アイデアの種は、暮らしのあちこちにある~『ねずみくんのチョッキ』なかえよしを~
子どもの頃に読んでいた、あの懐かしい絵本。
今お子さんに読み聞かせている、そのおもしろいお話。
これを作ったのはどんな人だろう?
どんな生活をしているんだろう? と気になりませんか。
この連載では、そんな子どもの本の作家さんに「日常生活に欠かせないもの3つ」をテーマにお話を伺っていきます。
仕事道具、思い出の品、好きな食べ物など…経歴やプロフィールだけでは見えてこない、作家さんのすこしプライベートな部分までご紹介できたらと思っております。
作品の書かれた背景を想像して、本の世界をもっと楽しんだり……
人生の先輩として、生き方や考え方を学んだり……
発想のヒントを見つけたり……
いろいろな観点から楽しんで頂ければ幸いです。
--------------------------------------------------
(展覧会会場にて 写真/田口周平)
さて、連載の第1回目は、ロングセラー絵本『ねずみくんのチョッキ』の作者、なかえよしをさん。45周年を記念した全国巡回展「ねずみくんのチョッキ展」も今年9月に開幕をし、絵本シリーズは今では親子3世代にわたって親しまれています。
そんななかえさんにとって、欠かせない3つのものを教えてもらいました。
意外? 納得? 必需品3つ
80歳からデビューした電動自転車
―今年2月に、電動自転車を購入されたとか。
(なかえ)そう、この歳にしてついに、電動自転車を買ったんです。それまで毎日のように車に乗っていたんですが、最近、お年寄りの交通事故が多いじゃないですか。もう潮時だなと、自動車免許を返納しました。
—なかえさんといえば車を乗っているイメージだったので、驚きました。
(なかえ)昨年、上野(※「ねずみくんの絵本」シリーズを共作していた、妻で画家の上野紀子さん)が亡くなったから、一人で家のことや、食事のしたくをしなくちゃならないでしょう。食べ物を買いに行くのに、バスもおっくうだし、毎日タクシーを使うわけにもいかないしね。そこで電動自転車デビューをしたわけです。ところが自転車生活2日目で転んじゃってね。リュックに入っていた牛乳も潰れてビチョビチョになっちゃった。電動自転車は重いから、倒れると起こすのが大変なんですねえ。ひやっとしました。でも今はもう慣れて、毎日スイスイ、調子よく乗っています。
自転車から見える風景
—毎日乗っていらっしゃるんですね! どんなところを走っているんですか?
(なかえ)駅に続く川沿いの道がありましてね、車が入れない道があるんです。そうすると車に乗っていた時に見えていたのと全然違う風景が見えてくるんですね。近所の川べりには、お年寄りとか、子どもとか、障がいをもった子を連れた家族がよく散歩しています。鯉や川べりに集まる鳩に餌をやったりして、のんびりしていてね。車で生活していたときとは別世界にいるみたい。面白いものです。
—確かに、自動車のように速いスピードで動くものがないと、時間の流れもゆったり感じるかもしれませんね。
(なかえ)そうなんですよ。川べりに行くようになり、僕も鳩に餌をやるようになりました。ペットボトルに餌を入れて、自転車のかごに入れていくと、餌を目当てに鳩たちが集まってくる。鳩って目が真横についているでしょう。また白目がない、つまり目を動かせないから、見たいものがあると首ごとこうやって(ぐるっと首を回す)方向を変えるんです。僕が近づくと鳩たちがいっせいに首を横に向けて、じっと僕を見上げるの。鳩に情が湧いちゃって、見分けられるようになると、例えば、朝、川べりにいる集団は夕方は別の場所にいるとか、生態もわかってくる。分からないことや興味があることは、すぐにiPadを使って調べます。おかげですっかり鳩に詳しくなりました(笑)。
上野が生きていた頃は、古い型の赤いボルボを35年間ほぼ毎日ずっと乗り続けて、休みになると同じく赤いワーゲンのキャンピングカーで毎年北海道に行っていました。その時は車をいつか手放したらどうなるんだろうって思っていました。実際に手放してみると、当時恐れていたことは全然なくて、ホッとしています。
(愛用していたボルボ。ねずみくんと同じく色は赤)
遊びではじめたフォトショップが制作のヒントに
—次の必需品はパソコン。これは納得です。制作には以前からお使いになっていたのですか?
