学校に行きたくない_note

脳には個性があり、その差に上下はない/茂木健一郎より

 8月に学校に行きたくない君へ(全国不登校新聞社 編)という本が出版されました。本書は、日本唯一の不登校専門紙である不登校新聞』の「子ども若者編集部」の記者たちが著名人にインタビューした記事から、20名分をまとめた1冊になります。

 noteでは現在、悩める10代に向けて#8月31日の夜にと題した投稿企画が行われています。「私たちも何かしたい!」ということで、3回にわたって『学校に行きたくない君へ』の内容を発信していくことにしました。2回目となる今回は、本書にも登場する脳科学者・茂木健一郎先生の原稿を全文無料公開させていただきます。

▼「#8月31日の夜に」企画目次
第1回 「生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと/『不登校新聞』編集長より(8/27公開)
第2回 脳には個性があり、その差に上下はない/茂木健一郎より(8/29公開)
第3回 楽しいことがあれば、それを生きる理由に/辻村深月より(8/31公開)

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脳には個性があり、その差に上下はない/茂木健一郎

「不登校大学」(フリースクール東京シューレ30周年記念事業)の講演録より

 私はある時期、「学校に行かない夢」をよく見ました。夢のなかでは何カ月も学校に行っていない。「出席日数が足りない、学校に行かなきゃ」と思って恐怖心で目覚める。そういう夢です。
 組織や、肩書きに頼る時代ではないと思って、そう生きてきました。そんな私でも、どこかで「普通」の生き方をしなくてはならないという無意識の圧迫があって、それが夢というかたちで表れたのでしょう。
 まあ、とにかく生活スタイルが変わり、「きちんと生きていない」という焦りがあるのか、無意識に世間からの圧迫感を感じていたのでしょう。それが夢にまで現れた。大人の私ですらそうなのですから、不登校の人が感じる圧迫感はたいへんなものだろうと想像しています。
 では、この不登校、どう捉えたらいいのか。
 脳科学の見地から言えば「不登校は脳の個性である」というのが結論です。
 毎日、学校に通っても苦痛を感じない個性もあれば、1日だって学校に行けない個性もある。脳には多種多様な個性があり、その差に上下はありません。

■脳の個性は「トレードオフ」の関係
 脳の個性は、ある部分が優れていれば、ある部分が劣っているというように「トレードオフ」の関係になっています。
 たとえば私が親しくしている作家・林真理子さん。彼女は人前で話すことは苦手ですが、書くことには非常に長けている。このように長所と短所が"ないまぜ”になっているのが脳の個性であり、満点の個性というものは存在しません。
 学校に通える個性がすばらしく、通えない人が劣っているなんてことはありません。もちろん、その逆もまたしかりです。
 みなさんは「識字障害(ディスレクシア)」をご存じでしょうか。
 識字障害の一例を挙げると、「p」「q」「d」「b」、この差が区別できない人が多いと言われています。つまり「dog(犬)」なのか、「bog(沼)」なのかが区別できない。これではたしかに日常生活でも困るでしょうし、教科書を中心とした勉強には、たいへん苦労するでしょう。
 このディスレクシアで有名なのが俳優のトム・クルーズ氏やヴァージン・グループ創設者のリチャード・ブランソン氏などです。
 彼らは読み書きを得意としない代わりに、会話や他人との関係性を大事にし、その才能を開花させていった。そういうエピソードがたくさん残されています。裏を返せば、本が読める私たちはいかに他人の話を聞いていないか(笑)。
 「ハンディを克服して……」という話ではなく、個性をそのまま伸ばしていった例だと考えるべきでしょう。

■自分の個性は誰よりも自分自身にわかりづらい
 既存の価値基準だけに照らせば脳の個性に優劣をつけられるかもしれません。しかし脳科学の世界では、もはや「ふつう」「正常」「異常」という言葉も使いません。脳の個性に上下はなく多様であるのが前提だからです。それは「かくあるべし」という意見でも、「こうあればいいな」という願望・希望でもありません。科学的な事実です。
 教育の最終目標は、その子の個性を宝物として伸ばしていくことにあるべきです。一つの基準だけ、たとえば偏差値だけで子どもを推し量ることなどストレスにしかなりません。
 ところでみなさんは自身の個性をわかっていますか? 
 姿かたちの特徴は鏡を見ればわかりますが、鏡には性格まで映りません。自分の個性というのは、誰よりも自分自身がわかりづらいものなんです。
 大人ですらそうなのですから、子どもはもっとです。かくいう私も、なかなか自分の個性には気がつきませんでした。みなさんはもうお気づきでしょうが、私は「一人学級崩壊」と言われるほど落ち着きがない(笑)。でも、これを認識したのは40代後半からです(笑)。

