見出し画像

【こんな原稿が読みたい!】子どもだからといって手加減する必要はない 那須正幹先生インタビュー

いま、ポプラ社では「第10回ポプラズッコケ文学新人賞」の作品を募集中です。
その名の通り、あの一度読み出したら止まらない、心をもっていかれるような読書体験をさせてくれる「ズッコケ三人組」シリーズに続く、新たな児童文学の書き手を発掘しようと開催している文学賞です。

ズッコケ文学新人賞バナー‗横

かくいう私も、小学生時代に「ズッコケ三人組」シリーズの洗礼を受けて、気づけばその出版社であるポプラ社に勤めていて、めぐりめぐって今年、ズッコケ文学新人賞の運営を担当させていただくことになった身です。

ぜひ、多くの方にご参加いただき、未来の売れっ子作家とめぐりあいたい……! とはいえ、そもそも作家志望の方は多くても、児童文学を書いてみようという人は、それほど多くはない印象です。

それに、私がズッコケにどっぷりハマっていたのは約30年前。
その間に、時代も変われば、子どもたちを取り巻く環境も、大きく変わりました。はたして、子どもたちは変わったのでしょうか? 
そして、今、児童文学を書くということは、どういうことなのでしょうか?

そんな疑問を、今回は、子どもの本を50年以上書き続けてこられた、賞の特別審査委員で「ズッコケ三人組」の作者でもある那須正幹先生に、直球でお聞きしてみることにしました。

那須先生(軽いもの)

那須正幹(なす・まさもと)
1942年生まれ。累計2500万部のベストセラー、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんが活躍する「ズッコケ三人組」シリーズ(全50巻)の生みの親。3人が大人になった「ズッコケ中年三人組」シリーズも人気。ほかに、戦後の三世代を描いた「ヒロシマ」三部作(日本児童文学者協会賞)、『ねんどの神さま』『さぎ師たちの空』など、著書は200冊を超える。
ポプラ社 斉藤尚美(さいとう・なおみ)
1977年生まれ。小学生の頃、那須先生にファンレターを書いて、お返事をもらったのが自慢。2000年の入社以来、長く一般書を担当してきたが、2017年に念願叶って児童書編集部へ。

児童文学には、まったく興味がなかった

斉藤 今日は、何かを書いてみたい、と思っても「児童文学」にはあまり興味がない人たちに、そもそも「児童文学って何ですか」というのを那須先生に教えていただければと思いまして。さっそくですが、先生は最初から児童文学をお書きになっていたんですか?

那須 いやいや。最初は大学生のときにミステリーを書いて、「オール讀物推理小説新人賞」に応募したんよ。でも、まったく箸にも棒にもかからず。で、卒業して就職して自動車のセールスをやりよる時に、今度は「小説現代新人賞」に応募した。やっぱりミステリーだったと思うけどね。ちょうど五木寛之さんが「さらばモスクワ愚連隊」で選ばれて、たちまち直木賞候補になった。

斉藤 それは、文学史的にすごい年ですね。しかし、先生はその時点では大人の文学を書いていらっしゃった。その後、何があったんでしょう?

那須 車のセールスを2年やっとってねえ。荒川の土手でパンと牛乳飲みながら、ぼくの人生どうなんじゃろう、あと10年たってもこういうことしとるんかと、どうも10年後の自分のイメージがわかないわけよ。で、もうやめよう思って。まったく先のことも考えずにやめちゃった。

河川敷

斉藤 那須青年が心配です! それで、どうされたんですか?

那須 実家に帰ったら、ちょうど親父が、おまえいいところに帰ってきた、いまうちの書道塾の人手が足りんから手伝えといって、ぼくはそれまでお習字なんてぜんぜんやったことがなかったけど、手伝うことになったの。

不純な動機で、児童文学の道へ

斉藤 そこから、どうして児童文学を書こうと?

