【短編小説】 精神の貴族 (1)
「精神の貴族を目指そうじゃないか」
旧い友人が酒に酔うたびに言っていたのを、唐突に思いだした。精神の貴族。その言葉によって、彼がどんな概念を示そうとしたのか、僕には知る由もない。彼は白血病でこの世を去ってしまった。
わたしと、彼は同い年だった。彼が刻んでいたはずの時間は27歳で永遠に止まってしまった。
わたしは、彼が白血病に罹ったこと。ドナーを探そうにも、彼の病状が発覚したときにはすでに末期に差し掛かっていたこと。治療の手立てはなく、彼は地元(福岡市)に帰って一生を閉じたことなどを、わたしは、彼が亡くなって2年経った、ある夏の日まで知らないでいた。
わたしと彼は大学3年生のときに知りあった。わたしたちが通っていた大学は3年生になると日常的に通学するキャンパスが変わる。1、2年生までは学部ごとに小さなビルで講義を受けていたが、3年生になると大きなビルに文系学部が集められた。世間一般の人々がわたしたちの通う大学の名前を聞いたときに思い浮かべるのがその大きなビルディングだ。ろくに調べもしないで入学した人たち——それは多くの場合、本来ならばもっと上のランクの大学に進学したがっていた人たちだ——は自分が通うキャンパスが想定と異なることに少なからず戸惑うことになる。
わたしと彼が通っていた大学についての話はこれくらいにしておこう。つまり、わたしと彼は学部が違うために(わたしは経済学を、彼は映画史を専攻していた)1、2年生のあいだに顔をあわせることはなかった。彼はテニスサークルに所属していたが(そしてそのテニスサークルはご多聞に洩れずテニスはほとんどプレーしなかった)、わたしはサークルには属していなかった。だから学外で会うことも当然なかったわけだ。わたしは大学の講義を終えると、大学付近にある小さな個人経営のカフェ・バーでアルバイトをした。アルバイトがない日はまっすぐ家に帰って本を読んだ。酒は飲まなかった。不味いとは思わなかったが特段飲む必要もなかった。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。