(なかえ)実は、上野が生きていた時は、絵をパソコンでいじることはほとんどしていませんでした。仕事場に上野と僕の分のMacがありますが、上野は新しい動物を描く時に、参考にするためにインターネットで調べたり、あとはインターネットで買い物とかをする程度でしたね。
僕はフォトショップを遊びで使っていて、イラストを合成したりコマ送りのアニメを作ったりしていてね。それを編集者や友人に送って遊んでいました。
(アニメーション/作・なかえよしを)
ねずみくんはずっと、高さ2.6センチの実寸で描かれていました。晩年は上野の目が悪くなって、大きく描いたねずみくんを(パソコン画面上で)小さくすることもしていたけれど、上野は常に鉛筆で手描きでしたね。改めて見てみると、ねずみくんは細部まで実に細かく描いてあるんですよ。
Macを使って、ねずみくんは生き続ける
—原画展でイラストを拝見して、ディテールの描き込みにうなりました。ねずみくんの豊かな表情も素晴らしいですね。あのイラストは上野さんしか描けない…。
(なかえ)本当に、あれは上野以外には描けない。上野が亡くなって、もう絵を描いてもらえないとなった時、「あ、あのフォトショップでの遊びが使えるかもしれないぞ」と思いましてね。つまり、これまで上野が描いてきたねずみくんの絵をパソコンに取り込んで、合成すれば作れるのではないかと。
—そのアイディアを生かして作ったのが今年4月に出版された『ねずみくんは めいたんてい』というわけですね!
(なかえ)そうです。ねずみくんシリーズの絵本の、35冊分の下版データを印刷会社さんが持っていて、それを編集者が取り寄せてくれたんです。それを全部Macに取り込んで、話に沿ってねずみくんのイラストを取り出し、フォトショップで少し口を開けたりして表情を変えています。今回の『~めいたんてい』のイラストも、どの絵から取ったか、みなさん分からないはずです、たぶん。ぜひ探してみてください。
(過去35作分のイラストが入ったディスクと、出力紙)
—同じ手法で、次の新作も制作が進んでいるとか。
(なかえ)ええ。次の新作『ねずみくんの ピッピッピクニック』も『〜めいたんてい』と同じ方法。新作では、僕はリュックを1種類だけ描いたの。それを画像で拡大したり縮小したりして、ねずみくんやぞうくんに背負わせてます。絵本を見たら、同じリュック(のイラスト)だって気づかないんじゃないのかな。今作も表情を細かく変えているので、出典もわからないんじゃないかなと思いますね。
(『ねずみくんの ピッピッピクニック』イラストイメージ)
ずっと使っていたMacが10年を過ぎた頃から動きが危なっかしくなってきて、最近新しいMacに変えました。僕とパソコンとどっちが「もつ」か、勝負しているところです(笑)。
—すごい戦いですが、先生には勝っていただかないと。応援しています。
(最新のMac PC。制作はこれからも続く)
つけっぱなしのテレビがアイデアの源
—3つ目の必需品は、iPadと僅差で「テレビ」。これは意外でした。テレビはよくご覧になるのですか?
(なかえ)テレビっ子ですね。ほとんどつけっぱなしです。食事をする部屋と、寝室にそれぞれテレビがあって、寝室のテレビはベッドで寝っ転がって見られるように斜めにつけています。
—どんな番組が好きですか?
(なかえ)見ているものは、ほとんどがニュース。テレビに面白い顔があると、ついつい似顔絵を描いちゃう。上野が生きていた時も、二人で競って(テレビに映っている人の)似顔絵を描いていました。雑誌の『週刊朝日』で似顔絵投稿のコーナーがあるじゃないですか。実は僕、3回出して3回とも入選したんです(笑)。どんな人が描きたくなる顔かって? 最近は、ニュースによく出てくるコメンテーターの方、あの人は描きたくなる顔ですね。
—めっちゃ似てる!