那須 たまたまぼくの姉が、広島にある「子どもの家」という同人誌に入って、「今度、童話を書く会に入ったんよ」いうから、どんな会だと聞いたら「女の人ばっかりの会だ」というから、「あ、ぼくも入るわ」いうて。

斉藤 不純な動機で(笑)。

那須 ぼくが東京におったときに、『星の王子さま』いうサン⁼テグジュペリの本がブレイクして、若いOLたちが電車の中で読みよるのを横目でチラチラ見とったから、ああいう女の人たちがおるんじゃろうと。でも入ってみたら、あに図らんや、おばさんばっかり。

斉藤 あらら(笑)。

那須 まあしょうがないから作品を書いたら、「この会はね、新しい児童文学をめざしてるのよ」と。要するに、ぼくの作品は古いといわれたわけ。なんせ子どもの時から童話を読んでこなかったから、何も知らない。そこで、いわゆる現代児童文学の傑作、いぬいとみこさんとか松谷みよ子さんとか、古田足日さんとか山中恒さんの作品を借りて読んで、「ああ、今の児童文学いうのは、ふつうの文学作品と変わらんのじゃのう」と、それこそ目からウロコで。

その時に思ったのが、「これなら、ぼくもプロになれるかもしれんな」と。当時26歳だったから、30までに本が出なかったらあきらめよう思って、児童文学を書き始めた。

斉藤 お習字の先生をしながら。

那須 そうそう。そうしたらうまい具合に、30になる2か月前に、「首なし地ぞうの宝」いう作品が学研児童文学賞の佳作に入って本になった。幸運だったねえ。そういうようなことでデビューしたの。

子どもだからといって手加減する必要はない

那須 学研児童文学賞をとったときに、5万円の賞金が出たわけよ。そのことをお習字に来とった子どもにいうたら、「おにいちゃん先生、使ったらだめよ。ちゃんと貯金しなさい」って。意外と子どもっていうのはそういうところが堅いなと思って。

うちの書道塾は、子どもが300人くらい来ていたから、そこでの付き合いが、ずいぶん役に立ったねえ。自分の言葉も子どもたちに伝わるという、自信みたいなものができた。子どもというのはけっこう何でも理解するなと。下手に手加減する必要はない。

斉藤 「ズッコケ三人組」も、お習字の生徒さんからインスピレーションを得たんですか?

那須 ハチベエなんていうのはうちに来よった子どもがモデルだね。モーちゃんはぼくの中学校時代の親友がモデルで、ハカセはぼくの子ども時代がモデル。

それいけズッコケ三人組

斉藤 「ズッコケ三人組」はそうやって生まれたんですね。そして一作目『それいけズッコケ三人組』(前川かずお・絵/ポプラ社)が1978年に出版されると大人気シリーズになり、先生はそれから20年以上も、年2回、必ず新刊を出されていたわけですが、「どうしても書けない!」「このままじゃ本が出ない!」というピンチはありませんでしたか?

那須 まったくなかった。

斉藤 え!

那須 たとえば、ズッコケを書きよる時に他の作品の構想が頭の中にできよったしね。じゃからネタに困るというのはなかった。

斉藤 すごい……。

那須 偕成社に相原さんという名編集者がいて、那須さん絶対スランプがくるからねといいよって、いつ来るんじゃろういつ来るんじゃろう思うたけどぜんぜんこなかったね。

頭の中で主人公たちが動きだす

斉藤 テーマはどういうふうに決めていたんでしょうか?

那須 まあテーマいうのは行きあたりばったりで、今回は山の話書いたから、次は海の話書こうかなくらいのことで。ズッコケの場合はハチベエ、ハカセ、モーちゃんというキャラクターが決まっとったけど、新しい作品を書くときは、まず舞台をどこにするか決めて、それから登場人物をわりと丁寧にメモしていく。最初はなかなか動いてくれんのじゃけど、辛抱して書いとるうちに、頭の中で主人公たちが動いてくれるようになる。そうしたら後を追いかけながら書いていたら、いつのまにやら作品ができているという感じじゃね。

斉藤 彼らが動いてくれるまでには、どのようなことを……?