■ヒントは他人が与えてくれる
 ヒントは3回ありました。最初のヒントは小学1年生のとき。担任の先生が私の眼を見ながら「もう少しだからガマンして」と。どうやら、私、ものすごく動きまわってたみたいなんです。次のヒントは20代。おしゃれなレストランへ女性と行ったときのこと。彼女は「茂木くんといると恥ずかしい」と言い残し、遠くに行ってしまった(笑)。どうやら、ここでも落ち着きがなかったようです。
 最後のヒントは講演会でのこと。舞台袖から演台に向かう十数歩のあいだで会場に笑いが起きてしまったんです。どうやら欽ちゃん走りみたいになってしまってた(笑)。ようやくこのへんで「もしかして、ふつうじゃないのか」と気がつくわけです。
 こうしたエピソードはたくさんあるわけですが、重要なのは自分の個性を知るためのヒントは他人が与えてくれるということです。
 脳の前頭葉には鏡のように自分と他人を映す回路(ミラーニューロン)があります。人は共感し合える友だちと向き合うことで、あるいは「あいつとは考えがちがう」という違和感を持つ人と向き合うなかで、自分自身の個性に気がついていくわけです。脳の個性は多様なので学びの場も多様であるべきですが、他人と出会い、たがいを尊重しあえるような環境は必要不可欠だと言えるでしょう。
 もちろんその場は、いじめを受けるとか、行きたいと思えないとか、そういうストレスがない、ということが前提です。

■安全基地をつくる
――他者と関わることでしか自分を発見できないという話もありましたが「社会や家族の輪から外れてひきこもることで自分自身を発見した」という話を当事者からよく聞きます。「底つき」とも言われていますが、なぜこうしたことが起こると思いますか?

茂木 それは「メタ認知」と言われるものでしょう。「自分を見つめること」と「他人の心を読み取ること」は脳の働き自体が非常に近いんです。つまり、はたから見れば一人きりだが、じつはその状態こそ、他者とつながっているために自分を発見する。そういう不思議な状態を「メタ認知」と言います。ただし、それを「底つき」と表現されているのは初めて知りました。非常におもしろい表現ですね。

――息子は不登校で不安のスパイラルに入っています。脱皮するために親としてはなにができるのでしょうか?

茂木 ひとつ言えるのは「やりたい」と言ったときに、それを保障することです。逆に聞きますが、息子さん、なにかやっていることはありませんか?

――猫の散歩とかはしてますが、何かをやろうとする気力が全然見えないです。

茂木 それ、そのままでいいんです。丸ごと受けいれることです。お子さんの脳はさぼっているわけでも、わざとそうしているわけでもありません。なぜかわからないですが、そういう状況なんです。
 まわりができることは安全基地(セキュア・ベース)をつくることです。児童精神科医ジョン・ボウルビィ氏は「人生に何度となく訪れる危機に立ち向かうためには心理的な安全基地が必要だ」と提唱しました。戻ってこられる場がなければ、打って出られないのだ、と。安全基地は「絆」によって生まれると言われています。たとえば親子、同じ経験を持つ人たちどうし、そこで生まれた絆が安全基地になるわけです。
 息子さんは大丈夫です、いずれ状況も変わります。苦しい思いをした人ほど情熱的に生きる傾向があります。情熱は英語で「passion」、受難という意味を持った単語でもあります。昔のヨーロッパの人はなんとなくわかっていたんでしょう。苦しくてつらかった思いが、将来、情熱的に生きる貯蓄になる。
 実際、私のまわりにもそういう不登校経験者はたくさんいます。時間はかかると思いますが、焦らずに子どもの安全基地をつくってください。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年、東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。専門は脳科学、認知科学。2005年に『脳と仮想』で小林秀雄賞、2009年に『今、ここからすべての場所へ』で桑原武夫学芸賞を受賞。

※初出=『不登校新聞』418号(2015年9月15日)。本文は『学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)より転載。

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