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response 02 - ハノーファーより


ハノーファーでは毎日ピアノを弾いて
過ごしていたんだとその人は言った
ハノーファーがどんな場所で
どんな歴史を持っていて
どんな言葉で どんな人々が 喋っているのか
わからないばかりかその街がどこの国に位置しているのかさえも
わからなかった

「ピアノを弾いているときだけは
 楽譜にすべてを委ねることができるんだよ
 ピアノを弾いているときだけは
 言葉もいらない 五線譜・楽譜——
 それは純粋な記号
 言葉もまた記号の一種だったが今日では
 意味を持ちすぎてしまっている
 そのために言葉は純粋な意味での
 記号としての資格を剥奪されてしまったんだよ」

言葉を越えるものとはなんだろう
言葉が持ちすぎてしまっているものを
持っていない 五線譜・音符——
そこから生まれくるものとはなんだろう
それは 言葉の限界について考えることだった

言葉を信奉しているわけではないが
言葉は便利で 道具のようにもちいられる
考えていることを言葉に変換できさえすれば
(その言葉が通じあう者同士のあいだであれば)
コミュニケーションが成立する
離れていても 会話ができる
お互いが考えていることを 交換しあえる
今 音声通話が途切れて
ハノーファーから(いち度デジタル信号に変換されてまたアナログな声として再現された)
その人の声が聞こえなくなってひとりになった
夕食を作りはじめよう
風呂を沸かそう
何時には眠ろう
何時には起きないと いけないから
何時間は眠りたい から
何時には眠ろう
すべては 逆算だと その人は言っていた
すべては 逆算だと

目指すべき理想のかたちがあり
それを実現するための最短ルートを敷く
目指すべき理想のかたち ?
そんなもの あるにはあるのだが
それは 実現不可能なわけでもないし
だからといって実現可能か?
と問いかけるとあやしい
環境のせいにしたくなる
やろうと思えばやれるけど
やれないのは自分を取り巻くすべてのもののせい
夕食を作るのも
風呂を沸かすのも
何時には眠ろうとするのも
全部自分のために 自分で決めたこと
ひとりならもっとうまくやれる
ひとりきりならもっとうまくやれる のに
やれないのは自分を取り巻くすべてのもののせい


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宮澤大和
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。