那須 やっぱりメモをするときに、イメージをしっかり作るわけ。身長がどのくらいで、家族構成がどうで、妹がおるとか弟がおるとか考えて。それをしっかりやっとけば、頭の中にある程度イメージができるから。

斉藤 それにしても、ズッコケを書きながら、他の作品も同時に浮かんでいるとは。どうしたらそんなことが可能なのでしょうか?

那須 うーん、どうしてかいわれると、才能としかいいようがない(笑)。

出版点数をキープする生活スタイル

斉藤 最初の頃は、書道塾の子どもたちがヒントになっていたわけですが、その後は専業作家になられましたよね?

那須 お習字は10年くらいやっとったから、そこで現代の子ども像とか、だいたいの情報は入ってくるし、自分の子どもたちが遊びよるのを見ながら書いたりもしたね。

斉藤 身近な子どもたちを観察されて。

那須 そうじゃね。まあもちろんそれだけでは書けないから、必要があれば取材にも行くし、文献はよく読んだなあ。たとえば『うわさのズッコケ株式会社』(前川かずお・絵/ポプラ社)を書いたとき、ぼくは商法なんてぜんぜん知らなかったから、株式会社を作るための法律とかはずいぶん読みました。

うわさのズッコケ株式会社

▲2018年、ズッコケ三人組40周年の時に行われた50巻総選挙で第1位に。
過去の読者の人気投票でも不動の1位を誇る人気の巻。

斉藤 読む時間も、書く時間も確保しながら、刊行ペースを長年キープされたのがすごいです。

那須 まあ、書道塾をやめてからは、一日時間があるわけだから。その意味では、筆一本になってから出版点数は増えたな。

斉藤 お書きになる時間は決めていらっしゃいますか?

那須 最近はそうでもないけど、以前は毎日朝から書斎に入って、原稿用紙一日10枚いうのをノルマにしとった。10枚書くまでは机から離れないという。

斉藤 時には夜中まで?

那須 いや、夜はテレビ見たり、映画も観る。けっこうそれでヒントになることもあったから。あとは本も読むけどね。

子どもと大人が共有できる表現を見つける

斉藤 応募原稿を読ませていただいていると、子どもが子どもらしくないのが気になることがあるんですが、子どもを書く秘訣や、心がけていらっしゃることはありますか?

那須 たとえば、「遠くのほうからおじさんが歩いてきました」いう文章があるとしたら、「遠く」という言葉は、大人のイメージからしたら100メートルくらいないと遠くではないんだよね。ところが身長130センチくらいの子どもの目線から見ると、もう50メートルで遠くになるわけ。で、「おじさん」というと、ぼくらのイメージでは40歳よね。じゃけど子どもにとっては20歳以上だとおじさんに見えることがある。じゃあどう書けばいいかというと、「100メートル向こうから、40歳くらいの男の人が歩いてきました」と書いたら、子どもにもわかるわけ。そうやって、大人と子どもが共有できる表現を見つけることが必要。

あとまあ、ぼくはわりと、プロフィールを書き込みます。漫画だったら、「ちびまる子ちゃん」いうたら、100人が100人、あのおかっぱの子しか思い浮かばんわけよ。ところが漱石の「坊っちゃん」になると、100人が100人、みんな違う坊っちゃんを想像する。そういう、個人の想像でいくらでもイメージが広がっていくのが文学の一番の楽しさなんですよ。この楽しみは漫画や映画にはない。だから想像を刺激するように人物描写をせんといけん。全部が全部書いてしまったらきっちりしすぎるから、そのへんのどういうかね、かねあいよね。

大人の本と子どもの本の、一番のちがいは?

斉藤 大人の本と子どもの本の、一番のちがいは何だと思いますか?

