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デミセクシャルの恋愛


私は一体どうやって恋愛を始めることが出来るのでしょうか?実に難問です。迷宮入りです。

私の恋愛指向はクォイロマンティック=友情と恋愛の境界線があやふや。生活に「すき」が溢れているのです。この人のこういうところすきだな。あの子のああいうところすきだな。溢れすぎていて、恋愛のすきが分からない。区別できない。

そして性的指向はデミセクシャル=心の繋がりを感じた人にのみ性的感情を抱く半性愛。つまり私は最初から相手を性的対象としない。仲良くなって一緒にいて楽しいと感じてもそれは友達として?恋愛対象として?と問われると、んー、どっちだろう?と自分でもハテナを浮かべる。そしてハテナの状態でその友達関係を超えることは絶対にない。超えてしまえば、そこには肉体関係がつきものだと知っているから。付き合う前、付き合ったその日、1ヶ月くらい経って、、友人たちの展開のその早さに驚くが、驚く私に友人は決まって驚く。もう私たち大人だよ?と。


連絡を取って何度か出かけたりして仲良くなっているはずなのに私はいつまでも同じ態度。相手側からすると、この人なに考えてるの?その気ないの?と思うだろう。

私からすれば、「その気とは何でしょう?」といった感じなのだ。

相手は、友達と恋愛の境界線があやふやな私と仲良くしたところで、いつまでも交わらない平行線を辿っているように思うかもしれない。しかし、私からすればそれは平行線ではない。おそらく平均よりも遥かに長いその線は、実はとても緩やかなカーブを描いている。いつかきっと交わりたいと思っている。誰かと私の線が交わることは、奇跡だ。

しかし、私は性的なことに対してはなかなか踏み込めないものの、心を許した相手に対しては、肩が触れ合うくらい近くにいきたいなぁとか、寄り掛かってみたいなぁとか、そういう感情は抱く。パーソナルスペースに進入したくなる。それ以上進んだら困るので決してしないけれど。そういう気持ちにはなる。しかし、それが恋愛対象に対する行為かと聞かれれば何とも言えない。

そして更にややこしいことに私は女性として扱われることが嬉しい。性的対象として見られることに嫌悪感を抱く癖に女性として扱われたいなんて身勝手で難しすぎるなと自分でも思っていたけれど、最近気付いたことがある。

私にとって、女性として扱われたい=思いやりのある言動を受け取りたい、なのだ。敢えて女性としてと言う必要もない。私が祖母と並んで歩くときに車道側を歩くように、友達から悩んでいるメッセージが来ると電話をかけて話を聞くように、会って解散した後の帰路を心配するように、そういう相手を尊重した思いやりのある優しさを受け取り与えることで心が満ち足りる。きっと私が恋愛に求めるのはそういう幸せだ。

だから、そういう優しさに触れる前に性別を意識させられると私はもう警戒心剥き出しになってしまう。逆を言えば、思いやりや尊敬といった感情が成立する相手であれば性別は問わない。これまで女性を好きになったことはないけれど、好きになることはないとも言い切れない。人類愛と言えばいいのかな、そういう愛がもっと親密になれば恋愛に繋がっていくイメージ。きっと独占もしたくなるのかな。未経験なので分からないけれど。

何はともあれ、難しく考えすぎないで、この自分でも説明しきれない気持ちを大切にして、生きていこう。






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