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ジャーマンポテト
もう5日も経ったのかと私たちは電話で言いあった。私たちが離れ離れになってからもう5日も経ったのか。この分だと、あなたが一時帰国する11月までもあっという間かもしれませんね、と言うと苦笑された。電話越しだから表情は見えないのだが、苦笑しているのが確かにわかった。
今夜は何を食べるのと、聞かれてそういえば今夜は何を食べるのかを考えていなかった、と気がついた。家にある食材で何かしら料理をしようとは考えていた。
ちゃんと自炊をしていて偉いですね。
いいや、自炊をしないと食べていけないくらいに家計が逼迫しているのですよ。とは言いたくなかったので、自炊するのと外食するのとでは雲泥の差というくらいにはかかるお金が違いますよねと、濁して応えたつもりだが、意図通りに濁されているかどうかはあやしかった。
じゃがいもが芽を生やし出しているからじゃがいもをつかいたい。かといってポトフは前回つくったばかりだからそれでは芸がない。何か自分でもつくれるような簡単なレシピはないかと訊くと、ガレットと言われた。
それは魅惑的な料理だった。バターのかおり、フライパンで手際よくひっくり返されて、両面がこんがりと焼かれきったそれを食べる自分をイメージした。しかし、私はくたくたに疲れきっていたこともあって、じゃがいもを細く切り刻む苦労をしたいとは思えなかった。
ガレット。
私は反芻して苦笑した。先ほど苦笑されたのと同じ要領で。
ジャーマンポテトをつくっているのに、どうも味つけが決まりきらない。ジャーマンポテトらしい味にならないのはベーコンが入っていないからではなく、もっと根元的なところで「ジャーマンポテトらしさ」が抜け落ちている。
塩を振りかけたり、胡椒を足したり、随分いろいろな工夫をしたが、「ジャーマンポテトらしさ」は依然として空洞化したままだった。それであきらめてマヨネーズを足した。勢い余ってマヨネーズを足しすぎてしまい、油でべたべたとした仕上がりになってしまったが、もはやこれ以上救いようもないので鍋に蓋をして出来上がりということにした。
ビールといっしょにそれを食しているときに、コンソメを入れ忘れたことに気がついて、なるほど、自分にとっての「ジャーマンポテトらしさ」、ジャーマンポテトの根元とはコンソメだったのだと気づかされた。確かに、きつすぎるくらいにコンソメをきかせてあるジャーマンポテトを何度も食べさせられたことはある。そういうジャーマンポテトはあまり好きではないし、食べ進めるうちになんだか気分がわるくなってくる。けれども、コンソメのないジャーマンポテトはどうしてもジャーマンポテトとして認められるべきではなく、では今自分が食べているこれは何なのか、というと、「熱せられたポテトサラダ」、「じゃがいもが砕かれないまま原形をとどめてあるまま、ほんとりと温かいポテトサラダ」のようなものだった。
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