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カリキュラムのジレンマ

「学習指導要領って絶対なの?」

皆と同じ学習をさせないとダメ?

小学校の高学年ともなると、体の大きな子どもも一定数います。

そんな子どもは、体育の「器械運動」が苦手だということがよくあります。

マット運動の授業にて。

とても体の大きなその子は、前転ができません。もちろん他の技も。

他のクラスメイトが様々な技にチャレンジする中、ただそばで見ているだけです。

こんな時、教師はあらゆる手段をつかって、
考えうる限りの支援を行い、
その子に「マット運動」をさせるべきでしょうか。

学習指導要領に則り、その中に例示されている技ができるように支援していくべきなのでしょうか。

「自分のできることでいいから、やってみようよ。」
「失敗を恐れるな。挑戦することが大事なんだよ。」

そんな言葉で、他の子と同じ内容に取り組ませる。

この言葉は多くの教師が口にしてきたことでしょう。

自分もそうです。なんなら今でも言います。

でも、なぜそうまでしてこの子にマット運動をさせたいのでしょうか。


カリキュラムの良さと窮屈さ

日本には学習指導要領があり、それに準拠した教科書がある。

そのおかげで、北海道から沖縄まで、日本中のどこで生まれようが一定の教育を受けることができる。

内容の理解は個別で差があれど、日本中の子どもが読み書きや計算の仕方を学習できるようになっている。

改めて考えると、これはすごいことだと思います。

カリキュラムがあると、新米教師もベテラン教師も、同じ内容を子どもに教えることができます。

公教育に、カリキュラムは必須でしょう。

ただ、私はこうも思います。

「教師はカリキュラムに縛られすぎてない?」

指導要領の内容こそが大事。指導要領さえ押さえればOK。

つまらない学習内容を効率よく楽しく学ばせることのできる教師は優秀。すごい!



本当にそうか?

指導要領が免罪符になっていないか?

指導要領以外の学びは価値が低いのか?

そう思うことが時々あります。

学習指導要領を絶対視することで見失うこともたくさんあると思います。



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