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「影響を受けた作品や作者は何ですか?」

「影響を受けた作品や作者は何ですか?」

と質問を受けることがある。そのつどまじめに考えていると会話のテンポを損なうので、そのような質問を頂戴したときにはどう回答するかをあらかじめ決めている。



アーティストは自分のルーツ(影響を受けた先駆者)を3名挙げられるようにするべきだ。

と、オースティン・クレオンが本に書いていた。クレオンのどの本だったかはすっかり忘れてしまったのだけど。クレオンの本はどれも良書なので、これからなにかを創作しようとしている人や、もっとクリエイティブになりたい! っていう人はぜひ読んでみるといいと思います。僕は、かれの本を読んで随分励まされました。

影響を受けた先駆者が1人だけだと、自分の作品は、その先駆者の作品のコピーになってしまう。でも、3人もいればオリジナルになる。だから安心して、先駆者から学び取ればいい。

クレオンが本のなかで言っているのはそういうことだと思っている。

自分は何を創作しているのだろうか?

自分の創作はどこへと向かっていくのだろうか?

そんなふうに迷子になりそうなときには自分のルーツ(影響を受けた3人)を思い浮かべる。そのとき、僕は子供の姿になっている。はぐれてしまった親が迎えに来てくれて、子供の僕を抱きかかえて、家へと連れ戻してくれる。アイデンティティとは、ここでいう「家」のようなものなんじゃないか。「親」は、3人の影響者のことであり、「アイデンティティ=家」に帰れなくなってしまった自分自身を導いてくれる存在。



「影響を受けた作品や作者は何ですか?」

と質問を受けて、僕は(会話のテンポを崩さないように)受け応えする。僕が挙げる3名はすべて小説家だ。だから相手が演劇関係者のときは、相手が一瞬だけかたまるのを目撃することになる。僕は、相手をかたまらせてしまうことをひじょうに申し訳ないと思っているのだけど、演劇は少なくとも僕の根っこルーツにはない。



戯曲を書けなくなったのはいつからだろう?

昔から小説を書いてみたいと思っていた。でも、書くことができなかった。大学に入って、俳優をやりながら、見よう見まねで戯曲を書いてみた。それが始まりだった。僕はそこから訓練を積んだ。とにかく積んだ。で、やっと小説を書くことができるようになった。いとも簡単に、書けるようになったわけじゃない。今でも躓くことはあるし、調子を崩すこともある。それでも試行錯誤して、なんとかやってはいる。



筆力が上がれば上がるほど、戯曲家は次第に戯曲から離れて、小説を書くようになる。

と僕からすればレジェンドクラスの演出家が言っていたのを聞いて、なにかが腑に落ちた(ような気がした)。少なくとも、昨年は。『斗起夫』をつくりながら、そんなことを考えていた。いや、順番が逆か。そんなことを考えていたから、『斗起夫』のような作品ができあがったんだと思う。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。