



「やっぱり、帰ろう。」

帰国したら、コンビニスイーツを買って、家族と食べよう。家族の時間を過ごそう。

スイーツが作ってくれる、価値ある時間を。

そんな時間を、周りにいてくれる人たちと、重ねていこう。


彼女と、再会のハグをする日まで。


じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^