那須 なんだろうねえ。セックスシーンを書かなくていいということかな。

斉藤 笑。

那須 恋愛は書いてもいいけどね。ちがいといえば、その程度じゃないの。

斉藤 逆にいえば、それ以外は何でもあり、ということですね?

那須 そうそう。そいじゃからぼくは殺人も書いたし、本人が殺す話はさすがに書いてないけど、けっこう流血場面も書いたしね。大人世界の難しい仕組みを書いたりもする。その意味では必要とあらば、セックスシーンも書くかもわからんね。のぞき見しとるとかね。じゃから、子ども向けということで制約は感じない。ちがいといえば、内容よりも文章じゃろうなあ。子どもが想像できる文章いうか、言葉の選び方よね。

テーマは、エンタメでコーティング

斉藤 私、一般書を長く担当していたんですけど、児童書に移ったときに、児童書はテーマが大事だ、と言われたのが印象的でした。その本を通して、子どもに何を伝えたいか、生きる糧になるようなメッセージがあったほうがいいと。

那須 昔はよく言われとったけど、近頃は言われないじゃろ。

斉藤 いえ、言われます(笑)。いわゆるエンターテインメントと、テーマ性のある読み物とで、分けて考えているところはあるかもしれませんが。

那須 これはズッコケのひとつの罪でもあるんじゃけど、あれまで児童文学でエンターテインメントいうのはあんまりなかったわけよ。それを、ズッコケが漫画みたいな絵をつけたりして売れだしたもんじゃから、各社こぞってエンターテインメントを出して、シリーズ化するようになった。今はもう、テーマのある児童文学いうのが世界遺産になりつつある。

斉藤 そうはおっしゃっても、ズッコケシリーズにはテーマがあると感じます。

那須 ぼくはあると思うけどね。じゃけど、ないように見えるのは、いわゆるコーティングの問題。株式会社設立なんてずいぶん堅い話じゃけど、それを堅く書かずに面白おかしく書くことによって、エンターテインメントになっている。だから書き方の問題だと、ぼくは思います。

斉藤 ひたすら面白くて、テーマやメッセージも込められているなんて最高です。

文学は、読んでもらってなんぼ

那須 『少年たちの戦場』(はたこうしろう・絵/新日本出版社)という本があって、これは戊辰戦争から始まって、沖縄戦までの戦闘に参加した少年をオムニバスで書いたんじゃけど、ちゃんばらシーンなんか時代小説のように楽しく読めると思う。戦争というとなんでもかんでも悲惨だ、いうイメージがあるじゃない。だからぼくは、悲惨さは強調せずに、読者が主人公と一緒にハラハラドキドキするように書いたの。

少年たちの戦場

斉藤 一方で、先生は反戦のメッセージも発信されています。

那須 うん。でも「反戦」ということを直接書いた本はない。たとえば『絵で読む広島の原爆』(西村繁男・絵/福音館書店)には、核兵器は絶対にいけませんよ、とは一言も書いてない。それは読者が考えることじゃから。ただ「忘れないことが大切だ」ということは書いた。『ねんどの神さま』(武田美穂・絵/ポプラ社)もそう。あの中で「戦争は悲惨だ」とは一切書いてないよね。

絵で読む広島の原爆

ねんどの神さま

斉藤 テーマは読者に感じてもらうもので、作品はそのきっかけであると。

那須 うん。作者が出てきて、わめきちらすことじゃないと思う。文学いうのは読んでもらってなんぼじゃからね。

スケールが大きな作品を

斉藤 最近の「ズッコケ文学新人賞」の応募原稿を読まれて、感じていらっしゃることはありますか?