(取材の合間にさっと描いてくださった似顔絵)
絵本のアイデアもテレビから
(なかえ)『ねずみくんは めいたんてい』もテレビを見て思いついたもの。探偵もので「犯人はこの中にいる!」っていうセリフを聞いて「これは使えるな!」と。だから最初にそのシーンを描いて、そこから逆算するようにお話を作りました。
(最新刊シリーズ36作目『ねずみくんは めいたんてい』)
「幸運」な絵本作家デビュー
——まさかのドラマからの発想です。バラエティーもご覧になりますか?
(なかえ)「突然ですが占ってもいいですか?」っていう占い番組も好きでよく見ます。あれ、面白いよねえ。
—えええ。そうなんですか。観てみます。
(なかえ)僕自身は全く占いを信用していなかったんですが、あれを見たら、一度自分も占ってもらおうかなという気持ちになって、ららぽーとの占いコーナーで見てもらったんです。上野が死んで、僕も人生の結果があらかた出ているから、答え合わせができるかな、ってね。それで過去を見てもらったら、まあよく当たっているの。
—どんな占いをしてもらったんですか?
(なかえ)手相で占ってもらったの。その時に占い師さんが「こんな手相の人、初めて見た。運の強い手相ですね」っていうの。思い返すと本当にそうで、僕がまだ広告代理店(博報堂)でデザインをしていた時は、まさか絵本作家になるなんて、これっぽちも思っていなかった。
(NY時代の絵本の原画を前に)
上野が喘息持ちでね、当時は場所を変えると良くなるなんて言われて、じゃあ有給休暇も1カ月以上たまっているしと、NYに行ったんです。せっかくだから絵本でも作って行こうかと『ELEPHANT BUTTONS』を持って行って、出版社を回ったら、7番目に行った「ハーパー・アンド・ロー」(現ハーパーコリンズ)で気に入ってもらって、アメリカで出版してもらえた。ひとりの女性が自分のセーターに僕らの原稿を抱え入れて「買う、買う!」って。それが当時の副社長で、『かいじゅうたちのいるところ』のモーリス・センダックとかを見出した名物編集者、アーシュラ・ノードストロムだったんです。本当に運が良かったんですね。
(『ELEPHANT BUTTONS』 Harper &Row 1973年/ 邦題『ぞうのボタン』冨山房 1975年)
—映画のような展開ですね。70年代、無名の日本人がアメリカの大手出版社で絵本を出版したというニュースは、日本の出版界にも衝撃をもって響き渡りました。
(なかえ)その後会社を辞めて、ポプラ社から『ねずみくんのチョッキ』を出してもらいました。その本で講談社出版文化賞絵本賞をもらって、次の(ねずみくんの)絵本を作ることになったんだけど、あれが一番しんどかったですね。絶対いいものを作らないとというプレッシャーで胃潰瘍になるくらい痛かった。考えて考えてできたのが、2作目の『りんごがたべたい ねずみくん』です。あのお話が思いついたときから自信がついて、絵本作家としてやっていけると思えました。
大事なのは、常に考え続けること
—新作を作る時、お話をどんな風に形づくっていくのでしょうか?
(なかえ)ひたすら考えます。とはいえ、考えるといっても、じっと机の前に座っていてもお話は出てきません。何か刺激が必要です。それで考えるためにテレビを見たり、自転車に乗ったりするわけです。
—つまり、刺激の中に飛び込むのですね。
(なかえ)そうです。普段から考えていると、(刺激を受けることで)何か引っかかるシーンに出会うんですね。テレビは色んな情報がもったいないくらいにどんどん流れている。考えてないと取りこぼしてしまいますが、求めているとフッといい情報やアイデアをもらえるんです。僕にとってテレビは必需品ですね。
—ありがとうございました!
(インタビュー/柿本礼子)
(自宅アトリエ/上野さんの油彩画が多数ならぶ)