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物語のなかに広がっている現実世界のパラレルワールド

ふだんの僕は、作家として芝居の脚本を書いたり、演出家として舞台の演出をしたりしています。

昨年12月に『斗起夫 -2031年、東京、都市についての物語-』という作品を北千住にあるアートセンター・BUoYにて上演しました。


けいこの序盤、この物語をどんなふうに解釈し、どんなふうに表現していくべきかを探るべく、長い時間をかけて話しあいをしました。

その話しあいのなかで、父との関係性がテーマになっているこの物語はエヴァンゲリオン的だという感想があり、エヴァを観たことはありますか? と俳優から訊ねられたことがありました。

私は、事実の通り「ない」と答えました。するとエヴァはとても面白いので観たほうがいい、と奨められた。いつか観てみますね、と僕は約束した。

ちなみにその後稽古が進んでいくにあたって俳優からこの物語は全然エヴァ(的な父との関係性による物語)ではありませんでした、と言われた。

僕はその時点でもまだ『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていなかったのでうまく受け応えをすることができませんでした。

「あぁ……」としか言うことができませんでした。言葉の持ちあわせがないとき、僕は「あぁ……」としか言うことができないようになってしまうんです。

気の利いたことを言って、器用に振る舞うことができない。そのせいで僕はこれまでの人生で数々の損をしてきました。

先日長い手紙をいただいて、その返事のなかにも書いた通り、僕が書き物をするのは、現実世界で行為する僕が「あぁ……」としか言うことのできなかった悔いを成仏させてあげるためなんですよね。

そういう一面も間違いなくあります。

あのとき、あんな言葉を掛けてあげればよかった、とか、あんなふうに言い返してやればよかった、とか……もしも適切な言葉を掛けたり言い返したりすることができていたら物事はこんなふうに運んでいただろうか……そんな現実世界のパラレルワールドが僕の物語には広がっています。


遅ればせながら僕はあのとき俳優が僕に喋り掛けてくださったことに応えるために、『新世紀エヴァンゲリオン』をおよそ1ヵ月かけて観終えました。

『新世紀エヴァンゲリオン』を観ているあいだに中国の「偵察気球」に関する報道を読んだ。

2月4日に米国の領空で撃墜された「気球」は中国のものだったらしい。しかし、10〜12日に3日連続で撃墜された飛行物体は2月4日の「気球」よりも小ぶりで、中国の物であるという証拠もないだという。

もしも本当に中国のものでないのだとするなら、米国は「未確認飛行物体」を撃ち墜としたということになる。

その「未確認飛行物体」とは「使徒」なんじゃないか、と僕はすっかり第三東京市を中心に展開されるあの物語に洗脳されていた。


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