那須 ひとつはね、スケールが小さくなったなあ、という感じはするよね。ひとつのネタを追求した作品はあるし、それはそれなりにいいんじゃけど、どうしても話が友達関係とか、親子関係というところになっていく。人間関係も今の時代には大切なんだけれども、子どもの本はもっとスケールが大きくなってもいいんじゃないか。

ファンタジーなんかは作品世界が広いから、それはいいんじゃけど、妖精が出てきたり、魔女が出てきたりする話にも、非常に個人的な、小さな不思議を書く人が多いような気がして。

斉藤 そういう作品も大好きですが、そればかりになってしまうと寂しいですね。

那須 うん。それは作者というよりも、読者にも想像力がだんだんなくなって、作品世界が大きいと理解できないせいもあるかもしれないけどね。

斉藤 そこを理解できるように工夫するのも、作家の腕の見せどころですね。

書いた作品はトイレに流す⁉

斉藤 デビューしても、二作目で壁にぶつかって、苦労される新人作家さんは多いです。そういう方にアドバイスをいただけないでしょうか?

那須 最初の作品を忘れることじゃね。いつまでもしがみついてると次が書けなくなるから、書いた作品はトイレに流すようなつもりで、次の作品を考えること。それで、同じようなものを書くんじゃなくて、最初に書いたのとはまったく違う作品をめざしたほうがいい。それは別に大きなことでなくても、最初の主人公は女の子にしたから、今度は男の子にしようとか、いわゆる新しいものをめざす。それとまあ、「勤勉」になることかな。

斉藤 那須先生のように。

那須 一日30分は机の前に腰かけて、次の作品を考える。そうすれば、何か思いつくから。それから、あんまりプロットを作ったりせずに、とにかく書いてみること。主人公の名前が途中で変わってもいいし、ストーリーが最初の方向と違ってもいい。とにかく終わりまで書いてみる。そうして読んでみると、いかにつまらんかいうのがわかる(笑)。その、いかにつまらないかわかるということは、進歩なんですよ。次は少しマシなものが書ける。じゃから、とにかく、書くことね。頭の中でいろいろ考えたって、先に進みません。

読者のグレードを思い浮かべながら書く

斉藤 先生は、書くときに読者のことは思い浮かべますか?

那須 これは小学校1~2年生の子に読んでもらいたいとか、そのくらいかな。特定の読者いうよりは、不特定多数の子どもたちを考えている。
高学年になるとけっこう難しい言葉や観念的な言葉もわかるけど、低学年向けならできるだけ具体的に描写するし、グレード(対象年齢)によって言葉づかいは変わってくるから。

斉藤 今と昔とでは、子どもの本に求められるものは変わってきていると思いますか?

那須 変わらないんじゃないの? 親は子どもが本を読んでくれたら有り難いから。うちの孫娘も『おしりたんてい』(トロル作・絵/ポプラ社)を読んで、必死におしりを探しよるけど。まだ3歳じゃから物語の筋なんてぜんぜん追わずに、おしり探したり、迷路やったり。本というよりゲームとして楽しんでる。そういうのも必要だよね。

ただ、その次、その次と段階的に、成長して生活体験が広がることによって、物語世界も広がっていくわけだから。その辺はやっぱり、時代に応じていろいろな本が出てきたほうがいいと思う。

斉藤 最後に、今年、応募しようと思ってくれている人たちに、「こんな作品が読みたい」というリクエストがありましたら、ぜひ。

那須 広い世界を舞台にした作品が読みたいね。それから、なんでもいいから自分の自信作を出してみたらいい。いわゆる「他流試合」の気持ちでね。

斉藤 児童書も、何だって書いていい。ただし、読んでもらってなんぼ、ですね! 具体的なお話、たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

ここまで読んでくださった方、「第10回ポプラズッコケ文学新人賞」へのご応募、ぜひぜひお待ちしております~!(10月末日まで)

賞の詳細はこちらをご覧ください。

次回は、ポプラズッコケ文学賞に応募したことがきっかけで、2010年に『お願い!フェアリー』(カタノトモコ・絵/ポプラ社)でデビュー、児童書作家として大活躍中のみずのまい先生と、担当編集者・松田&小林による【児童書は「文学」だけじゃない(仮)】をお送りします。お楽しみに!